ホグズミードへ行ったあの日以来、過剰なまでに意識してしまっているせいもあるけれど、ランの姿を見ると有り得ないくらい心臓がバクバクする。何せ、あれだけ真っ直ぐに思いを伝えられたんだから。あのランが。あの根っからの性悪野郎が。まさかそんな風に見られているなんて思いもしなかったし思うわけもなかった。隙あらば、叩かれイジられ悪戯され、何なら嫌われているのかもとすら思っていたから。しかも、結局うやむやなままろくに返事もせず過ごしてしまっていて、ランの方も相変わらず毎日のようにトラップを仕掛けてきている。つまり、今もの凄ーく微妙な感じ。上辺では平然と会話しながらも、実は陰で様子見しているような、まさにどっちつかずな関係。でもきっと、何かきっかけがあればすぐにでも動き出しちゃうんだろうなぁ、なんてぼんやりと考えていた、そんな運命の日を迎える少し前のこと。


「……操られてる? モリーが?」
「そう。一週間くらい前から様子がおかしくて」

グリフィンドールの談話室。三人掛けソファの端に座った私と友人は、周囲に聞こえないよう顔を寄せ合いながら密談を繰り広げていた。パチパチと火を焚く暖炉。頬が炙られているみたいで何だか熱苦しい。

「どんな風に?」
「いやそれがさ、気付いたらいなくなっちゃってるの。で、行ったっ切り全っ然戻って来ない。見かけて呼び止めても知らんぷり。エサだけは毎日ちゃんと平らげてあるんだけど」
「でも猫ってそんなものじゃない?」
「だって寝る時もだよ? あの甘えん坊のモリーが。きっと誰かに利用されてるか……巻き込まれてるんだと思う」
「利用? 誰に?」
「この前スリザリンの寮に入っていくとこを見た。多分、犯人はスリザリンの誰かだと思う」

それを耳にした友人の顔が露骨に歪んでいく。モリーっていうのは私の猫のメインクーンのこと。気紛れだからどこにいるか分からないなんてことは日常茶飯事だけれど、こんなおかしな行動を取ることはこれまでに一度もなかった。初めは具合が悪いのかと心配したものの、そんな様子はこれっぽっちも見られない。だったら何だって色々理由を考えてみたけれど、彼女の嫌がることをした覚えはないし、とりわけ発情期ってわけでもない。その行動は私を拒否するというよりも寧ろ心ここに在らずというか、何かに熱心というか、それこそ操られているというか。マイペースなモリーだからこそ違和感がとてもある。こんなこと一体誰が何のために?不思議で不思議で仕方がない。

「でもその情報だけじゃ何も分からないよ」
「だから一つ、お願いがあるんだけど」
「お願い?」
「スリザリンの寮の中、調べるの手伝って!」
「寮を、調べる……?」

顔を顰める友人。きっと変なことを企んでいるとでも思っているのだろう。私はそんな彼女の耳に口を寄せると、声を手でシャットアウトしつつその方法を告げていく。みるみる開いていく瞼。良くないことを言っているというのは自分でもよく分かっている。でも真相を確かめるにはこのやり方しか思い浮かばない。図書館の古くて分厚い本に書いてあった、危険な魔法薬を使ったあの方法しか。

「……そんなこと出来るの?」
「分からないけど、やってみようと思う」
「でも誰に? 誰に変身するの?」
「ザビニとパンジー。あの偉そうな二人なら堂々と寮の中を見られる気がする」
「そりゃそうかもしれないけど……ちなみに私は?」
「パンジーの方。私がザビニ役」
「まぁ……クラッブとゴイルよりマシか」
「アイツらのエキスを飲むくらいなら死んだ方がマシ」

目を見合わせて肩を竦める。確かにあの間抜けな二人なら罠に掛けやすいかもしれないけれど、もしも女子寮の方に犯人がいたとしたら調べられなくなってしまう。マルフォイの手下だから自由に動けなさそうだし。生理的にも無理だし。

「とりあえず、相手の身体の一部を手に入れれば良いってことね」
「そう。薬を作るのに一ヵ月くらいかかるから、その間に何とかしないと」
「でもパンジーはともかく……ザビニはどうするの? あの坊主頭じゃ毛を毟り取るのも無理だよ?」
「それはもう考えてある」
「何?」
「教えない」

「なんでー?」と肩を押してくる友人に歯を見せながら笑う。きっと誰かさんに影響されたせいだと思うけれど、禁忌を侵すのがこんなにもワクワクするなんて。思いがけずテンションが上がってしまい時折笑いを交えつつ、「なんか上手くいきそうな気がしてきた」とお互い目を見合わせる。談話室に響く小さな笑い声は、暖炉の火を焚く音にひっそりと掻き消された。





それからしばらくして。グツグツ煮え滾る鍋の前。ひと気の無い女子トイレにドッカリと座った私と友人は、時折鼻を摘みながらも手順通り慎重に支度を進めていた。ツンとした臭いが死ぬほど辛い。それでもあとワンステップだからと、最後の気合いを込めてクサカゲロウをペースト状に磨り潰していく。これだけ真剣にやっていると、所々茶々を入れてくる嘆きのマートルが邪魔で邪魔で仕方ない。

「随分前に同じようなことやってた子達がいたわ」
「同じようなこと? これと? 誰?」
「教えなぁーい。お気に入りの子がいるから」

あの日以降、万が一モリーが通常に戻ったら即止めようと思っていたこの計画。でも相変わらずおかしなままだし、今朝も餌を平らげたと思ったらすぐに寮を抜け出していったから最早実行に移すしかなかった。後をつけても無駄、スリザリンの寮の入口手前で返り討ちに遭ってしまう。飼い主をここまで振り回すペットなんてこの世に存在するのだろうか。私はきっと、ネビルのヒキガエルくらいだと思っている。もう理由が分からなさすぎて何だか腹も立ってきて、半ばやけくそ気味にペーストした緑色のやつを鍋へと放り投げる。ジュッと溶ける様を見ていると清々する。このまま弱火で三十分、最後に杖を振れば濃厚な原液が完成する。そんなこんなで出来上がったポリジュース薬を前にした私達は、手に入れた奴らの身体の一部をそっと指で摘まみ上げた。

「……それ、どこの毛?」
「聞かない方がいいかも」

何の毛をイメージしたのかは知らないけれど、舌を放り出し「ゲッ」と唸る友人。まぁ無理もない、だって私の指が摘まんでいる毛は黒くて短い上、信じられないくらい細かったから。聞かない方が良いって言ったけれど、自分も出来れば言いたくはない。これの正体が、廊下で派手にぶつかるふりをしてザビニの足から毟り取ったスネ毛だなんてことは。こんなのを飲み込んだんだって思われたくもないし。そうやって迫り上がる吐き気を何とか堪え抜いた私は、眉を顰めながらも友人と共にそれをカップへと投入した。

「とにかく制服には着替えてるから、あとは声を似せるだけ。二人に掛けた魔法も長くは保たないし、変身が終わったらすぐ寮に向かおう」
「わかった」
「もし喉に詰まって死んじゃっても……ここには住まわせてあげないから」
「……」

口をへの字に曲げるマートルを軽く睨み、友人と緩く乾杯を交わす。とりあえず失敗した時のことは考えないでおこう。最悪喉に詰まったとしてもマダム・ポンフリーのところに走ればいい。まぁ、悪事はバレてしまうけれど。そうして気が変わらない内に私達は、ドロドロした液体を一気に喉へと流し込んだ。


「……ぅ…ッ、うぇ……」
「あぁ…、何これぇ……」

ほぼ同時に手から滑り落ちたカップ。割れて飛び散った中身が彼らの靴にベットリとへばり付く。想像以上に不味くて重ったるい。食道をどろどろと下っていく感覚があまりにも気持ち悪くて、私達は手洗い台にしがみ付き猛烈に項垂れた。

「きっ……木の根っこの味がする……」
「私は腐った……カボチャ……もうダメ!」

駆け足で個室へ飛び込んでいく友人。だがこっちもこっちで構っている余裕はない。懸命に嗚咽を漏らし、吐きたいけど吐けない苦しさに喉を掻き毟る。知らなかった、ポリジュース薬がここまで苦しいものだなんて。足の爪先から脳天を這っていく悍ましい程の寒気が、身体の力を徐々に、でも確実に奪い取っていく。このまま死んでしまったらどうしよう、そんな気さえ起こってしまう。


「うぅ……っ………ん……んん?」

でもふと視線を落とすと、何やら手の甲がぼこぼこと波打ち始めたのが見えた。まるで皮膚の内側が沸騰しているみたいに。そんな有り得ない光景に目を見開いているうちに、変化は全身へと広がっていった。痛みというよりも寧ろ違和感に近い。成形が面白いくらいにみるみる変わり果てていき、やがて鏡に目を向ける頃には、目線の高さが随分と高い位置にきていた。

「……すごい。本当に変わった」

目の前に映るのは紛れも無く凛々しい黒人の男。長身に坊主頭がまさしく、というか完全にザビニそのものだった。どうやら変身は成功したらしい。ダボダボだった制服はピッタリと収まり、緑色のネクタイも様になっている。試しにパンツの中を覗いたらちゃんとアレもついていた。でも頬を触ってみると、自分の身体なのに自分ものじゃないような、不思議で不気味な感覚がする。

「ねぇ、すごいよ……、ザビニになった。そっちは?」

浮足立つ気持ちを抑え個室の友人へと問い掛ける。でもさっきから何やら様子がおかしいような。返事がくるどころか、物音ひとつせずシンと静まり返ったまま。聞こえなかったのかと思ってもう一度言ってみると、今度は咳払いか呻き声か分からないような音が鳴って驚いた。天井ではマートルが腹を抱えて笑っているし、少しだけ嫌な予感がして慌てて扉に駆け寄っていく。ノブを捻ると、どうやら鍵はかかっていないようだ。

「ねぇ……、どうしたの? 大丈夫?」
「きゃはははは! もう最っ高!」
「あなたは黙ってて」

そうピシャリと言い放ち、そっと扉を押し開けていく。もしかして具合が悪くなったとか?それとも配合を間違えた? いや、それはない。だって私はちゃんと成功したんだから。そんな自問自答を繰り返しながらも、次第に光が入る個室内へと目を向ける。中には座り込む友人の姿。その身形が下半身から徐々に露わになり、やがて完全に外形が分かるようになった時、私は思わずヒッと声を漏らしてしまった。

「なっ、何それ……!」
「どうしよう……。入れる毛、間違えちゃったかも……」

毛で覆われた顔にぎょろりと光る目。両側にあるはずの耳は完全に上に付いている。髭も生え、ピクピク動くその姿は紛れもなく、そう――猫だった。言葉を話す、制服を着た猫。笑いこそ起きないものの、ショックのあまり返す言葉が見つからない。

「……だっ、大丈夫?」
「大丈夫じゃない。怖くて鏡見られない……」
「……」
「そっちは上手くいったみたいね。声はななこだから何だか変な感じだけど」
「ま、まぁね」

微笑を浮かべる友人。チラッと見えた口内にはちゃんと牙が四つ生えている。きっとパンジーのペットの猫の毛を間違えて入れてしまったんだ。後ろにはシッカリ尻尾がついているし、心なしか嗚咽も猫なで声に感じる。こうなるんだったらちゃんと毛の色を確かめておくべきだった。動物のエキスを混入したら簡単には元に戻れないというのに。とはいえ、こうなってしまったからにはもうどうすることも出来ない。今更計画は止められないし、こうしている間も時間は刻々と過ぎていくばかり。

「とりあえずここにいて。私一人で行ってくる。後のことはそれから考えよう」
「ごめんね……。本当に」

名残惜しさを押し殺し、長い脚で女子トイレ内を駆け抜ける。既に半分失敗してしまったけれど、ここまできたらもうやり遂げるしか道はない。独りぼっちの不安と恐怖に苛まれながらも、スリザリンの寮に向かって早歩きで進む。怯むな自分、気を強く持て。そう何度も言い聞かせながら。薄暗く湿った廊下には、永遠とマートルの笑い声が響き渡っていた。





玄関ホールから地下牢を下っていくと、スリザリンの寮の入口が見えた。剥き出しの岩が並ぶ通路。いかにも重苦しい雰囲気が身体にズッシリと圧し掛かってくる。こんな所に今からひとりで入らなくちゃならないのか。怖さと不安で気が狂いそうだったけど、ここで引き返したら猫になった友人に合わす顔がないと何とか思い留まる。そして変身のことばかり考えていて存在を忘れてしまっていた合言葉は、偶然前を歩いていた生徒に紛れて運良くクリアすることが出来た。

「(うわぁ、こっちの寮と全然違うじゃん……)」

隠された岩扉が音を立て、談話室への道が開かれる。グリフィンドールとは対照的な緑色の室内は、壁も天井も荒い岩造りで何となくだけれど湿っぽい。鎖で吊るされたランプに暖炉の大きな彫刻。そのどれをとっても自己主張の強い内装は、ずる賢い貪欲エリート集団に相応しく思えた。とはいえ、今は自分も同じくスリザリンの一員。彼らの真似をして、悪目立ちしないよう威張り気味に歩みを進める。そしてこれまたアンティークなソファにどっかりと腰を下ろすと、さり気無く辺りをキョロキョロと見渡した。

「(モリーどこにいるの? 早く出てきて……)」

なのにいくら目を凝らしても、猫はおろか動物らしき姿はどこにも見当たらない。もしかして隠れているんだろうか。それとも隔離されているとか。名を叫ぶわけにもいかないので、歯痒さだけが募る。モリーさえ見付かればこんな場所さっさとおさらば出来るのに。一刻も早く抜け出したい、出来れば一言も声を発さずに。ここに居ないとすればあとは寝室しかないけれど、極力そこへは足を踏み入れたくない。

「(お願いモリー出てきて! 行きたくないよ……)」

異性が立ち入ることの出来ない禁断の場所。いくら見た目が男だからって心は私のものだから、正直入るのには死ぬ程抵抗がある。だって男子が毎日寝起きしている部屋だし、勿論着替えもしているだろうし。入る準備は整っているものの、なかなか踏ん切りがつかず焦る。でも、そんな悠長なこと言っている場合じゃないのも事実。変身のデッドラインは刻一刻と迫っていて、友人もトイレで首を長ーくして待っている。私がやらなきゃこの一か月の苦労も全て水の泡。だから後ろめたさや恥ずかしさを必死に我慢して、ようやく寝室へ向かう決心がついたっていうのに、ソファから立ち上がろうとした瞬間、誰かが、私の肩にポンと手を置いた。

「一人か? ザビニ。珍しいな」

かけられたひと言に身体が硬直する。――まさか。手の平に体重を移され、まるで金縛り術にでも遭ったみたいにソファから動けない。身覚えのある重みに加え、視界を掠めた三つ編みの先端。そして一瞬「ザビニって誰?」って思ってしまう程慣れ親しんだその声は、紛れもなく良く知ったあの男のものだった。顔が強張りサッと血の気が引く。選りにもよって今一番出会いたくない人物に遭遇してしまうとは。口を半開きながらもそっと振り返ると、その男、ランもまたこっちをジッと見下ろしている。ついでに後ろにはリンドウの姿。もう最悪だ。

「オイオイ無視かよ」
「……いっ、いつもマルフォイ達と一緒だと思うなよ」
「だから珍しいなっつッたろーが。シッカリ聞いとけよバーカ」

あ、あれ。ザビニってこんなんだっけ。口調や声を似せるのに必死なせいか話の内容が全く入ってこない。その上緊張しすぎて顔を見られず、露骨に目が泳いでしまう。これじゃマズい。そう思って勢いよく立ち上がったら、今度はランと目線の高さが一緒だったから吃驚して声を漏らしてしまった。やばい。それを隠そうと必死に咳払いするものの、リンドウの顰めっ面が目に映り背中にドッと汗が流れる。これじゃ明らかに挙動不審。いい加減慣れないと、身形がザビニだってことに。

「じ、授業に出なくてもいいのか?」
「つまんねェからサボってんだよ」
「テメェも一緒だろーが」
「……まぁ」

そんな事言われたってザビニの専攻科目なんて把握していないんだから知ったこっちゃない。今は見下ろす形となったリンドウをチラ見し、ワザとらしく肩を竦めてみせる。とにかくこの二人から早々に離れないとマズい。そう思って適当に寝室の方に向かってみたら、なんと彼らも同じ方向へ進み始めたので内心めちゃくちゃ動揺した。何で? まだコイツに用があるっていうのか。振り返って二人を軽く睨む。

「付いて来ないでくれ」
「はァ? オマエ熱でもあンのか?」
「? どういう意味だよ」
「うっわ、部屋が同じってことも忘れちまったらしいぜ兄貴。ヤベーなコイツ」
「(……は?)」

ちょっと待ってくれ冗談でしょ。同じ? てことはこのままずーっと一緒に居なきゃならないってこと? それはさすがにマズい。でもやり出しっぺは自分だから行かないわけにもいかず、先を行く二人の後を渋々付いて歩くしかない。もうどうしよう、下手に喋ってボロが出てしまったら。しかも正体が私だってことに気付かれてしまったら。相手が悪すぎるから弱みを握られるどころじゃ済まされないかもしれない。こうなったら一刻も早くモリーを見付けるしか逃れる道はないけれど、もう部屋の真ん前まで来てしまっているからどうすることも出来ない。

「ヤッベークソねみぃー」
「昨日一睡もしてねぇからなァ」
「つまんなかったよなー恐怖の部屋。マジ名前負けしすぎ」
「まぁ、地図は手に入ったけどな。禁じられた森の」
「……」

それに何だか聞いちゃいけないものを聞いてしまっている気がする。まぁ無理もない、彼らは私のことを正真正銘ザビニだと思い込んでいるだろうから。その証拠に、これといって特に気にする素振りもなく各々ベッドへと寝転がっていく。しかもどうやらこのまま居座る気らしいけれど、それをされちゃこっちはたまったものじゃない。長居は出来ない上、変な会話をこれ以上聞いている訳にもいかないから。とはいえすぐに部屋を出るのはあまりにも不自然なので、とりあえずザビニのものと思われる寝床へ腰を落ち着かせることにした。広くてフカフカで弾力のあるベッド。何なんだろうこの厚みは。銀色の刺繍が施されたカバーを軽く撫でてみると、その手触りはいかにも高級で質感がいい。

「(元地下牢って聞いてたからもっと質素な部屋なのかと思ってたけど……なんならウチらの寮よりも豪華なんじゃないの?)」

天井からは同じく銀色のランタンが吊り下げられていて、壁にはセンスのいいタペストリーがいくつも飾られている。後ろを見れば良さそうな椅子にでっかいクローゼットがあるし、お金がかかっているというのがほんのひと目で丸分かりだ。ベッドの支柱もアンティークで無駄にオシャレだし、この違いって純血なエリートだから? お金持ちは扱いも何もかもが違うってことなのか? 性格は皆捻くれているっていうのに本当不条理極まりない。まぁグリフィンドールはお金じゃなく、才能で選ばれているけれど。
なんて、対抗心剥き出しのまま何気なく視線を横へ流したら、ランの腹の上で一匹の猫が気持ちよさそうに目を伏せていた。さすが。ペットもペットで潔いくらい堂々としている。純血だと猫もエリート扱いなのか。手櫛で優雅に梳かれて、ゴロゴロ喉なんか鳴らしちゃって。いっそのことフリフリの服でも着させといたらいいのに。

でも、彼らの様子をしばらく見ていてハッとした。そもそもランのペットって猫だったっけ。いや、確か大きくて黒いタランチュラじゃなかった? そういえば猫と居るところは初めて見たし、さっきまで気色悪いのが肩をペタペタしていた気がするし。じゃあこのメインクーンは一体何者だ。ていうか、コイツどっかで見たことあるような―――


「モリーーー!」

直後、私の絶叫が部屋の中に木霊した。驚いたリンドウが身体をガバッと起こす。だって見たことあるも何も、ランの腹の上で寝ていたのはどこからどう見ても私のメインクーンだったから。こんなところで何やってるんだ。監禁でもされているのかと思ったら、これじゃまるで飼い猫扱いじゃないか。心配かけて危険まで冒させて、ようやく見つけた姿がこれ? 呆れて声も出ない。なんて思っていたけれど我に返ってすぐ後悔した。ヤバい。身形がザビニなのを完全に忘れていた。訝し気に寄越されたランの視線が痛いくらいに身体へと突き刺さる。同じくこっちを向いたモリーの憎たらしい顔ったらない。

「おい、ザビニ。なんでコイツの名前知ってんだよ」

もうどうしてこうなっちゃんうんだろう。今日は本っ当にツイてない。一人ぼっちだし二人には遭遇するし、自ら墓穴を掘ってしまうし。こんなことになるのならポリジュース薬なんて作るんじゃなかった、ていうか私もミスして猫になっちゃったら良かった。そうだよね、この男が知っているわけないもん。嫌いなグリフィンドールの生徒の、ましてや飼っている猫の名前なんか。どう言い訳しよう、必死に考えなきゃ。このいやに賢い男を騙すことが出来る、それ相応の理由を。

「それは……」
「ドラコに妙な魔法でもかけられたか?」
「い、いや」
「テメェさっきから変なんだよ。言ってることも、やってることも全部だ」
「部屋も忘れてたしな」
「……具合が悪いから。今朝から立ち眩みも酷いんだ」
「ならコイツの名前はどう説明する? 言っとくがこの猫の主人はスリザリンじゃねェぞ」
「……きっ、聞いたんだ。こないだ偶然廊下で」
「聞いた? 何をだよ」
「飼い主がモリー! って叫びながら探しているのを……」

こんな言い訳、絶対に通用しないに決まっている。きっとまた言い返される。そう思って身構えていたけれど、私の言葉を聞いた瞬間ランは「へぇ」と薄ら笑みを浮かべた。どうやら何か思うことがあったらしい、身体を起こしモリーの首根っこを掴んでは、ジーッと顔を眺めている。

「おいモリー、バカな飼い主がオマエのこと探してるらしいぜ」

ヒョイと持ち上げながら面白げに言い放つランと、呑気にニャアと返事しちゃってるバカ猫。その傍ら、言い返したい気持ちを堪え睨み付ける間抜けなザビニ、もとい私。もういっそのことペットにしちゃえば? って言いたくなるくらい馴染んでいる彼女には最早怒る気すら起こらない。まぁランは納得してくれたみたいだからとりあえず一安心っちゃ一安心だけど。とはいえ一応モリーは私の猫だしこのまま放置しとくわけにもいかないので、なぜこんな真似をしているのかランに訊ねてみることにした。

「その猫をどうするつもりなんだよ」
「あァ?」
「どうせ何か企んでいるんだろ?」
「チゲーよ。勘違いすんな」
「?」
「自分から来てんだよコイツ」
「は、はぁ?」

やばい、素の声が出ちゃった。だってまさかそんな答えだなんて思わなかったから。自分から来ているって何なんだ。ランが魔法を使って呼び寄せていたんじゃないのか。俄かに信じられず、モリーへとひたすら視線を送る。でも彼女は相変わらず蕩けた目をしてぶら下がっているだけ。

「なんで……」
「兄貴のこと気に入ってんだろうぜ」
「あぁ。寝る時も引っ付いて離れねぇ」
「な、なるほど」
「飼い主とは大違いだな。オマエもそう思うだろ?」

なぁモリー、そう言うとまた鳴いてみせた浮気者。首根っこ掴まれているくせして、都合よく思われているってことに気付いていないらしい。本当に鈍いんだから、私と同じで。とはいえこれが事の真相なら、停学にもなりかねないリスクを冒してまで難しい薬を作った私が馬鹿みたいだ。友人は猫になっちゃうわ、マートルには笑われるわ。何で放っておかなかったんだろうこんな阿呆な猫。でもまぁ、これで疑問は解消したわけだからここにもう用はない。こんな所さっさと抜け出して、一刻も早く女子トイレに戻らなくてはならない。

「(モリーこっちおいで! 早く!)」

そうと決まれば急がなきゃと、こっそり手招きして彼女を呼び寄せる。でも身形がザビニだからかこっちには目もくれず、モリーはひたすらランの方を見てはか細い声を鳴らしている。何なんだ甘えて。私にすらあんな姿見せたことないのに。ぺろぺろ頬なんか舐めて、手首に尻尾まで巻き付けて。ペットは飼い主の分身だっていうけれどあれ嘘だったんだ。だって私はあんな風に媚びたりしないし、夢中になったりなんかしないから。なんて、軽く睨み付けていたらランがいきなりモリーに向かって「オマエも寝るか?」と問い掛けた。食い気味に鳴く彼女。ニャアじゃないよ、ニャアじゃ。

「ならちょっと待ってろ」

でもそう言ってマフラーを解いたかと思ったら、ランはなんとネクタイまでシュルシュルと引っこ抜き始めた。思わず息を引く私。ちょっと待った、何をやっているんだ。それは外さないといけないものなの? そうやって固まる私を他所に、続いてリンドウまでもがいそいそと制服に手を掛け始める。

「お、おい何やってんだよ!」
「何って、見りゃ分かんだろ」
「こんな堅っ苦しいの着て寝らんねぇよなー」

抜いたネクタイを放り投げ、シャツのボタンを片手で一つ、またひとつと外していくラン達。お願い待って、脱がないでくれ。制服のまま居たらいいじゃないか。逃げ出すことばかり考えていたせいで思考が全く追い付かない。そうこうしているうちにチラりと見えた蜘蛛の模様に目線はもう超釘付け。あれ、ランってこんなにガッチリしていたっけ。子供の頃湖で遊んだ時は私と同じくらい細かったのに。あぁもうやめて。見ちゃ駄目、見ちゃ駄目って思っても視線が自然とそっちを向いて、露わになった肌を一切逸らさずガン見してしまっている。

「(誰かきて、お願い……!)」

そう必死に懇願するものの、ここはスリザリンの寮内。況してや寝室の一角だから誰も助けには来てくれない。どうしよう、このまま下もいかれてしまったら。どんな顔して見ていればいいんだろう。想像するだけでも目が泳ぐのだから、か弱い心臓なんてきっとあっという間に爆発してしまう。しかもこんな時ばかりクィディッチの時の恰好良かった姿なんかが頭の中に浮かんで、パニックになった私は手で顔を覆い隠すしかもう術が残されていない。
しかも、その姿をしらぬ間にリンドウに見られていたなんて。

「おいザビニ、その手どうしたんだよ」
「て……手?」
「ホラ、左手。手の甲」
「甲?」

真顔で指摘され眉を顰める。そして促されるがままそっと掌を返すと、なんと指の付根からジワジワと肌色に戻り始めていた。一瞬にして顔が蒼褪める。そういえばまた忘れていた。変身には時間制限があるってこと! 助かったって思ってしまったのは内緒だけれど、とにかく魔法が解ける前に一刻も早くこの場を離れなければと勢いよく立ち上がる。

「ごめん、ちょっとトイレ!」
「はァ?」

甲を隠し、モリーを置いたまま慌てて部屋を飛び出していく。後ろからリンドウの「なんだアイツ」っていう捨て台詞が聞こえたけれど、怖くて振り返ることなんて出来なかった。とにかく猛スピードで談話室を通り抜け、女子トイレまで直走る。途中擦れ違ったハーマイオニーに「ねぇ、それってもしかして――」と話しかけられたけれど、変身の真っ最中だったし頭の中はランの裸でいっぱいだったから、悪いと思いながらも私は聞こえないふりをしてしまった。





「ごめんね、酷い結果で。本当に反省してる」

深々と頭を下げる私。マダム・ポンフリーの助けもあってようやく元に戻った友人は、私の肩に手を乗せながら「気にしてないよ」とやんわり笑いかけてくれた。協力させられた上猫にされるなんて最悪中の最悪なのに、なんて器が広いんだろうと控え目に彼女の方を見る。

「お陰で毛玉を吐く猫の気持ちが分かったから」

慰められているのか貶されているのかは分からないけれど、とにかくこの件は許してくれるらしい。でもそれじゃこっちの気が済まなくて、お詫びに今度ホグズミードでお菓子をたくさん買ってあげるって約束したらめちゃくちゃ喜んでいたから少しだけ安心した。あの後も相変わらずモリーはスリザリンの寮へと通っていて、必要な時ばかり私の所に帰って来る。少しだけ腹が立つけど、理由を知っているからか今は気持ち的に楽といえば楽。きっとランは私が何も知らないって思っているのだろうけれど。

「二人共よく気付かなかったよね。特にラン君なんてそういうことに関しては鋭そうなのに」
「危ない瞬間はあったよ。ちょっと変なこと言っただけでめちゃめちゃ責められたり」
「コワ……」
「でも大丈夫。きっとバレてない」
「何が?」

そんな中突如頭上から降ってきた声。吃驚して慌てて振り返ると、ランが真顔でこっちを見下ろしているものだから心臓が飛び出ちゃうかと思った。いきなり話しかけないでよと強めに返すものの、あっさりスルーされ露骨に嫌な顔をしてみせる。身形からしてどうやらクィディッチの練習に向かう最中らしい、手にはグローブを嵌め、ニンバス2003と彫られたやけにいい箒を肩に引っ掛けている。しかも後ろにはリンドウやマルフォイ、おまけにザビニの姿まで。もう焦って唾が思うように呑み込めない。

「俺の悪口か?」
「違う」
「じゃあ何だよ」

顔を覗き込まれ思わず目を逸らす。いいでしょ別にどんな話していようが。肩を竦め誤魔化しながらも、バクバクと鳴る胸を抑え込むようにテキストをギュッと抱き抱える。私なんかに構っていないでさっさと追い越していってくれたらいいのに。もっと早く歩けるでしょ。足長いんだから。どうしてわざわざ歩幅を合わせてくるんだろう。

「……そういや」

と、思ったらランがひと言「これオマエのだろ?」と私のローブのポケットに何かを突っ込んできた。すぐに足を止め、友達と顔を見合わせながらそっと手探りで形状を確かめる。何やら軽くて細長い、杖のような棒状のもの。また悪戯? と顔を歪ませる私にランは目を細めたまま表情を変えない。きっとボウトラックルか何かだ。前に一度肉食ナメクジを入れられたことがあったからてっきりその類だと思い込んだ私は、それをそっと取り出してみせた瞬間、思わぬ正体に息を呑んだ。

「……こ、これ、どこにあったの?」
「さぁ、どこだろうな」

それはどこかで失くしたはずのモリーの猫じゃらしだった。ハッと見上げる私をランは未だ真顔のまま見下ろしている。いつ落としたのか分からなかったから探しようが無かった。それをどうしてランが持っているんだ。何で教えてくれないんだ。得体の知れない不安がジリジリと込み上げてくる。そして目を見開く私の耳元に顔を近付けたランは、二人にしか聞こえないような声でそっとひと言囁いた。


「ザビニのベッドに落ちてたっつッたらどうする?」


あぁ、どうしよう。身体が固まって動かない。なにか言わなくちゃいけないのに、すぐそこまで出かかっていた言葉すら思い出せない。何だろうこの感じ、奈落の底に突き落とされたような、這い上がる気すら起こさせない敗北感は。ゆっくりと視線が合い、ランの口元が緩められていく。その上強張った私の顔を見て「感謝しろよ。誰にも言ってねェからー」なんてフォローまで入れてくる余裕っぷり。――きっと、途中から気付いていたんだこの人。だからわざと目の前で服なんか脱いでみせたりしたんだ。私の反応が見たくて。私を困らせようとして。唇を噛み、隣で笑う無慈悲な男をやんわりと睨み上げる。でもこの状況で言い返す度胸なんて私にはなかったから、ただ後ろ手を振って去っていくランの背中をジッと見ていることしか出来なかった。






×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -