その二人を出迎えたのは一人の魔術師だった。
「おかえりなさいませ、王よ」
「―――…」
深々と一礼するその姿に嫌悪と侮蔑の眼差しを送れば腕の中の彼女が動いた。
「貴方様が王のマスターであらせられますか?」
その優しい物言いに時臣は拍子抜けした。この男を言い包めるほどの女がどのようなものかと思えば、
「行き成りのご訪問を御赦し下さい。我がマスターは幼子故、戦闘の意志はないと仰せになられました。我等は此の度の聖杯戦争にては招かざる者。ですから「くどいぞマーニャ」
幾分か機嫌が悪いアーチャーにマーニャはあらあらと呟き差して困った様子をするでもなく、ふわりとその腕を布のようにすり抜ける。
「ならば御行きなさい。わたくしは別に貴方の侍女として呼ばれた訳ではありませんので」
表面上微笑して促すが、その目は笑ってはいない。どちらかと言えば邪魔をするな、そう言いたげだ。
「貴様は我のモノであろう」
「笑えない冗談を口にするのね、我が王様は。わたくしがいつ王のモノになりましたか?」
そう言って鼻を鳴らし時臣の元へ歩き出す。固まっている時臣の手をとり、彼女は微笑んだ。
「さあ聴きたい事は山の様に御座いましょう。どうか話易い所へ案内していただけますか」
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高級なソファに座り渡されたワインに口をつける。そっと背もたれに身を沈め関心したように声を漏らした。
「素晴らしいものね、現代においてこのようなものが量産されているなんて」
手の平でソファの手触りを確認しつつ頬を綻ばせる。其の姿は、先程アーチャーを見ていた目ではない。十分に堪能したのか、再度座り直し、赤い魔術師を見詰めた。
「それでは、設問をお受け致しましょうか」
「――君は」
何者なんだ、そう単刀直入に言った魔術師に彼女は笑う。もう一度、赤い液体に口をつけその味を吟味しながら言葉を綴った。
「…そうですね。マスターである貴方様でしたらわたくしのステータスとやらがお見えになられているのでは?一体どのように見えておりますか?」
アーチャーとは違う紅い瞳を細め彼女は微笑した。結果等わかっている、なのに彼女は敢えて口にさせるのだ。
「…在り得ない程の魔力と抗魔力が備わっているよ。キャスター…いや、それ以上かもしれない―――…」
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時刻は既に日をまたいでいた。
暗い筈の部屋に入る。
其処には、電気など付いていないのに天蓋付きの、薄く垂れ下がっている布の奥に光るもの。何の躊躇いもなく其処へ向かえば光る正体があった。
ベットの傍らに腰掛け、髪を下ろしている所為か、幾分か幼く見えるアーチャーの前髪を横にずらす。
「……王」
囁くように、懇願するかのように。
「………お、う…」
震える声で。
「……ぎる、がめっしゅ………」
愛おしい人の名を呼んだ。
ぽたりぽたりと落ちる大粒の雫は頬に落ち横へと流れる。その途端に崩れる体。それは意図としてされたもの。引き摺り込まれるようにベットの中へと誘われた。
「……、…んっ」
重なる唇に精一杯応える。ただお互いが求めるように、何度も角度を変え重なる唇。言葉を口にする間もなくその体を抱かれた。小さく嗚咽を漏らしながら「赦して」と泣き続ける彼女の頭をアーチャーは優しく撫でる。
「マーニャよ」
「ひ、…っく、…」
――外の世界での彼女は平等だった。
平民であろうが貴族であろうがあまつさえ奴隷であろうが、彼女は平等であるように接し、振舞った。それが自分に課せられた生き様だと。それが使命であると、彼女はそう言っていた。
それを壊したのは、誰だったか。
「何故泣く」
嗚咽に塗れ彼女は声を発する。ただ赦して、と。
「赦そう、ああ、赦してやろうではないか。だからそう泣くでない。会話もままならぬではないか」
「…はぁ、ふーっ、…………はい……」
深呼吸をして心を落ち着け、両手を胸の上に重ねる。うっすらと汗を滲ませた額。其れを舐めとるように舌を這わせればぴくりと肩が跳ねた。泣いた後特有の赤く潤んだ目がアーチャーを見上げる。
「ギルガメッシュ、」
離れた顔の両頬に手を添えれば、呟く。彼の真名を。
「全く、気丈に振る舞いおって。そんなに雑種共の目は気になるものか」
「雑種ではありません、人の子でしょう」
「…まだ言うか」
「当然。貴方のそういう所が嫌いだと、何度も言っているではありませんか」
「我は王だぞ。尽くす為に生まれた平民共など雑草同然」
はあ、と溜息を吐く。
仕方が無い、そう言いたげだ。
「――まあ、それよりも」
ベットに沈められるからだ。
「今は再会を祝して――あの夜の続きといこうではないか」
ニヤリと妖艶に笑んだアーチャーにマーニャはぱちくりと目を見開いた。そして、眉を下げ困ったように笑う。
「わたくし等抱いて愉しいものですか」
「…」
「わたくしは与える者、幾人の子と交わったかも不明瞭。そんな女の――」
言い終わるが前に、唇が塞がれた。離れたと思えばぺロリと舌なめずりをして獲物を見詰める。
「確かにそうだな。貴様が我以外の雑種と交わったなど考えるだけで殺意しか沸かん。初夜すら貴様はどこぞの男にくれてやったのだ、その行いは重罪、死に価しよう。…だがな、マーニャ。我は赦すと言ったであろう。お前が我に行った愚行も、愚弄も、罪も、全てを赦すと。お前が世界に向けた罪も同様、赦す、と」
言い聞かせるように綴った言葉に、マーニャは視線を泳がせる。
本当によいのか、と。
彼女は事ある度に赦しを請うていた。其の度にギルガメッシュは彼女を赦した。
何に対してか、それを知っているのは本人とギルガメッシュくらいのものだ。赦して、と。その口から綴られた謝罪をギルガメッシュは何千何万と聞いたか。ただ、彼女が縋れるものはギルガメッシュしか居ない。
自分を赦してくれた。認めてくれた。愛してくれた。
自分には愛など無い、そう言い冷め切った彼女の瞳。求められれば受け渡そう、その体。その彼女の全てを壊しゼロから創り上げた、英雄王。
彼女は間違えなくその男を嫌っていた。だがそれ以上に、愛してしまっていたのだ。
それに気付いたのは、初めて"マーニャ"が抱かれた時だった。そして、彼女は誰に看取られる事も無く死んだ。
だがこの男はそれすらも、赦してくれたのだ。
「今度は逃がさぬぞ、マーニャ」
その言葉は、まるで呪詛の様に纏わりつき、浸透していった。