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風が吹いた。唇を離したこの人は苦虫を噛みつぶしたような顔をしている。「おまえ、」と、ぬるく光るそれが動いた。
「おまえ、吸ったろ」
なんのことだかわかりませんよと顔を傾けるとその人は、寄っていた眉間のしわをさらに深くさせてこちらを鋭く睨む。この眼光は蛇も殺せるなと思う。
「煙草だよ、とぼけんな」
「ええ?」
「苦えんだよ」
「あ、ああ、でも、瓦くんだって吸ってる」
「ふざけんなよ」
ドン、と肩のあたりを押されて、突き放された。狭いベランダで、わたしの体は鉄格子に受け止められる。隙間をぬうように風が通り過ぎていくものだから、わたしは慌てて離れたその体を引き寄せた。さわんじゃねえ、と瓦くんはひどく不機嫌に言った。
「吸うなっつったろ、じゅーきゅうさいのくせに」
「じゅうろくさいから吸ってた人に言われたくない」
「俺はいいんだよ、男だから」
「ジェンダー」
「しばくぞ」
「ばか」
ばかはお前、と頭突きをかまされてわたしは掴んでいた彼の腕をようやく離す。軽く痛む額に手を当てながら、喧嘩中に知らない単語が出るとしばくぞと言う癖は直した方がよいというようなことを指摘させていただいた。
瓦くんは間髪入れずにお前は屁理屈を直した方がよい、と言いながら、ごそごそと尻ポケットから煙草とライターを取り出す。赤いマルボロ。百円ライター。わたしの両手は空っぽなのに、ああ、つまらない。
「ねえ、」
「何」
「風吹いてるし」
「何」
「お隣さん、今洗濯物干してるから」
「だから何」
「風で煙がさあ、ね」
「知らねえよ」
火をつけるのに手こずりながら、瓦くんはふうと煙を吐く。その様子をじっと見た。さっきの続きはしないのかと訊ねると、苦えから嫌とかわけのわからない答えを返された。
苦いのはどう考えても一日二箱消費するあなたの方ですよと、はあ、とわざとらしくため息をついてみる。が、そんなことに反応してくれるほどの優しさなど持ち合わせてはいないとばかりに彼は、しばらくすぱすぱと煙草を吹かしていた。
仕方がないのでワンピースのポケットに忍ばせていた一本を取り出す。
瓦くんの百円ライターを奪って火をつけた。ははは、ウケる、ちょう睨まれてる。
「口が苦え女なんか嫌」
「口が苦い男だって嫌だよ」
「うるせえな、おまえ」
ふん、と不機嫌な顔をしながら、わけのわからないタイミングで瓦くんは笑い出し、わたしの頭をぽんぽんと撫でた。喧嘩に飽きてしまったようだった。
「今日だけだからな」
それ一週間前も聞いたよと思いながら、わたしは笑って煙を吐いた。隣の瓦くんは気付けば二本目に突入している。かわいそうに、お隣さんの洗濯物にはさぞ不愉快な匂いがまとわりついていることでしょう。わたしたちは時代に逆行しているねと言うと、瓦くんは笑いながらしばくぞっていってきた。煙を吐く。風が吹いた。


20120107
提出 fish ear


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