私、兄、竜胆の三人が注目する中、蘭の投げた球がレーンの右寄りを滑走していく。あのコースじゃ無理。そう思ったものの、最後の最後で綺麗にカーブがかかり、結果見事なストライクをカマされてしまった。「マジかよ!」と天を仰ぐ兄。これが最終フレームだからスコア表はリセットされる。そこそこ頑張ったつもりだったけれど、兄弟ボウリング対決前半戦はこっちサイドの負け。その上目の前で悠々とハイタッチを見せ付けられ、私達二人は顔を見合わせるしかなかった。

「弱ぇーなァ望月兄妹」
「るせェ! まだ後半戦が残ってンだろォが!」
「往生際がワリぃぞモッチー」
「だからまだ負けてねェっつってンだろ!」

ひと際目立つでかい声。周りに見られてようが一切お構いなしの兄に肩を竦めながらも、「オマエも何とか言え!」と叱咤を浴びせられ唇を尖らせる。そりゃあ私だって言ってやりたいけど、自分が負けの原因を作ったようなものだから大きなことは言えない。ほぼガーターばっかりだったし、まさか二人がこんなに上手いとも思っていなかったし。だから小言を言う代わりに蘭へ睨目を向けたら、奴はヘラヘラしながら隣に座り肩を抱き寄せてきた。

「惜しかったなーななこチャン」
「全っ然惜しくない」
「まァ約束は約束だから。ヨロシク」
「オイ、何の話だよ?」
「気にしないで。前半負けたらジュース奢るって話」
「はァ? ジュース?」

「小学生かよ」と兄。その一言に蘭の方を向くと、含みのある目でジロリと睨み返された。軽い舌打ちが聞こえ、抱く腕にもグッと力が籠もる。そんな怖い顔しなくてもちゃんと分かってるって。奢る話にカムフラージュされたもう一個の罰の方、「前半戦もしも私が負けたらアレをしてあげる」って話。とはいえそれを他の二人には絶対に知られたくはないので、仕方なく目で合図を送る。でもそんな遣り取りを見ていた兄の目付きが一層険しさを増した。

「俺の妹に馴れ馴れしくすんじゃねェ。気分ワリぃ」
「あァ? 肩に手ェ乗っけてるだけだろーが」
「それをヤメろっつってンだよ。分かんねェのかバカ野郎」

強硬的な声色に一変する空気。その剣幕にちょっとだけ畏縮した私は、このままじゃマズいと思い密着する蘭の身体をやんわり向こうへと押し遣った。ガッツリと睨まれようが仕方ない。だって兄の怖ろしさは誰よりも一番よく分かっているから。とはいえ、バチバチした二人の視線はずっと顔周りを漂っていて、何とも言えない緊張感がじわじわと背中を行ったり来たりする。だから一緒に遊ぶのは嫌だとあれほど言ったのに。このまま放っておけばいつか手が出てしまいそうな雰囲気だし、こんな場所で殴り合いでもしようものなら警察沙汰になってもおかしくない。そうならないためにもとにかくこの空気を一回変えたいと思って、財布を小脇に立ち上がろうとしたら、あろう事か蘭がまた肩を抱き寄せてきて、耳元で小さく「抜けようぜ」と呟いてきた。

「(い、今?)」
「(今)」
「(今はヤバイって)」
「(今じゃねェと罰の意味ねーんだけど)」
「おい、テメェらコソコソすんな」

そして案の定、兄の声がさらに低くなる。もう怖すぎて直視できない。目付きはもう喧嘩前さながらだし、ちらっと見えた腕には血管がボコッと浮き出てきている。だが怒るのも無理はない。だってこの緊迫した状況の中でわざわざ怪しまれるような態度を取っているのだから。とはいえこれ以上兄を怒らせたくないし場の空気も乱したくはないので、「だから飲み物の話だってば」と嘘を付いた私は半ば強引に席を立った。隣で見ていた竜胆がふっとこちらを向く。

「私買ってくる。何がいい?」
「炭酸系」
「お兄ちゃんは? 何飲む?」
「……俺も炭酸でいい。金は後でやる」

無理矢理話題を変えられ不機嫌そうな兄。かたやそんな様子を鼻で笑った蘭は、私の財布を取り上げるや否や自らも軽い腰を上げた。「返してよ」と手を伸ばすもののヒョイとかわされる。

「じゃ、あと頼んだぜ竜胆」
「まじかよ」
「おい、自販機に二人もいるか?」
「妹が悪い奴に絡まれたら困るだろ? お兄チャン」
「よく言うよ」

睨む私の尻ポケットに手を突っ込んでくるいい加減な男。そのまま歩くよう促してきたので、渋々前へと歩みを進める。でも、後ろで見ているであろう兄の方だけは絶対に振り返ることが出来なかった。今どんな表情をしているのか、想像するだけでも恐ろしい。それに、今から私がさせられる事を知ったら兄はどうなってしまうのだろう。その修羅の形相を思うと身も心も悶え、しばらく震えが収まらなかった。







「テメェら遅ッせェんだよ! もう終わっちまうぞ!」
「ごめん……」

慌てて戻ったものの、ゲームは最終フレームを残すのみとなっていた。舌打ちをかます兄に何度も謝ってコーラを手渡し、躊躇いがちに隣の席へ腰を下ろす。少し後からやってきた蘭は何食わぬ顔でスコア票を眺めると、表情を変えないまま竜胆の肩に手を置いた。

「おい、何負けてんだよ」
「ワリぃ兄貴……。単独だと案外強ぇんだよモッチーは」
「そーゆーこッた。テメェら負けたら飯奢れ」
「は? そこはフェアにジュースだろ。桁が違ェじゃん」
「知るか! 死ぬ程食ってやっから覚悟しとけ。だろ?ななこ」

そう言いながら肩に腕を回されズッシリと重みがかかる。でも今は物凄く気まずいのでなるべく目を合わさないようにしていたら、何を思ったか兄はわざわざ私の顔を覗き込むように見てきた。観察するような視線が痛い。しかもその目は何故だか口元へと真っ直ぐに向けられていて、必死に何かを考えているように見える。

「……オマエ、何か食ってきたのか?」
「えっ?」
「付いてる」
「……付いてる?」

困惑していると、ちょうど唇の横らへんを指差し「ここ」と教えられる。まさか。その瞬間、背筋に途轍もない緊張が突っ走る。ちょっと待って。冗談でしょ。二人で見つめ合ったまま、しばし無言の時が流れる。そして恐る恐る指で拭い取ってみると、案の定、白くてドロッとした液体がべっとり付着していて思わず「ひっ」と声が漏れた。蘭をチラ見すれば、面白そうに笑みを浮かべている。まさかあの男、最初から拭き忘れに気付いていた? 焦りや怒りが入り乱れ、胸が爆音を鳴らし始める。

「ちょっ……とだけ食べてきた」
「ちょっとだけ? 何をだよ」
「……何でもいいじゃん別に」
「はァ?」

兄の眉間に皺が寄り、腕にもグッと力がこもる。どうしよう、冷や汗が一向に収まらない。お願いだから私のことなんか放っておいてと願うものの、兄の視線は未だ目と口を交互に行き来している。しかもなにか言ってよと蘭に目配せをしたら、奴はあろう事か「あ、トイレにケータイ忘れた」とワザとらしく呟いた。どうして今それを言うの。バレたら殺されるかもしれないのに。とはいえ兄が頑張ってくれたおかげで後半戦の罰はなんとか免れそうだから、とりあえず今だけは大目に見てあげることにした。





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