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世界でいちばん大切にしたいものと訊かれて、「足の裏」なんて答えるような人は一人もいないのだ、きっと。
下井草さんは最低な人間だ。

「加世子、お前がいちばん大切にしたいものはなんだ?」

下井草さんはうれしそうにわたしに尋ねた。
わたしは崩れかけた下井草さんの大量の資料を片付けながら、ため息をついた。

「下井草さん、わたし…」
「おい待て加世子、お前まさか恋人だなんて馬鹿げたこと言うんじゃねえだろうな」
「…悪いですか」

ギイギイと絶え間なく下井草さんの古い椅子は鳴り続ける。
下井草さんは一体いつから咥え続けているのかわからないような一本の煙草を、まるで火が点いているかのように、ふかした。

「悪いに決まってんだろ」

指一本も置く場所のないほど積まれた、大きな机の上の大量の資料を、片手一本で払いのけ、国会の議長にでもなったつもりなのか下井草さんは、両手を絡ませて云った。

「恋人は物じゃねえ、人、だろ?」

下井草さんはどうだといわんばかりの表情でわたしを見る。

「でも者はものって読みますし」
「…………」
「…………」
「…………」
「それに足の裏は人体の一部であって、決して物ではないと思います」
「…………」
「…………」
「加世子ってさあ……、」
「………」
「頭切れるからめんどくせえよな」
「バカなこと言ってないで早く仕事してください」

机上のわたしの携帯が震え、埃が舞った。
相手は宗介くんだった。

「なあ、加世子、足の裏は大切なんだぞ?なんたって大地を踏みしめてくれるんだからな」

下井草さんは続けた。

「人類全てが、いや、人類だけじゃねえ、世界中の動物たちが、足の裏を使って歩いてんだ。これってすごいことだろ?な?一研究者として云っとく。加世子、足の裏を大切にできねえ男とは死んでもヤるんじゃねえぞ」
「ば、バカなこと言わないでくださいってば」

携帯を手に取る。震えるそれを開いて、通話ボタンを押した。携帯電話越しにいくつか言葉を交わすわたしのうしろで下井草さんがぽつりと、バカなことねえ、と呟いた。

「バカなことってな、意外と馬鹿にできねえもんなんだぜ加世子」

在るはずのない煙草の煙が、見えた気がした。


20110408


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