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ぱちん、ぱちん、と不規則的に右手薬指からこぼれ落ちる三日月形のわたしだったものを新聞紙のうえに落としながら明日は何をしようかなどとすごくあたりまえのように考えていたときだった。
ぱちんと鳴り終わらないうちに、六百円で買った水色の爪切りはとてもちいさな手に覆われた。
それはみゆきちゃんの手だった。
「ようこちゃん」
ちいさな瞳に涙をためながら、みゆきちゃんはわたしを見る。ちいさなくちびるを噛みしめて、いまにも泣きだしそうに。爪切りとともに彼女のちいさな手に覆われた右手薬指にまるで子供とは思えないほどの力が加えられる。
どうしたの?どこかいたいの?
すがるような声が何を意味しているのか解すことのできなかったわたしは彼女をのぞきこむ。お願い泣かないで、そういいたいわたしは、いまでも、子供に泣かれることが苦手だった。
「だめなんだよお」
みゆきちゃんは言う。
「おとうさんがいってたよ、よるにね、お月さまのしたでね、つめをきっちゃいけないんだって。それは“よぎり”っていって、はやくしんぢゃうんだってえ」
ぐすぐすと鼻を鳴らしながらみゆきちゃんはちいさな声で、ようこちゃんしんぢゃったらいやだよう、なんていう。
しんぢゃうっていうのはね、声をつまらせながらみゆきちゃんは懸命に説明をしてくれる。
しんぢゃうっていうのはね、おかあさんみたいにね、おほしさまになるんだよ、おそらにいくんだよ、もうあえないんだよ、すごく、わたしね、すごくさみしいの、おそらはすごくきれいなところだっておとうさんはいっていたけど、わたしはすごく、さみしいの。
科学者であるみゆきちゃんの父親が、そんなメルヘンで非科学的なことを子供に教え込んでいたことに少しばかり驚きを覚える。彼はいつだって現実的だった。みゆきちゃんがうまれたときも、みゆきちゃんの母親が亡くなったときも。
だからこそ、年の割に老けて見える、あの無精面とみゆきちゃんを見比べるたび、本当は血のつながりなどないのではないかと錯覚した。本当は彼の子などではなく、ただの。
あとが残るほど強い力の込められたちいさな手を、左の手で包み込んだ。
みゆきちゃん、と呼びかけると、こらえることのできない涙を懸命にこらえながら、ちいさな瞳でわたしを捉える。
初めてだった。
この左手の内にあるちいさな手を、わたしを見つめるちいさな瞳を、声を、わたしが、守りたい。
「みゆきちゃん」
「なあに」
「大丈夫だよ」
わたしはここにいるから。
やっと包み込んだ、彼女は思っていたよりもちいさくて、こんな子供を、ひとりになどしてはおけないと、母親のように思ってしまったのだった。
20111018