「クリスマス・ダンスパーティーが近づきました。これは三大魔法学校対抗試合トライウィザード・トーナメントの伝統でもあり……」

教室の中央で意気揚々と指南するマクゴナガル先生。その横顔をぼんやり眺めている最中、友人にこっそり肘付きされハッと我に返った。やばい、何を言っていたか全然聞いていなかった。

「ダンスパーティーは大広間で、クリスマスの夜に始まり夜中の十二時に終わります。ところでこのパーティーは私たち全員にとって髪を解き放ち、ハメを外すチャンスです!」
「(ダンスパーティー? ハメ外すチャンスってなによ……)」

どよめく生徒達に混じり唇を尖らせる。このトライウィザード・トーナメントの中で最も厄介なダンスパーティーが序開を迎えてしまった。代表者が技を競う大会なのにダンスなんてやる必要あるんだろうか。ロンが犠牲になりムーディーな音楽が流れる中、やる気の湧かない身体を友人の肩へとそっと預ける。

「誰かテキトーに誘ってくれないかなぁ」
「何言ってるの? ラン君がいるじゃん」
「いや、あの人が真面目にダンスパーティーなんか参加すると思う? わざわざドレスローブ着て?」
「……まぁ」
「今全っ然違うこと考えてるよきっと」

そう言いながら向かいの席へ視線を流すと、タイミングよく本人と目が合ってしまい慌てて顔を背ける。同じく目をやった友人もすぐに俯いて「うわ、めちゃくちゃガン飛ばされた」と気まずそうに呟く。あんな奴が真面目に踊る姿なんて想像出来ない、というか想像する気も起きない。だって今までこうした行事ごとをまともにこなした例なんて一度も無いのだから。

「四年前のあれ覚えてる? ほら、入学式の時の」

そう言うと友人は顰めっ面に。「あれ」とはちょうど式真っ最中に起きた悪夢。私の寮が決まるっていう大事な局面に、つらつらと前置きが長い組み分け帽子に向かって「さっさとしろよボロ切れが」なんて野次を飛ばしたランが、結果帽子を被る前にスリザリン行きを言い渡されたこと。信じられる? 入学初日にだよ。怒った組み分け帽子の震えようは今でも忘れられない。

「(まぁ、それがなくてもきっとスリザリン行きだろうけど)」

そんな調子だから万が一、万が一誘ってきたとしても絶対に裏があるに決まっているし、下手に乗ってしまったらいつもみたく辱めを受ける可能性が高い。だからそうなる前にさっさと候補から除外して、別のパートナーを探す方が百倍賢明だと私は考えている。なんてったって、一人取り残されるのだけは絶対に御免だから。

「案外さ、面白がって参加してくれるんじゃない? 決め付けるのはまだ早いって」
「面白がる? ないない。絶っ対ない」
「でも聞いてみないと分からないよ?」
「だって見てよほら、あの超ーつまんなさそうな感じ」

そう言いつつ友人の顔を向こうへ向かすと、ちょうど欠伸真っ最中のランがバッチリ瞳の中に映り込む。まぁ、興味ないのは痛いほど分かる。分かるんだけれど、ロンが目の前で一生懸命に踊っているんだからせめて見てあげるくらいしたっていいじゃないか。暢気に三つ編みなんか結い直してないで。隣のリンドウに至っては俯いて寝ちゃってるし。どれだけ冷たい兄弟なんだ。

「せめてもう少し真面目だったらなぁ」
「何言ってるの今更」
「だって相手が真面目ならこんな悩む必要ないんだよ?」
「もうそんなこと言ってないでさ、思い切って自分から誘っちゃえば? 一緒に出ようよって」
「女から誘うとか最悪じゃん」
「分かるけど。早くしないと取られちゃいそうだから言ってあげてるの。ラン君は引く手余多だろうし、向こうにやる気が無いなら尚更」
「もう脅かさないでよ」

能天気に笑う友に凭れ、深い長い息を吐く。こっちの気も知らないで勝手なことばかり言って。そう思いながらも、踊るロンを見るフリしてさり気なくランの方をチラ見する。何をしているのかと思えば、まーた暢気に伸びなんかして。あの様子じゃ、先生の話を聞いているどころか今何の授業をしてるのかもよく分かっていなさそう。せっかく今の曖昧な関係を変えるチャンスだと思っていたのに。なんて、どうでもいいことばっかりあれこれ考えていたせいか、終わるまでの残り数十分間、ずっとソワソワと落ち着かないままだった。





――翌日。

「どうしよう間に合わないよ!」
「大丈夫だから急いで!」

占い学の教室まであと少し。友人の手を引き人混みを掻き分けながら、長い廊下を無我夢中で直走(ひたはし)っていく。急がなきゃトレローニー先生がもうすぐ後ろまで迫ってきている。遅刻しようものならあの分厚いメガネでガン見されて、きっと知りたくもない未来を勝手に占われてしまうんだ。そんなの絶対嫌だ。嫌なのに―――

「こんな時瞬間移動さえ使えたら……」
「ダメだよ! 失敗したらバラけちゃ……ぅっ!」

間抜けにも私は、前方からやってくる人物に勢いよく突っ込んでしまった。悲鳴と共に宙を舞うテキスト。これはやばいと咄嗟に受け身を取ったものの、予想以上に相手の身体が分厚くて弾かれそうになった上、そのまま抱き留められて危うく舌を噛みかけた。わずか数秒のうちの出来事。しばらくして顔を上げれば、目に映ったのは見慣れない制服に厳つい容貌の。

「ごめん。大丈夫?」
「あ……、はい」

――この人確か、パフォーマンスの時に火を吹いてた人だ。「次、ダームストラング専門学校!」、ダンブルドア校長の声が微かに脳裏を過ぎる。そんな強面の彼は固まる私を見てギョッとしたらしい、慌てて身を離し申し訳なさそうに毛皮帽を外してみせた。謝ることなんてない。むしろ悪いのは私の方だからとすぐに言おうとしたけれど、未だ興奮冷めやらぬせいか思ったよりも声が出ない。一方で、

「本当に? 怪我はない?」
「私は大丈夫だけど……むしろそっちの方が」
「オレ? 俺は見ての通りだよ」

君を受け止めるくらいどうってことないさ。そう言いながら笑う彼は私に代わりローブの乱れを整えると、なんと散らばったテキストまでご丁寧に拾い上げ始めた。思わず顔を見合わせる私達。こんな優しくて親切な男子がこの世界にいたなんて。

「ほら、君のだろ」
「あ、ありがとう」

おまけに紳士的とか。かたや我がホグワーツの男子連中といったら……とりわけスリザリンの誰かさんのことだけど、卑怯で傲慢な上意地悪いなんてもう救いようがない。きっと同じようにぶつかったとしても 「前見て歩けバカ」とか「邪魔だコラ」とかしか言わないんだろうな。テキストなんか拾うどころか逆に踏みつけてくるだろうし。んなもんテメェで拾えとか何とか言って。かたや彼から手渡されたテキストは羽のように軽い。なんなんだろうこの差は。ダームストラングといったら確か純血しか入れない超エリート校だったと思うけれど、中にはこんな良い人もいたんだなんて思ってしまうくらい今の私は彼奴におおらかじゃなくなっている。

「そのカラーは確か、グリフィンドールだっけ? 合ってる?」
「正解。よく知ってるね」
「ホグワーツの事は来る前に調べた。ハッフルパフにレイブンクローにスリザリンだろ? それに……君のことも覚えてる。セレモニーの時目立っていたからね」
「目立ってた? 私が?」
「他の生徒は皆こっちを見ていたのに、君だけ別の方を向いていたから」
「……あぁ」

しかもなんて観察力なんだ。あの一瞬のうちに私のことを憶えてしまうなんて。でも一番憶えられたくないところを憶えられたかもしれない。だって私がそっぽを向いていたのは、ただランがボーバトン魔法アカデミーの女子をガン見していたのが気になっていただけなんだから。とはいえこんな真面目な会話を異性としたのはいつぶりか分からない。毎日ふざけたことしか言われないし怒ってばっかりだからめちゃくちゃ新鮮だし心も躍る。それに何だか気も合うようだし。

「ホグワーツの中は迷路みたいだね。廊下へ出るのに十五分もかかったよ」
「階段は動くしどこも入り組んでるから。私でさえ未だによく分からないんだもん」
「本当に? じゃあ俺はむしろ早く着いた方かな」
「ちょっと……ななこ」

でも友人はそんな私達に納得いかないらしい。会話を遮り授業遅れるよなんて言って手を引いてきたかと思ったら、めちゃくちゃ怖い顔で彼のことを睨み付けていた。どうしてそんなムキになるんだろう。別に悪いことをしている訳じゃあるまいし、ちょっとくらい立ち話したっていいんじゃないかな。そう思い言い宥めてみたんだけれど、どうやら彼の方も邪魔されたのが心外だったらしい。後をつけてきては話を続けたがる。

「ねぇ君、明日また話せないかな?」
「明日?」
「二人で待ち合わせて……どこでもいい、図書館とか」
「図書館ね。……うん、いいよ」
「本当に? よかった。何時がいい?」
「ダメダメ。早く行こうななこ」
「あっ……ちょっと!」

なのにそれすら許すまいと足を速めた友人は、距離が開いたのを確かめるや否や私の両頬をめいっぱい引き延ばしてきた。まるで出来の悪い子を咎める母親みたいにして。通りすがりのフレッドとジョージが「かわいそうに」と口を揃える。

「痛い! 痛いってば!」
「ちょっと、何やってんの」
「何って……何が?」
「とぼけても無駄。怒られても知らないよ」
「怒られる? これくらいどうってことないでしょ」
「バカなこと言わないで。ラン君に見られてなかっただけでも幸運だと思って」

浮気だよ? 分かってる? そう言われてムッとした。浮気って、まだ付き合ってすらないのに。第一ランだって毎日のようにスリザリンの女子からチヤホヤされまくっているんだからこれくらい許容の範囲じゃないか。近寄りたくても近寄れないこっちの身にもなってみてよ。そう思い半ば自棄になって振り返ってみたら、なんとちょうど彼も同じタイミングで振り向いてきたのでもう心臓が爆発してしまうかと思った。その上目が合った瞬間「ダンスのパートナーは決まってる?」と叫んできて。やばい。それに気付いた友人が空かさずガンを飛ばす。

「何あいつ! さっさと行けばいいのに」
「……」
「もう絶っ対に振り返らないで」
「わかったから手離してよ」
「ダメ!」

あまりの言い切りように口を噤むしかない。もうこの子ったら、ホグズミードでの一件以来私とランの仲を応援してくれているのは本当にありがたいんだけれど、ちょっとでも異性と仲良さそうにしていると今みたいに横槍を入れてくるから正直気が抜けない。多分余程嬉しかったんだと思う。ピンチの時、彼ら兄弟に助けられたことが。それまでとんでもなく悪い奴らだと思い込んでた分余計にね。
まぁとにかく、私のどうしようもない頭は今彼が言った言葉で埋め尽くされているわけで。思い出すだけで顔はニヤける話は耳朶は熱くなるわ、もう救いようがないほど自惚れてしまっている。もし、明日彼から正式にお誘いがあったら? どうする? そりゃあ願ってもいないことだしきっと何にも無ければ即オーケーしちゃうんだろうけれど、困ったことに私の頭の中の何かが全力でそれを拒もうとしている。なんでだろう。ランが気になるから? それとも友人に止められたから? 私は一体どうすればいいんだろう。そんな葛藤を胸にまたシレっと振り返ろうとしたら、痺れを切らした友人にもう一回頬を思いっ切りつままれた。





そんな日の夜のこと。

「ねぇ見てよあれ。綺麗だと思わない?」
「え? ああ……うん。確かにね。キレイかも」
「なにその歯切れの悪い返事」

フリットウィック先生の飾り付けにうっとりする者としない者。ただのクリスマスならきっと私も前者なのだろうけれど、今はとてもじゃないけれどそんな気分にはなれない。だってあの後授業はギリ間に合わなかったし、ランとは口を利くどころか目すら合わさないまま夜を迎えてしまった。モヤモヤを鎮めようと夕食に来てみれば、大イベントを前に妙にザワつく大広間。皆考えていることは同じだねって友人は暢気に笑っているけれど。

「あ、このキッパー美味しい」
「味なんてしないよ」
「味しない? 具合でも悪いの?」
「そういうわけじゃなくて」

なんでそんなに余裕なんだと項垂れる傍ら、彼女の楽観的な性格を羨ましくも思う。私なんて昨日から色々ありすぎて心が折れそうだっていうのに。いっそのことロックハート先生みたいに記憶を失くしてしまえたらどんなに楽になれるか。……嘘、さすがに言い過ぎた。忘れたくないことも中にはある。

「ほら、これ食べて元気出しなって」
「だから食べても味しないんだってば」

大好きなはずの糖蜜パイも全く喉を通らない。それどころか、気が重すぎて喋ることすら段々と億劫になってくる。浮ついていた数時間前の自分があまりにも疎ましい。まさかあの直後、ジワジワと地獄の方へ引き摺り込まれる羽目になろうとは。

「でも凄いよねー、トレローニー先生の占い」
「感心してる場合じゃないんだけど」
「だってあれだけ当たるってヤバいよ。どうせなら私も占ってもらえばよかった」
「なんか今のグサッときたかも」

込み上がる溜息をパイで押し戻す。占いというのは先の授業前、遅刻した私達への半ば警めとして先生が為(な)したもので、前にハーマイオニーが酷いこと言われたっていうのを噂では聞いていたものの、まさか自分も同じ目に遭わされるなんてこれっぽっちも思わなかった。

――そう、あの時。先生は着席した私の目の前にそろそろとやってくると、メガネ越しに目を見開きながら、躊躇なくこう言った。

「そこの貴方」
「……私?」
「二つの若き魂に言い寄られて悩んでいるのでしょうが、時計の針はこれ以上貴方のことを待ってはくれないわ。さっさとやるべきことをやりなさい。さもないと辛い結末が貴方に襲いかかるでしょう。悪夢への道はもう既に開いているのよ。……お分かり?」

それを聞いた私は一瞬で蒼褪め、隣の友人は黙ったまま俯いた。何を言い出すかと思えば、赤の他人でも分かるような内容を平気な顔でつらつらと。唇を噛んでそっと振り返れば、いつもは寝ているくせしてこんな時に限ってランの目はちゃんと開いている。テーブルの脚をトントンして、まるで看守みたいなおっかない顔でジッとこっちを見下ろしている。最悪だ。知られたくなかった。本当は言うつもりなんてなかったのに。あの様子じゃ大いに勘違いしているだろうな。私がなかなか返事をしないのは、もう一人、そういう相手がいるからなんだって。

「今に何とかなるって」
「ならないから困ってるの。あーあ、もう明日図書館行っちゃおうかなぁ」
「あの人はダメ」
「なんでよ」
「ななこには合わない」
「合わない?」

そう言うと、ななこにはもっと悪い男の方が合っている気がすると意味深な返しが。悪い男って誰よ。ひとりしか思い付かないのだけれど。ていうかパーティーなんて一時的なものだから誰と出ようが別にどうだっていいんじゃないか。――って、まるで自分自身に言い聞かせているようで何だかちょっぴり悲しい。そして何気なく横の方を見れば、まるで追い打ちをかけるようにロジャーがフラーをダンスパーティーに誘っていた。あぁ、私もあれくらいサラッと誘われたかったな。しかもそうやって突っ伏す姿が余程目に余ったのか、頭上からいきなり声を掛けてくる人物が。見るとそこには半透明な見知った姿。調子はどうかね? なんて聞いてくるおせっかいなゴースト、彼の他に誰もいない。

「別に変わりないよ」
「おやおや? その割には表情が暗いようだが」

そう言いながら音も無く寄ってくるサーニコラス。いくら透けているからって心の中までは見透かさないで欲しい。と、本音まではさすがに言えなくて気のせいだよと答えた私は、パイを齧るふりをして彼越しにスリザリンの方をチラ見した。こっちの存在に気付いているのかどうかは分からないけれど、ランの周りには相変わらず派手な女子がうろちょろしている。

「何か嫌な事でも?」
「そういうわけじゃないんだけど」
「では悩み事かね?」
「うーん……」

適当にはぐらかすものの、ニコラスは引くどころか寧ろ興味津々な様子。彼の性格から察するに、恐らく話の内容を聞くまではこの場から離れないつもりでいるのだろう。とはいえゴーストのことは信用していいのか悪いのか未だによく分からない。きっと生徒達のあれこれは長年見尽くしてきているんだろうけれど、今の自分にとっては世話を焼いてくれるのはありがた迷惑というか何というか。

「さぁ言ってごらんなさい。世の中には言って楽になることだってあるのだから」
「そうそう、せっかくなら相談してみようよ。色んな角度からの指摘があった方がいいに決まってるって」
「ちょっと。笑いながら言うのはやめてよ」

かといって友人が当てになるかといえばそうでもなく、代わりに話してあげると言って意気揚々と喋り出す姿はまるでジョークを言っているかのよう。そんな者達に挟まれた人間が自棄になるのはもう当然の流れで、自らの現状に疲れた私は半ば他人事のようにカボチャスープを静かに啜っていた。相変わらず甘くて美味しい。でも初めから味になんか集中できるはずもなく。

「……成程。で、明日がその約束の日だと」
「そう。でもこの子が行くなって言ってきかないから」
「当然でしょ? やるべきことやってからじゃないと」
「あのさぁ、先生みたいなこと言わないでくれる?」

そう貶しつつもシレっと向こうへ顔を向ければ、半日ぶりにランと目が合ってしまい吃驚して慌てて視線を逸らした。もしかしたら今のわざとらしかったかな。隣にいた女子が中指を立てていたような気がするけどあれって見間違いか何か? 関係ないくせに偉そうな女だ。

「うむ。悩んでいるという事はそれだけ彼に対する思いが強いということ。まずすべきはお誘い……いや、返事であるな」
「こんな悪条件の中返事しろっていうの? ムリムリ。絶っ対嫌」
「そんな事言ってラン君取られても知らないからね。他の子に目移りしたらどうするの?」

なんて言うものだからもう一回彼らの方を見れば、和気あいあいと楽しそうにお喋りする姿が目に映りチクリと胸が痛む。それだけじゃない。女子に抱かれた腕を振り解きもせず、あえて私と同じカボチャスープを飲むランのその行動が妙に不安を煽る。あの様子だと、もしや目移りする以前に私のことを嫌いになってしまっている可能性も無きにしも非ず。そうなったら返事どころか、今後普通に喋る事すらままならなくなってしまうかもしれない。そんなの絶っ対嫌に決まっている。なのに、口から出てくるのは薄っぺらい嘘や強がりばっかりで。

「……それならそれでいいよ。あんな子達には初めから勝てっこないから」
「自棄になっちゃ駄目。一番付き合い長いんだから自信持ちなって」
「そうだとも。ミスナナシほど佳麗で清々しいレディはそういないのだから」

必死にフォローを入れてくる二人。でもいくら褒められようと 今はこれっぽっちも響かない。ただ頭の中に渦巻き始めたのは、もっと早くに返事しておけば良かったっていう後悔と、ランにそっぽを向かれたかもっていう深くて激しいショックだけ。この状況になってやっとそう思うなんて、どれだけ脳天気なお馬鹿ちゃんなのだろう私は。ちゃんと言う事を聞いていれば良かった。自分で蒔いた種なくせして本当、何やってるんだか。

「……最低」
「え? 今なんて言った?」
「……ううん。なんでもない」

しかもこうなってみてようやく気が付いたけれど、多分私はずっとずっと前から、ランの取り巻きの女子たちに深く嫉妬していたんだと思う。その証拠に今も気が付けば目で威嚇しているし、本当は蹴り飛ばしてやりたいくらいに苛々している。告白されたのはもちろんとても嬉しかった。でもその後も彼女らのランに対する態度は変わらないし、ランの方も変えようとしないから納得なんていくわけがなくて。だから返事を遅らせて気を引いたり、わざと浮気まがいなことをやってみようとしたり。でもそれを自覚したら情けなさすぎて涙が出そうになったから、ニコラスを払い除けると私はひとり大広間を飛び出した。友人の制止を無視し、ランの目の前を横切りながら。廊下へ出ると空しさが込み上げてどっと涙が溢れてくる。どうしよう。もうこれで終わりなのかなぁ。拭いても拭いても涙が止まってはくれない。いつから私はこんな弱々しくて女々しい魔女になってしまったのだろう。

「……うわっ。何これ」

そして寮に戻り鏡を見ると醜い顔の奴がいた。鼻水は出ているわ、目もアッシュワインダーみたいに赤いわ。せっかく今夜チョウたちとお菓子パーティーをする予定だったのにこんなんじゃ出られっこない。仕方なく部屋のドアをそっと閉めた私は、布団に包まったまま大人しく夜を過ごすことに決めた。





――だが、運命の時は突然やってくる。

一夜明けて。私はモリーを抱えたまま廊下の隅に仁王立ち、彼奴が通るのをただひたすら待ち受けていた。道行く生徒たちの目なんて気にしない、そのあまりの怒りっぷりに友人からは昨日のは別人? なんて揶揄され。でも別人だろうと何だろうと、とにかく今は彼奴に一言文句を言わなきゃ気が収まらなかった。

「ちょっと!」
「あ?」

優雅に通り過ぎていく奴の手を掴み、グッと手前に引き寄せる。仏頂面したランは相手が私だと分かると途端に目付きを変え、「何だオマエか」とぶっきらぼうに呟いてみせた。何だオマエか? 白々しい。その眠そうな目にもよく見えるよう、モリーを掲げてめいっぱい見せつけてやる。

「ランの蜘蛛、私の猫の首噛んだでしょ」
「……」

首元に付いた血と噛み跡。長い毛が真っ赤であまりにも痛々しい。これに気付いたのは昨日夜遅く、いつものようにスリザリンの寮へ向かったであろうモリーが早々のうちに戻ってきたと思ったら、珍しく擦り寄ってきて何やら呻き声を上げ始めたのだ。一体どうしたのかと毛を捲ってみれば深い傷跡があって、きっとマダム・ポンフリーに塗薬を貰わなければ痛みでろくに眠れなかったはず。よくもまぁこんな酷いことを。蜘蛛とはいえ人の頭くらいデカい上、牙もナイフみたいに鋭い。ペットってよく顔が似ると言われるけれど態度や性格まで飼い主に似てしまうものなのか? それとも似た者同士引き寄せあってしまうとか? そんな気色の悪い生き物はどこからかペタペタとやってくると、ランの肩に這い上がってきてこれまた異様に多い黒目を私の方へと向けてきた。本当に吐き気がするくらい気持ち悪いし、何でこんなもの飼ってるんだろうと奴らを交互に睨む。

「何度言や分かる? 蜘蛛じゃねェよタランチュラだ」
「呼び方なんてどうでもいいでしょ。見てよこれ……まだ血出てる」
「コイツが噛んだって証拠はあんのかよ」
「証拠? よく見てその蜘蛛の歯。毛が付いてるじゃん、うちの猫の毛!」
「……あぁ、コレ?」

そう言うと一切狼狽えることなく相棒へと目配せしたラン。何なんだその落ち着きようは。騒いでいる私の方がおかしな人みたいに思えてくる。しかもあれやこれや言い訳をするのかと思いきや、返ってきたのはあまりにも軽々しい答えだった。

「後始末しとけっつったろ」
「……やっぱり」

後始末しとけ? 噛んだのを揉み消すつもりだったとか? どうせバレるのに卑怯な。その上窓枠へと移されたバカみたいにデカい蜘蛛は、唸るモリーをひと睨みした後逃げるようにこの場から消えていった。都合悪くなったら居なくなるとか、立ち居振る舞いまで似ているなんて何だかちょっとだけ笑える。

「ちゃんと躾しといてよ。危険生物なの分かってる?」
「噛まれたワケも分かんねー奴に言われる筋合いはねぇなァ」
「噛まれた訳? 何それ」
「テメェの猫が俺にベッタリなせいでアイツが妬いてんだろーが」

そっちこそちゃんと躾とけ、そう言われて言葉に詰まる。空かさずモリーが媚びるようにランの足に擦り寄っていったけれど、邪魔だと言わんばかりに蹴散らされ慌てて身を隠していた。可哀そうなモリー、あれだけ可愛がられていたのに。でもそんなランの横柄な態度を目にした今、愛猫をフォローする余裕は私にはない。しかも、

「だったら適当に追い返してくれたらいいじゃん。寮の中に入られたらひとたまりもない
んだから」
「よく言うぜ。ザビニに化けてたのはどこのどいつだ」
「それは忘れてって言ったでしょ。もう二度と口にしないで」
「退学レベルの校則違反を忘れろってか?」
「ランにだけは言われたくない。もっとやばいことやってるくせに……今にアズカバン送りに
なっても知らないから」
「なら今のウチにお別れでも言っとけ。会うのコレが最後かもしんねェぞ」

――ああいえばこう言う。まるで困っているのを見て楽しんでいるみたいに。だから思い切って反論してやれば、またムカつくことを平気な顔で言ってのける。お別れを言えだとかこれdが最後だとか そんな悲しいことをわざわざ言わなくったっていいのに。何だかんだ長い付き合いなんだし、別に喧嘩を促したくてここで待っていた訳でもないし。でも昨日のこともあってそれを素直に言えないから、文句で返してしまう自分が嫌で嫌で仕方がない。かといって、ちょっとでも折れた素振りをみせればここぞとばかりに攻め入ってくる。ほら、今だってそう。勝てると思って既に余裕ぶった顔しちゃって――

「……どうせ根に持ってるんでしょ」
「何が?」
「だから……トレローニー先生の占いのこととか……いろいろ」
「んなちっせぇこといちいち覚えてねーよ」
「じゃあ何でそんな喧嘩腰なの? 怒ってないならもっと普通に答えくれたっていいでしょ?」
「喧嘩腰? テメェのがそうだろーが。急に腕引っ掴んできやがってよ」
「それはランの蜘蛛がモリーを噛んだから」
「タランチュラだッつったろ。何度も言わせんな」
「今そんなことどうだっていい」
「よくねぇよバカ」
「いいから」
「よくねぇ」
「いいんだってば! もうしつこい! 次言ったら忘却呪文で無かったことにしてやる!」
「あー消せるもんなら消してみろ。ついでにあン時の記憶も消すつもりか?」
「……あっ」

あの時の記憶って? そう言おうとしたけれど、いつのことを差しているかなんて言われなくても分かってしまった。急にぶち込んでくるなんて卑怯だ。咄嗟にそう思ったものの、みるみるうちに空気が変わり恥じらいと焦りが一気に押し寄せる。よみがえる記憶。忘れもしないあの日の言葉。あからさまな私の態度に、今度こそランは真面目な顔をして詰め寄ってくる。どうしよう。なんて言おう。あの日から今日まで長い時間が、もの凄いスピードで縮まっていくような気がする。

「そ……そこまでは言ってない」
「これ以上待てっつーんなら消された方がマシなんだけど」
「近々返事しようと思ってたの」
「近々っていつだよ」
「それは……」

さっきまでの勢いは消え失せ、口を開けば開くほど自分を追い込む羽目になる。ランに迫られて後退りも出来ず、パニクった末ちっぽけなモリーに助けを求めようとする始末。なのにこの猫ったら、こんな時こそいつもの鳴き声で場を和ませて欲しいのに、足の後ろに身を潜めたまま一切動こうとしない。まぁ人の事言えないんだけれど。気の強い割にいざという時臆病になっちゃうところがまんま私と似ているから。ついでに照れると目を逸らしてしまう恥ずかしがり屋さんなところまで。

「ね、ねぇ……近いから離れて」
「だったら今言え」
「い、今? 今は……」

ふくよかな猫腹を踵で突付き、何か言ってと促す私。でも従順とは真逆なこのデブ猫はいそいそと後ろから離れていくと、性懲りもなくランの足に自らの尻尾を絡め始めた。この期に及んでまだ媚びるつもりか。モリーの為を思って言いに来たっていうのになんて薄情な奴だ。しかもその薄情さはどうやら私じゃなくこの男のを受け継いでいるらしい、白々しい二つの顔が徐々にオーバーラップする。

「……じゃあさ」
「?」
「言う代わりに……私と一緒にパーティー出てよ」
「嫌」
「いっ、嫌?」

その上勇気を出して言ったのを鼻で笑われ、ツンとしたものが込み上げる。やっぱり私が思った通りだ、後で友人にもちゃんと釈明しとかなきゃ。「案外面白がって参加してくれるんじゃない?」って、そんな訳ないじゃないかどう考えたって。見てよこの憎たらしい笑み、なにがそんなに可笑しいんだか。一か八か、その顔面に蹴りを入れてやりたいのをうんと堪えつつも、代わりに三つ編みを思いっ切り手前へ引っ張り付けてやる。

「イッテーな。チギれたらぶっ殺すぞ」
「安心して。髪ってそう簡単には千切れないから」
「マジになんなって。あんなくだらねーモンにわざわざ出てられっかよ」
「くだらないってなによ? 皆やる気なのに」
「やる気だか何だか知らねーが出たきゃ好きにしろ。どっかの誰かさんとな」
「ほらやっぱ根に持ってるじゃん! なら踊って良いってこと? 引き留めようとかないん
だ」
「引き留めて欲しけりゃ先に何か言うことあんだろ。あァ?」
「そんな脅しみたいに言われても」

相変わらず強引な奴だ。そうやってバンバン根に持っているくせに平気な顔でいるところが妙にムカついたので、「いいよもうどっかの誰かさんと出る!」そう言って逃げてやろうとしたらいきなり腰を抱かれたので死ぬほど身体が縮固まった。あまりに急すぎたから咄嗟に押し返そうとしたけれど、胸を押せば押すほどギュッとされて、まるで拘束呪文に掛けられたみたいに身体が一ミリも動かなくなる。仕舞いには会話もピタリと止んでこれでもかっていうくらい目が合って、結構久しぶりにまじまじとランの顔を直視した。きっと耳まで赤いし、恥ずかしすぎて息も吸えない。なのに足元ではモリーがニャアニャアって……違う、今は鳴くところじゃあない。

「あいかわらず素直じゃねェなぁ」
「分かってるなら早く離して!」
「あァ? 引き留めろっつったの誰だよ」
「今じゃないから。ここどこだと思ってるの? 恥ずかしすぎて死ぬ!」

そう言ってやれば、報復と言わんばかりにヘラヘラと笑い出す男。こうやって相手が最も嫌がる方法でやり返してくるところは昔からちっとも変っていない。おおっぴらが嫌な私とノンシャランなラン。どうすれば相手がこたえるのかはお互い誰よりも熟知している。でも今回は、というより今回も、そんな適当で強引な所に救われたのだから感謝するより他はない。昨日はもっと真面目だったらなぁ、なんて言ったけれどあんなのはやっぱり嘘。だって、真面目な相手ならきっとこんな風に仕掛けてきたりなんかは出来ないもん。嫌われていなくて良かった。終わりなのかと思ってた。そう思うと言い返す気力すら起きず今度こそ泣きそうになってきて、顔を見られないようランの胸に顔を押し付けたら嫉妬したモリーに足首を噛まれた。

「ぃっ……!」
「じゃ、一緒にサボろうぜななこチャン」
「え? サボる方に誘うの?」
「ワリーかよ」
「悪い。ていうかサボっていいと思ってるの? 学校挙げての一大イベントだよあれ」
「知るか。おい猫、飼い主がさっきからテメェの悪口言ってんぞ」
「何言ってんの……ちょ、ちょっと!」

悪魔にまんまと唆され飛びかかってくるモリー。そんな愛猫を宥めるほんのわずかな間に、ランは気障にも去っていこうとしている。その背中を見てようやく踏ん切りのついた私は、居ても立ってもいられず奴の後ろを大慌てて追いかけた。もう何を考えているんだか、ちゃんとした式事をサボろうだなんて。これまでの自分からは全くもって想像すらつかない。でも今私の胸中はびっくりするくらい穏やかで、同時にちょっぴりだけどワクワクもしていた。だって結局のところダンスなんて踊りたくはなかったし、考え抜いた末私が望んでいたのは、ランと一緒に居たいっていうことだけだったんだから。だから、マフラーを引っ張って目が合った時は緊張して死ぬかと思ったし、ちゃんと噛まずに言えるかどうか不安だったけれど。


「……ごめん。私も好きって言うの忘れてた」

ランの吃驚した顔を見たらそれすら全部忘れてしまって、別にもうどうでもいいやって気になった。





「これは?」
「俺の住所。良かったら手紙送って」

三大魔法学校対抗試合が終了し、各校の生徒達がこぞって別れを惜しむ中。例の彼に呼び出された私は、群衆の端っこで何やら紙切れを手渡された。そこには名前や家の住所、ご丁寧に家族構成まで書いてある。聞けば北欧の端の小さな街に住んでいて、魔法を使わなければここまで来るのに軽く一週間はかかるらしい。

「パーティーには一緒に出られなかったけど、君とはもっと話をしたかったんだ。またどこかで会えるといいな」
「……ありがとう」

こういうの初めて貰ったから嬉しい、そう言うと彼は照れ臭そうにした。約束をすっぽかした女なんて普通なら嫌いになってもおかしくはないんだけどな。どんな育ち方をしたらここまで寛大になれるんだと薄っすら誰かさんを思い浮かべる。

「じゃあ、元気で」
「そっちもね」

皆に紛れて手を振って、船の帆先が水中に沈みゆくその瞬間まで律儀に見送り続ける。傍から見ればまるで別れを惜しんでいるみたいだけれど別に深い意味はなくて、ただ大切な仲間が無事故郷へ帰れるよう取ったごく自然な行動にすぎなかった。だってそもそもこの大会の意義は他校との交流を深めることだし、それに、以後友達として繋がっとくのも有りかなぁなんて思ったりもしたし。まぁそれも、今背後にいる男の許可が下りたらの話だけれど。

「大事そうに持ってんじゃねぇよ」
「あっ!」

急に杖が伸びてきたと思えば、無情にも勝手に紙へと火を放ったラン。チリチリと落ちていく黒焦げの破片は、地面に触れた瞬間跡形も無く消えた。何も言えない私。大事な連絡先だったのになんてことしてくれるんだとバッと見上げたら、ヘラヘラしながら肩を抱き寄せてきて。

「……ひどい」
「こっちの台詞だ」
「わざわざ燃やすことないじゃん」
「取っとく必要もねーだろ」
「……いいよ別に。住所も名前も全部覚えてるから」

なんて身勝手な奴だ。無性に苛々したから腹慰せにと杖を取り上げようとしたら、ヒョイとかわされた上逆にこめかみへ杖を押し当てられた。

「だったら記憶を消す」
「こっちに杖向けないで」
「なら今すぐ忘れろ。手紙も一通も出すな」
「そんなの言われなくても分かってるよ」

本当は住所も何も覚えてないし。そう言うとランは黙り込んだ。言い返してこないところを見るとどうやら嘘だとは思っていないらしい、珍しく素直に手を引いて、潔く杖を仕舞い込んでいく。でも本当は、今すぐにでも記憶を綺麗さっぱり消してもらいたいくらい恥ずかしかった。だって皆がパーティーで出払っている最中、ランと私は片時も離れずにずっとずっと一緒に過ごしていたんだから。後で友達に居なかった理由をめちゃくちゃ問い詰められたけれど、どこで何してたかなんて口が避けても言えない。

――というより、

「ねぇ、そろそろ離れてよ。皆見てるんだけど」
「別にいいんじゃね」
「よくない。後で酷い目に遭うの私なんだからね」
「心配いらねぇよ。俺がまた助けてやっから」
「初めからそうならないようにして」

何だかんだ今までで一番幸せな時間を過ごせたから、寧ろ誰にも言わず自分の心の中だけに留めておきたい。






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