「ディルムッド様」

響いた声は自棄に透明で。

「此処は余が任されましょう。どうか御休息を」

そう言って彼女は軽く頭を下げる。けれどもディルムッドは首を横に振った。

「これは俺の仕事だ。エムレンに任す事などないさ」
「いえ、今一時とはいえ我々は共闘する仲。明日に備えお身を完璧にしておくべきです」
「――エムレン」

長い睫を上げ顔をあげる。そこには憂いを帯びた騎士の顔があった。

「そう気負わないでくれ。そのお前は、苦手だ」
「……ディルムッド、早く霊体化して下さい。私の気が気でなくなる」
「ほう、それは何故」
「見たところケイネス様とも上手くいっていない様子。更には許婚というソラウ様も魅了にかかている始末。精神的負担も大きいでしょう、ですから、休息を」

その姿にディルムッドはくすくすと小さく笑い声をあげた。彼女はディルムッド、と咎めるように彼の名を呼ぶ。

「いやそう怒るな。つい、な」
「何がついですか!いい加減にしないと本気で怒ります!」
「しー」

ハッとしてエムレンは自らの口を押さえた。此処は廃墟、ただでさえ静かなのに大声など出しては筒抜けだろう。
暫くして何も起こらない事を確認してエムレンは息を吐いた。

「…ディルムッド」
「はははっ、分かった分かった」

まるで子供のように笑うディルムッドに彼女は頬を膨らませる。

「では俺は暫し休息をとらせてもらうよ」
「ええ朝まで現れないで下さい」
「……っく、ではお言葉に免じて、"メルル"」

それは不意打ちだったのか、エムレンを目を見開きながら消えていくディルムッドを見遣った。

メルル。

それは本当に何気ないことだった。フィアナ騎士団時代についたあだ名。舎内では皆がそう呼ぶ始末であった。理由はなんてことはない、ただエムレンが拾ってきた子犬につけた名がメルル。だが引き取り先も見付かりその子犬は三日とせぬうちに舎を去った。その後誰だったか、メルルに似ているなどと馬鹿げたことを言い出した輩は。

ふ、と。
小さく笑みを零しエムレンは見回りの為にゆっくりと歩き出した。



****



日が差した頃に目覚めた。相変わらず埃っぽいが、仕方がない。
アレの気配がした。しかし、アレの気配はしない。

「――ランサー」
「はっ」
「女はどうした」
「エムレンでしたら、ケイネス殿とソラウ様の食料を調達しに行くと」

どこまで気の回る女なのだと、ケイネスは呆れの息を吐いてふと、疑問に思ったことを口にした。

「…どこに行ったのだ…?」
「いえ…私も存じておりません…」

あの格好で街中に?
いや、まさか。第一金がないだろう、盗む…、というのか?それも考え難い。では、一体、
思案しているときこえる足音。そちらを見れば今しがた考えていた人物が。

「お目覚めになられましたか」

パーカーにジーパン。
それだというのに、この着こなしよう。英霊という奴らは何故こう揃いも揃って美貌の持ち主なのか。

「失礼ながら、ケイネス様方のお口に合うものが分からず、娘の元で衣類他を借り余の判断で食料を調達いたしました」

相変わらず淡々と喋るエムレンは買ってきたという袋をケイネスに渡す。

「ソラウ様はどちらに?」
「此処にいるわ」

後ろにいたソラウに別段驚くわけでもなく、もう片方の袋を手渡す。それを粗末に受け取るソラウをエムレンは何も言わずにただ見て、その場を下がった。

「――それで、ケイネス。これからどうするつもりなのかしら」

刺々しい声がケイネスを突き刺す。始まった、と。エムレンとディルムッドはお互いに顔には出さすにそう思った。

「折角設けた工房もあの様じゃあねえ」
「失礼ですがソラウ様、あのお陰でケイネス様及びでぃ…ランサー様は既に脱落されたという思い込みを齎した筈です。決して、無意味などではないかと」
「少し黙ってて頂ける?」
「出過ぎた真似を致しましたね。しかし、貴女様がケイネス様を侮辱できる要因など何一つ無いと、それだけは肝に命じておいて下さいませ。失礼致しました」

矢継ぎ早にそういってエムレンは頭を下げ姿を消した。まさか説法されるとは思ってもいなかったのか、ソラウの目は見開いたままだ。
けれども彼女は、昔から何一つとして変わっていない。
どんな状況であれ彼女は自分の意見をきちんと述べれる。それも決して悪い方向へとは進めない。それが彼女がフィアナ騎士団に所属できていた理由のひとつでもあっただろう。女は男に従う、そんな世界の中で彼女はどれほど苦しんだか、どれほど屈強な精神を身につけたか。ディルムッドは変わらぬ後輩にほくそ笑んだ。



****



晩まで彼女が姿を現すことはなかった。
ランサーが言うにはここら一帯を回っているそうだ。つまりは見張り、ということになるのだろう。キャスター討伐に向け失った一つの令呪を補う為の作戦が行われていた。そこで気になるのは彼女のスキルだ。それと、可能ならば宝具を知りたいところ。だが、そう易々と教えてくれるものだろうか?

彼女の神話は数少ない。「フィアナ騎士団唯一の女であり主であるフィン・マックールに心身を捧げたといわれる。仲間を常に想い女の身でありながら一時期はフィン・マックールの右腕まで成り上がったという」そんなどうでも良いことばかりで重要なことは全て記されていない。ただ「女の身でも強い」ということばかり書いてあるのだ。
そもそも何故真名を隠さないのか。否、隠す必要がないとも言いたいのか。

「…ランサー」
「はっ」
「女を呼んでこい」

承知した、とディルムッドも姿を消す。そうして暫くもしない内に藍色の髪を靡かせその英霊は姿を現した。

「お呼びでしょうか」
「貴様の宝具はなんだ」

駄目元で聞いたつもりだったが、彼女はなんてことないように腕を右側に伸ばす。
其処に現れたのは、あのコンテナで見せたものと同じ武器。


「我が宝具"謳われし剣(ディクレアフレン)"。彼の精霊皇女フレディアから頂いた剣です。ある一定の条件を満たせばその時は我が力に応えていただけるでしょう」
「一定の条件…?」
「"余が強く望む"ことです。生前は仲間を助けたいが故によく期待に応えて頂けましたが…今はどうでしょうか…」

あまりこの生をよく思っていないエムレンのことだ。そこまで強く望めない、ということだろう。

「一つ言っておかねばならないのは余とてこの宝具は死んでも扱いきれませんでした。恥ずかしながら、自分の感情をコントロールしきれないものでして…。しかしご安心下さい。余は与えられた責務はこなしてしんぜましょう」

そう言って彼女は剣を消し膝をついて、頭を垂れた。

「…ならお前はソラウの護衛を」
「仰せのままに」


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