「で? 話はついたのか」

裏路地にある珈琲喫茶。エル字ソファのど真ん中を陣取った兄はため息交じりにそう言った。蘭との関係がバレてから早一週間。色々あった結果こうして三人で会う羽目になったわけだけど、気まずさマックスな私はメニュー表を立てて兄との間に壁をこしらえている。そして隙を見て蘭に「なんか言ってよ」と目配せをしたら、なんと奴は「テメェが言え」と顎で指図してきた。無責任な男め。仕方がないので「多分……」とパッとしないひと言を呟いたら、兄は舌打ちを投げた後私の手からメニュー表を奪い取っていった。それをひと通り眺め、ハァっと溜息をつく。吊られた眉はいつもより角度が鋭利に見える。

「……ったく、お子ちゃまは珈琲なんか飲めねーよなァ」
「何言ってるの? 飲めるよ」
「じゃあなーんも入れずに飲めよ」

なんて言いながら便乗した蘭がシュガーポットを隠す。何なんだ二人共、私のことをガキ扱いして。ついさっきまで睨み合っていたくせにこんな時ばかり結託するんだ。しかもマスターが来て何を注文するのかと思いきや、二人共まさかのコカ・コーラLサイズだった。自分達こそ中坊みたいなもの頼んでいるくせして偉そうな口叩かないで欲しい。第一そんなもので良いんならわざわざ珈琲屋に来る必要なんてなかったじゃないか。そうやって兄と蘭をそれぞれ一回ずつ睨んだら、私はマスターに向かって堂々と「カフェオレを」と呟いた。でも彼の背中が見えなくなると途端に兄は深い溜息をつく。

「テメェらはそれでいいかもしんねェが、オレは死んでも認めねェからな」

恐らく溜めに溜め込んだひと言だったのだろう。言い終えると兄はもう用済みだといわんばかりに背凭れへと寄りかかった。対する私はというとあまりに直球すぎて飲んだ水を少し吐き出してしまう。これを聞いて蘭はどんな顔してるのかな。見てみたいなと思ったけど、スカートがびしょ濡れで今はそれどころじゃない。

「何をだよ」
「決まってんだろ。ななこを悪の道に引き摺り込みやがって」

それを聞いて私は何も言えなかった。妹を想う兄の気持ちが痛いほど身に沁みてくる。でも対する蘭は変わらず傲慢な態度を貫いていて、堂々と足を組んでは目の前の兄をじっと見据えていた。怖くないのかあるいは余程自信があるのか。おそらく私は両方だと思っているけれど、どちらにしても火に油を注ぐような真似だけはしないでくれと願うばかりだ。

「何回言や分かんだよ」
「あァ?」
「だからー、俺んとこ来ようが来まいが、全部コイツの勝手だっつーの」
「ふざけんな! 俺はそうやって全部ななこのせいにしてるテメェにムカついてんだよ!」
「声おっきい! 飲み屋じゃないんだから」

しかしそんな願いは端から無理難題だったようだ。店内に誰も居なかったのが不幸中の幸いか。飲み物を運ぶマスターに軽く謝罪を述べた私は、いてもたってもいられずテーブルの下で兄の足をこっそりと踏んづけた。そして「痛ってーな」と返すその横顔をまじまじと眺めながら、つい数日前交わしたやりとりをぼんやりと思い返す。






冒頭の件がバレたちょうどその日のこと。
兄から呼び出しを食らった私は暴力以外の手でこっ酷くシメられた上、腹が減ったからという理由で中華料理屋へと連行させられていた。無言の車内。ただでさえ乱暴な運転がさらに荒ぶっている。その上到着したらしたで変に気を利かした店主がなぜかテーブル席へと案内するもんだから本気の本気で焦る。そもそも食欲なんてないし、きっと料理の味もしない。

「何か食うか?」
「……ミニラーメンでいい」
「ガキかよ」
「いいよガキで」

ラーメンとか餃子とか炒飯とか。手当たり次第に注文する兄を茫然と眺めながらも、それで気が済むのなら寧ろどんどん注文してくれと思った。めちゃくちゃ叱られたのには正直吃驚したしちょっとイラっともきたけど、多分兄も死ぬほどショックを受けたんだろうから申し訳なさの方が遥かに勝っている。というかそもそもこの程度で済んだと喜ぶべきなのかもしれない。かつて二度も厶所へと送られた兄、その狂暴さをいつの間にか忘れてしまっていた。

「で? いつから付き合ってんだよお前ら」
「……付き合ってない」
「あぁ? もっと腹から声出せ。何言ってっか全然分かんねェ」
「だから、付き合ってるかどうか分かんないんだってば」
「はぁ?」

店内に響く馬鹿でかい声。周囲の客が何事だと視線を寄越してくるものの、そんなことお構いなしの兄は一切トーンを抑えようとしない。

「じゃあ何なんだよ? セフレか?」
「ちょっとそんなおっきい声で言わないでよ、最悪! ……まぁ、別にそんなんじゃないんだけど、自分でもよく分かんなくて」
「だったら聞いてみりゃいいじゃねェか。本人によ」
「嫌だ」
「嫌だ? 聞き辛ぇってか」
「違う。ムカつくから」
「ムカつく? 何だよそれ」

わはは、とまたもや兄の笑いが木霊する。もう恥ずかしくて見ていられない。料理はまだ来ていないけど早くも店を出たくて出たくて仕方なくなった私は、せめて渾身のお咎めをと、兄の爪先をめいっぱい足で踏んづけた。

「……ッテぇな!」
「だってさ、都合の良い奴だと思われてたら腹立つじゃん。ただでさえ好き放題ばっかされてるのに」
「まぁな」
「それに先に手を出してきたのは向こうなんだから、私から聞くのもちょっと違うかなー……なんて」
「なるほど。だったら俺に任しとけ」

そう言うと兄はまた歯を見せて笑った。不気味なその顔が妙に怖くて落ち着かない。一体何を任せろっていうんだ。今まで兄に任せて良かった試しがあまり思い付かないんだが。まあ経歴はどうであれ一応気にはなるので「何?」と返事をしたら、今度は飲んでいたコップを力いっぱいテーブルに置くので中身がバシャッと溢れ出てしまった。慌てておしぼりで拭き上げる。そんな私に向かって兄は「俺が聞いといてやる」と自信満々に言った。

「は……はぁ? いいってそれは! 無理!」
「どっちみちいっぺん会ってぶっ殺さねぇと気が済まねーからな」 

何を言うのかと思えばまた恐ろしいことを。妹のことを考えているようで考えていない、そんな野放図な所に嫌気がさす。そうこうしている内にもテーブル上へ次々並べられていくこってり料理たち。色んな意味で腹がいっぱいになった私は、それを見ただけで激しい胃凭れに見舞われた。





でも、結局お兄ちゃんは何も聞き出せなかった。厳密に言えば一発殴ったはいいものの話にはならなかったようで、テキトーな蘭とすぐ手が出る兄とじゃそもそも埒が明かなかったらしい。それで最終的には自分で聞く流れになったわけなんだけれど、いざ聞いたら聞いたで蘭はこんな風に言った。「さぁ? 付き合ってんじゃね」って。そう軽めのノリで言われちゃこっちも同等にしか返せなくなる。それで冒頭、兄からの問いに対し「多分」となったわけだ。

「心配しないでよお兄ちゃん。どうせすぐに終わるよ」

だけどそれじゃ納得いかないので嫌味を込めてそう言うと兄は鼻で笑った。まぁ実際、このいい加減男に永遠付いていける自信もなかったし、結局すぐ別れる羽目になるんだろうなぁとは端っから思っていたんだけど。でもそしたら今度は蘭の方が腑に落ちなかったらしい、私のカフェオレを横取りしたかと思えば「オイオイそりゃ心外だな」そう言って口を付けた。

「俺けっこー一途だからよ」
「嘘つけ」「嘘ばっかり」

兄と突っ込みが被る。よくもまぁそんな適当なことを言えるものだ。女にとって嬉しいはずの言葉も、言う人の行いによってはここまで嘘臭く見えてしまうものなんだな。とはいえ一応私に興味をもってくれているのは確かなようなので、そこはとりあえずホッとはしている。でも色々と考えていくうちに、結局一番気になることをまだ聞けていないことに気が付いて何だかモヤモヤし始めた。無口でいると蘭に気付かれ、空かさずガンを飛ばされる。

「まだ文句あんのか」
「文句はない。……けど、聞きたいことはある」
「何だよ」
「私のどこが良かったのかなーって」

最大の疑問にして一番聞き辛かったこの質問。何となく今ならすんなり聞ける気がして思い切って口にしてみた。……のはいいものの、言った瞬間何言ってるんだろうとじわじわ恥ずかしさが込み上げてきて、最終的には耳まで真っ赤になっているのが手に取るように分かった。あれ。もしかしたら超面倒な女かも私。兄の見ている前でどんだけ馬鹿なこと聞いちゃっているんだろう。でもそうやって後悔していたら蘭はコーラを飲み干した後、さも当然のようにこう言った。


「顔」
「……か、顔?」

そこ。
兄と目を見合わせた私は思わず口を噤んでしまった。まぁ大事だよ、見た目は。大事だけどさ、もっと他にあるんじゃないの? 性格とか相性とか色々。それに近付いてきた動機がそれで、そのせいで事ある毎に振り回されていたのかと思うと何だか無性に腹が立ってきて自然と唇が尖った。横から聞こえてきた「軽っ!」という兄のひと言もなんだか物凄くムカつく。

「おい、文句あんのか? 望月兄妹」
「ううん。なーんにもない」
「オレは腹ン中で爆笑中」
「おいモッチー、ブッ殺されてぇか?」

相変わらず物騒な物言いのこの男。こんなんじゃ絶対長続きしないし今日一日すら危ういんじゃないかとも思う。兄も兄でわざわざ余計なことを言わなきゃいいのに、喧嘩を吹っ掛けられては案の定、癇癪筋を走らせている。そんな二人を交互に見ながらシレっとカフェオレを持った私は、溢れる溜め息と共にそれを無理矢理喉の奥へと流し込んだ。






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