「かな兄かな?」
チクチクするなんて言ってしまったけれど、自分も髪が多く硬いタイプだ。多分かな兄もわたしの髪で痛い思いをしていると思う。絶対、かな兄はそういうことを言わないが。
「うん、正解」
「やっぱり」
「髪、多いの……嫌?」
「嫌ではないけど……面倒なときはあるかな。伸びるとすぐ重くなっちゃう」
「でも、ハリもコシもあって、いい髪質」
「本当?」
「うん」
定期的に切ってケアしてくれる琉生兄の存在は大きい。琉生兄がいなかったら鬱陶しくて嫌になってしまうだろう。
「正解したから、ご褒美に、アレンジするね」
「え、今日はもう出掛けないよ?」
「うん……でも、要兄さん、帰ってくるから」
確かにリビングの表にはかな兄も夕食を食べると書かれていた。だから夕食の時間には帰ってくるはずだ。きっと女性の香水の匂いを付けて。
「きっと、要兄さん、喜ぶ」
「喜ばないよ……」
「どうして?」
「どうしてって……妹の髪型が変わっても別に何も思わないと思う」
仕事だと分かっているのに、いつも心の隅でモヤモヤした。かな兄に女性の気配があるなんて昔からだ。甘い言葉もきっと、みんなに言っている。
「要兄さん、すみれちゃんのこと、大好きだから」
「……そんなことないよ」
「そんなこと、ある」
「ないよ」
「だって、すみれちゃんのこと、一番見てる」
「見てない……」
かな兄に対しては何故か素直になれなかった。わがままを言って困らせて、心にもないことを言って傷付けて、いつか嫌われてしまうかもしれないと怖いのに優しいかな兄につい甘えてしまう。
「すみれちゃん、ほら、できた」
「あ……」
いつの間にか動いていた琉生兄の手が止まり、アレンジが出来上がっていた。
「どう?」
「可愛い……ありがとう」
「うん、だから……これで要兄さんのところ、行ってきて」
「でも」
「行かないと、今回は料金、もらう」
「……琉生兄」
こういう強引なときの琉生兄は絶対に引かない。そして琉生兄の言う通りにすると良い方向へ物事が向かう。昔からそうだった。
「かな兄って……」
「もう、帰ってるよ。さっき連絡、きた」
「いつの間に」
もうかな兄の元へ行くようにと全て手筈が整っているらしかった。誰と髪質が似ているのか聞いたのも答えが分かっていたからだろう。琉生兄はわたしを椅子から立たせ、玄関へ誘導してドアを開けた。
「要兄さん、今自分の部屋にいるって」
「……うん」
「いってらっしゃい」
「……行ってきます」
まだ心の準備が整っていないままに廊下へ出てしまった。行くしかないのに、どうしても足が重い。しばらく立ち尽くしていたら背後から人の気配が近付いてきて、でも振り返ることはできなかった。
「こんなところにいると風邪引くよ」
優しくて安心する声。かな兄の声。意地を張ってしまい返事もできずにいると、急に後ろから抱き締められる。ここは廊下で、誰か兄弟が来るかもしれないのに。
「待ちきれなかったから迎えに来ちゃったよ。髪、可愛いくしてもらったんだね。るーちゃんはやっぱりすごいな」
「……」
「すみれ」
いつもの愛称ではない呼び方が狡くて、ますます感情が拗れていく。シャワーを浴びたのかかな兄から香水の匂いはしなかった。少し湿気を含んだ髪が首筋に触れ、やっぱり同じ髪質なんだとぼんやりと思いながら背中の体温に身体を預けると、抱き締める力がより一層強くなった。