思ったよりも買い出しに時間がかかってしまった。
辺りはもうすっかり暗くなっていて、行く先を照らすのは等間隔に立つ小さな街の灯りのみ。それだけでも十分薄気味悪いのに、さらに追い打ちをかけるように鴉の大群が一斉に夜空を飛び立っていく。さっきまでちらほら居たはずのすれ違い人ももう誰もいない。つまり、今私は夜道にたったひとりっきり。

「(こんなはずじゃなかったのになぁ……)」

まさか、あれほど長時間立ち話する羽目になってしまうとは。婆やに頼まれた野菜や衣類、薬たち。それを買うだけならそこまで時間はかからなかったのに、最後の目的地である八百屋を出たその瞬間、同じく藤の花の家紋の屋敷の奥さんに「あら」と声を掛けられたのだ。うちよりも街寄りに住む、嫁入者にしては華やかで洒落ている人。気立てが良いし手際も良く、決して悪い人ではない。ないんだけれど、ひと言で言うならばまさにお喋り好きな女子という感じ。奥さんといってもまだまだ若く、歳は私の倍くらい。そして話す内容は決まっていつも鬼殺隊員のあれやこれや。

「(どこの誰が男前かなんて、別に知りたくもないよ……)」

庚のあの人が美男とか、丁の誰々に話しかけられたとか。それくらいの年頃の女子なら無理もないのだろうけれど、ここまでくると最早それ目的で屋敷に嫁いだのではないかと思ってしまうくらい隊員との接触を随分と楽しんでいる様子。この間だって位の高そうな人と腕を組んで歩いていたし、挙げ句の果てには「貴方は今良い人いないの?」だなんて調子のいいことを言って。良い人とか、私まだ十五なのに。毎日洗濯や炊事をこなしているだけでもう一杯一杯だよ。でもまぁそんな苛々した気持ちのお陰で恐怖が少し薄らいだ。要は気の持ちよう、別のことを考えていればいくら暗くたって怖くはない。
と、思ってはみたものの。

「(……やっぱり、怖いものは怖いよ)」

屋敷の集落に入ると空気は一変した。
別に何がという訳ではない。景色はいつも通りだし、街灯だってちゃんと点いている。ただなんとなくだけれど、言葉では言い表せないような身に纏わり付くずっしりとした重みを感じる。なんだか、ここに居ちゃいけないような雰囲気。早く帰らなくちゃ。そう思いながらも、曲がり角にさしかかったちょうどその瞬間、塀と塀の間に、影のような大きな塊が見えた。

「(? なんだろう、あれ……)」

さっきよりも暗さが増して、目を凝らしてもよく見えない。こんな時間だし、最初は犬か何かかと思っていたけれど、近付けば近づくほど、その姿形が鮮明になってくる。動物にしては大きすぎるし、なんだか匂いも猛烈だ。もしや酔っ払いか? なんて一瞬呆れかけたけれど、やがてその正体がはっきりしてくるや否や衝撃のあまり足が止まった。

「ひ、人? 死んでる……!」

あちこち欠損した身体にどす黒い血液。ぽかんと口を開いたまま動くことのない表情。断面に残された牙の跡を見る限り、これはどこからどう見ても鬼の仕業だった。黒く見えたのは影じゃなくて隊服。つまりこの人は鬼殺隊員。巡回中に襲われたのか? それともここへ捨てられたとか? どちらにせよ相手はただの鬼じゃなく、隊員ですら死に至らしめるような力を持った鬼。恐怖のあまり後退りしようとしたら草履が脱げて尻もちをついた。起きようにも起きられず、唾も上手に呑み込めない。

「どうしよう……、早く、早く知らせないと……」

そう思い、動かない身体を懸命に摺って進む。しかし――

『知らせる必要はない』

いきなり声がしたかと思いきや、なんと暗闇の中から醜い鬼が現れた。口の周りを血で濡らし、人の脚を片手に薄ら笑いを浮かべている。きっとこいつだ、さっきの隊員を襲ったのは。口がきけるってことは相当地位が上なのかもしれない。『お前もすぐに此奴と同じ所に逝かせてやる』そう言う目は血走っていて、逸らすことなくこちらに向けられている。

「や、やめて……食べないで! 美味しくないから!」
『そんなの喰ってみないと分からないだろ』
「い、嫌……屋敷で婆やが待ってるのに」
『ならそいつも後で喰っといてやるよ』

ああ言えばこう言う、じりじりと押し迫る鬼。卑劣そうな顔をして、きっと恐怖に慄く人間の顔を見て楽しんでいるに違いない。キッと睨んでやれば、持っていた足を放り投げて私の腕を掴み出す。ああ、悔しい。こんな奴に喰われて死んでしまうだなんて――。
幼い頃、父と母を鬼に喰われた私はただひらすらひもじい思いをしながら毎日をやり過ごしてきた。ある時祖父までをも鬼に喰われ、鬼殺隊への入隊を望んだものの、首を斬れるだけの握力や体力が無くやむを得ず断念。唯一出来る事といえば家事全般しかなく、生き残った祖母と二人で屋敷を守るしかもう残された道はなかった。今だって、腕を齧ろうとする鬼の手も振り払えず、ただ泣きながら見ていることしか出来ない。そう思っているうちにも鬼の牙は着物を貫き、皮膚にめりめりと食い込んでいく。ああ、もう駄目だ。死を真直に感じ、覚悟を決めぎゅうっと目を瞑って痛みを待つ。
――だが。

『ぅっ……』
    
「……?」

妙な声がして顔を上げてみたら、なんと鬼の首はもう既にそこには無かった。正確にはすっぱりと切り落とされて、足元にころんと転がっていた。何事かと真上を見れば一羽の鴉が旋回していて、どうやら誰かに居場所を知らせていたらしい。役目を終え屋根の上へと下り立っていく。やがてうなじにはふんわりと霧みたいな冷気が。恐くて後ろなんか振り返れない。

「知らせが途絶えたから来てみたら。こんなのにやられるなんて」
「!」

声変わりした低めの音吐。そうして視界に現れた私と同じ年頃の男の子は、刀先の血を払い落とすや否や深い溜息を吐いた。労いの言葉でも供養の言葉でもなく、酷い罵り言葉と共に。隊服を着ているということは同じ鬼殺隊員なはず。悲しみ、慈しんであげるのが普通なんじゃないだろうか。なんて冷酷な人だ。それが無一郎に対する私の第一印象。その上向けられた視線があまりにも冷めていたから思わずこちらも睨んでしまい。

「こんな真っ暗な中うろついて。死にたいの?」

私達は、何とも険悪な邂逅を果たしたのだった。





桜の花びらが雨みたいに降り頻る縁側。
そこに並んで腰掛けながら、三色団子を頬張る無一郎に出会った時のことを話してみた。傍には日輪刀と銀子が。何もかも初めて会った時のまんまで安心する。忘れもしないあの日のこと。あの時助けて貰わなければ、私は今、ここにはいない。

「よく憶えてない」
「……そっか。そうですよね」

もぐもぐと口を動かす無一郎は桜の木を見ながら首を傾けている。まぁ覚えていないのも無理はない。聞いた私が悪かったと釣られて団子を食べたけれど、なにやら興味をもったらしい、隣から痛いくらいに視線を感じる。すると、

「それで、ななこはどう思ったの」
「……私ですか?」

なんて聞いてくるものだから思わず素っ頓狂な声が出た。だって無一郎のことなら「相変わらずだね」とか「死ななかったことを幸運に思いなよ」とかそういう遠慮のないことを言うんだろうなと思ってい たし、そもそも私の気持ちに興味があるなんて一切思っていなかったから。柱の座に就いて少し変わったのかなぁなんて思いながら上辺では平然を装いつつも、頬張った団子をゆっくりゆっくり喉へと運んでいく。さぁ、どんな風に返そう。率直に言った方がいいのか、悪いのか。きっと常人相手なら逆の事を言ったり少し包んだ言い方をするべきなのだろうけれど、彼の場合頭がいいし鋭いから嘘なんてすぐに見抜かれてしまう。だったら、下手に柔らかく言うよりかは、その時感じたことをありのまま声に。

「冷たい人だなー、って」
「……そう」

なのに、まさかそんな小さな声が返ってくるとは思いもしなかった。口を閉ざした無一郎は桜を見たまま何やら考え込んでいるらしい、湯呑の中に落ちた花びらにも多分気付いてはいない。対する私はというと、何だか悪いことをしてしまったような気がして銀子に団子を啄ませ気を紛らわしている。余計な事言わなきゃよかった、傷付いていたらどうしよう。そうやって一時は後悔しかけたものの、返ってきた言葉は案外予想とは違うものだった。

「僕は間違ったこと言っていないと思うけど」

そう、私が思っていたよりも無一朗は冷静だしあっけらかんとしていた。さすがは天才と呼ばれるだけあってさっぱりしているし表情も無のまま。きっと誰にどう思われてようが気にもならないんだろうな。なんて乾いた現実に少しだけ寂しくもなった。
けれど、

「次そんな時間に出歩いたら承知しないから。万が一外へ出る時は必ず僕に言うこと、いい?」
「それは駄目ですよ。ただでさえお忙しいのに余計な心配をさせる訳にはいかないですから」
「じゃあ鬼に遭遇したらどうするの? 逃げるなんて無理だよ」
「大丈夫です。今度は明るいうちに帰りますので」
「これは柱命令だよ。異論は言わせない」

時たまこうして意地っ張りな事や生意気な事を言ったりもするから、やっぱり無一郎の思考回路はそこら辺にいる同年代の男の子とさほど変わりないんだな、と思った。そういえばしのぶさんも言っていたような、思春期がどうのこうのって。だからもし、もしも私達が鬼のいない平和な世界に生まれていて、生い立ちも境遇も何もかも違っていたとしたら、きっと、刀なんか握らず普通に生活して、普通に遊んだり普通に恋したりしていたんだろうなって。

「分かったなら返事」
「はい」
「……ねぇ、何笑ってるの?」
「え? 別に笑ってなんか……」

だけどそんなありもしない日常を思うと何だか無性に照れ臭くなって、躊躇いがちに目を合わしたら なぜだかすぐに逸らされてしまった。銀子の鼻息がい つになく荒い。もしかしたら変な奴だと思われちゃったかも? なんて焦り始めた私は、横でお茶を花びらごと飲み干した無一郎に全く気付くことはなかった。








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