こうして私はまた今日も貴方に恋をする。

「やあ、詩織ちゃん。今日も元気にしてる?」
「あー・・・と。どちら様で?」

熱いなぁと思いながら病室の窓から見える景色を眺めていたら、がらりと扉が開いて、そこからまるで童話に出てきそうな王子様のような端正な顔をした青年が入ってきた。普通ならびっくりする所なのだろうけれど、私の知らない人が私を訪ねてくるのは今日でもう4人目なので、慣れてしまった。
向こうは私を知っていても、私は覚えていないのだから名乗ってもらう他ない。
今までの人に尋ねた時ようにその青年にも尋ねれば、一瞬辛そうな顔をしてからすぐに不敵な笑みをみせた。
あ、この感じ・・・前も感じたことあるな。前と言ったって、それがいつなのかは分からないのだけれど。

「詩織ちゃんってさぁ、本当に忘れっぽいよね」
「忘れっぽいと言うより、貴方のことを知らないのだけれど・・・」
「いいや、お前は俺を知ってる。忘れているだけで」

「だからほら、早く思い出して。もう時間がないよ」とその青年はベットに腰かけて、私の頬に手を当てた。耳を撫でる様にしてその手は私の後頭部へとまわり、もう片方の手は私の腰へとまわっていた。
ぐっと力を籠められ、私はぽすっと青年の胸へと倒れこむ。

彼の胸の位置に丁度私の顔がくる形になり、
何気なしに彼の胸に耳を当てれば、とくん、とくん、と規則正しく命を紡ぐ音がした。その音が私に何とも言えない安心感を与えてくれて、無意識の内にもっとと言うように胸に擦り寄ってしまった。すると、彼は腕に力をいれて、より強く抱き締めてくれた。

力強く、でも温かく私を守ってくれるような腕。
優しく私の頭を撫でる手。
愛おしそうに「詩織」と私を呼ぶ声。

その全てを己の身体全てで感じ、目を閉じれば、私の記憶が、心が、鮮やかに色付けされ育まれていく。
ああ、そうだ。私は、私は、一日しか記憶が保てなくなってしまったのだ。何度か説明されていたのに、覚えていない。確か、事故にあって頭を強く打って記憶を保存する海馬がうんたら、という話だった気がする。
だから、私は今入院しているのだ。折れた足のリハビリとかなにやらで。
我ながら、呑気すぎるというか、自分の事なのに曖昧すぎるのは申し訳ないとは思う。

ただ、嬉しい事に、全ての記憶がなくなるわけではなく、思い出すのに時間がかかるものの、次の日に引き継がれるものもある。とはいっても、一割にも満たないのだが。
ただ、その分目に映るもの全てが新鮮で、毎日が色鮮やかに、瑞々しく私の世界を染め上げる。
そして今、私を抱き締めている男は

「とおるくん」
「お、やっと思い出した?」

私がこの世で最も恋しく思う相手だ。

「ごめんなさい。私、また君の事を忘れちゃってたんだね」
「んーん。謝んなくていいよ。こうしてまた思い出したんだから。それに昨日よりかは早かったよ?」
「昨日はそんなに酷かったの?」
「日も暮れ始めてて、殆ど夜になった頃にやっと思い出したよ」
「えっそれタイムリミットギリギリ!」
「あはっ、昨日は思い出すの無理かなぁって思ったよね。俺の事ずっと怪しい人を見る目だったし」

申し訳なさと、恥ずかしさを隠すように徹君の胸に顔を押し付ければ、彼が笑っているのが振動として伝わってくる。

「恥ずかしがることはないでしょ。それが詩織という人なんだから」
「好いている相手の前では何時でも可愛らしくありたいのが乙女心なんだよ」
「詩織は何時も可愛らしいじゃん。俺は何時も気が気じゃないんだよ?」
「そうなの?」
「そうだよ。今日はこうやってまた詩織を惚れさせる事が出来たけど、明日も上手くいくとは限らないでしょう?」
「酷い人だね。私はそんなに惚れっぽくないよ?」
「俺が不安なだけ。だからこうやって毎日お前にこの思いを伝えてるんだよ」
「ありがとう、嬉しい」

私の頬を撫でる手に自分の手を重ね見上げば、近づいてくる彼の顔。そっと目を閉じれば唇に感じる温もりと、鼻孔いっぱいに香る彼の匂り。

「詩織。お前が惚れていいのも、愛していいのも俺だけだからね」
「なら、また明日も私を貴方に惚れさしてください」

「上等」と笑う徹君に抱きつき、私はひっそりと笑う。
彼はきっと気付いていない。
引き継がれている一割にも満たない私の記憶は全て、徹君、貴方の事だということを。そうでもなければ、一日という短く、限られた時間の中で貴方に恋い焦がれて、思い出すわけがないのだ。
貴方の腕を、手を、声を、思いを私にくれた時、私はまた貴方に恋をし、貴方を思い出す。

これを知ったとき、貴方は私をずるい女だと、醜いと罵るだろうか?
けれどこれだけは覚えておいて欲しい。確かにこれを純粋な愛とは呼べないかもしれない。

でも、貴方に会って恋をするまで、私は何も知らない真っ白なまま。
貴方を思い出すまでこの醜い思いを知らず、真っ白な心のままで恋をしたのだと。

「徹君。私の心も、体も、私を私たらしめる全てが貴方のものです。だからその代わり、出来る限りでいいから、私に渡せるだけでいいから、貴方を私に下さい」
「いいよ、あげる。俺のこの腕も、手も、思いも、愛も、詩織、全部お前のもだよ」

まるで何処かのおとぎ話のようなやり取り。
けれど、こうして幾度となく繰り返される行為はやがて永遠となると、私は信じて疑わないの。


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