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「今、何時?」

わたしが聞くと、となりでタバコをふかしていた宋介くんは少しだけ間を置いてから、零時前だといった。

「零時前ってだけじゃ、何時かわからない」

むくりと起き上がると、口のなかがねばねばして気持ちが悪かった。
水が欲しい。
ベッドサイドには、宋介くんが常備しているボルヴィックがあるはずなので、わたしは目をつむったまま手を伸ばした。

「わかんなくていいだろ」
「よくない」

けれど手の平は、冷たい木目をなぞるだけで、ペットボトルは見つからない。

「だって、また寝るだろ、お前」
「寝ない」
「寝るよ、その目は」
「寝ないよ」

目を開けると、真っ暗で何も見えなかった。
となりに宋介くんの気配があるというだけで、わたしも宋介くんも時計も世界もなにもかも見えない。

ただ、宋介くんと目が合っているような気がした。

その次の瞬間には、宋介くんの気配が動いていた。

押し殺したように静かな呼吸の音が聞こえて、男の人のくせにわたしより奇麗な手の平が、迷いなくわたしの頬に触れた。


宋介くんは暗闇のなかが得意だ。
わたしにはなにも見えないのに、宋介くんにはすべてが見えているようだった。

闇のなかの宋介くんは、光のなかの宋介くんよりずっとよく動く。

昼には億劫がって動こうとさえしないけど、夜になれば、やたらとキッチンに立ちたがったり、意味もなく部屋とベランダを行き来したりする。
初めて入るホテルでも、夜中、宋介くんは電気も点けずによく歩き回っていた。


暗闇を好む宋介くんにその理由をたずねると、宋介くんは決まってこう答える。

「暗闇でなにも見えなかったら、加世子を守れないだろ?」

そんな理由に納得したことは一度もないけれど、それを聞くたびに、胸の奥のほうが、じんわりと温かくなるのだった。


「加世子」

宋介くんの手の平が、頬からまぶたへと移動した。
開いていた目が、まばたきをするように自然に閉じられてしまう。

「今日は疲れただろうからもう寝ろ」

とても近くで、宋介くんが言った。

「誰のせいよ」

叫ぶようにもらすと、宋介くんが肩を震わせていることに気がついた。

「そういうの、いいから」
「…よくない」

わたしは不機嫌になる。

「加世子がごねるのは眠い証拠だって。ほら寝ろ」

ボスンと、大きな手で頭を包まれて宋介くんの胸板に顔を押し付けられた。

力で流されそうになっているのを感じてむっとする。

そうやって波立った心に沿って反論をしようと思ったけれど、とくんとくんと脈打つ宋介くんの心臓があまりにも近くにあったので、やめた。

「宋介くんはずるい」

タバコの臭いがした。

「どこが?」

宋介くんの声は宋介くんの身体に響いて聞こえる。
ずいぶんと温かみのある声だった。

「…うまく、わからないけど、ずるいと思う」
「なんだよそれ、意味わかんねえ」

宋介くんに少しだけ生える胸毛に触れないように縮んだ。

「やっぱり寝ようかな」
「あー、そうしろ」

あたりは暗闇だからなにも見えないはずなのに、宋介くんの瞳が見たくなって、目を開けた。

「…ねえ、今、何時?」
「零時過ぎ」

やはり、わたしにはなにも見えない。



20110127
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