「――戦闘の意志は無い」

その言葉と共に収集される微粒子。それは形を成し得たことで、意味を齎した。
現れてはいけない筈であるモノの登場にその場に居た皆が身を強張らせるが、相手は殺気というものを全く感じさせることなどなく、寧ろ少々嬉々としていた。

「失礼と存じ上げるが、先ず幾多に渡る魔術結界、実に見事であった。現代の魔術師を少しばかり侮っていたようだ。称賛の辞を送らせて頂こう」

場に似合わない程穏やかな声色と仕草で彼女は一つお辞儀をした。そうしてまた頭を上げると視線を定める。

「そして貴殿が、ケイネスセンセイだろうか」

ケイネスと彼女の間は三間といったところか。十分のディルムッドが入る余地があるその間。特に縮めようとも思っていないらしい、その場で彼女は何処から取り出したのか、手紙を自身の前に取り出した。

「娘からの預かり物だ。余はこれを渡しにきた」

だから、戦闘の意志はないのだと。
確かに彼女からの殺意等というものは一切感じられないが、それを信用して良いものなのか。

「俺が受け取ろう」

膝をついていたディルムッドが立ち上がり、エムレンの元へと歩み寄る。そうして、手紙を渡したと同時に彼女は更に三歩下がり、窓際にてゆるりとした動作で肩膝をついた。
それは別に敬意を表している訳でもなく、ただ単純に彼女なりの敵意の無さを表している。

ケイネスの目前に行き、手紙を献上するかのように渡したディルムッドは直ぐに元の位置へと戻ってしまった。
エムレンは手紙を読み始めたケイネスをただじっと見つめる。ある程度読み終えたのか、視線がぶつかった。

「…なんと、書いてあっただろうか」

その表情は困惑しているようにも見えたし、どうでもよさげにも見えた。ケイネスはただ一言、事実を口にする。

「要約すると、お前を私の元に置いておきたいらしい」

両目を見開き、苦虫を潰したような顔でエムレンはただ続きを待った。

「全く、あの娘はどれほど私を莫迦にすれば気が済むのかね」

言葉上厭味な筈なのだが、声色は存外穏やかだった事にその場にいた二人は息を呑んだ。一体その内容はなんと書いてあったのだろうか。

「…同意せざる得ない。このような事に令呪を使われるのはさすがの余でも誤算だった」

小さく溜息をつくその表情は疲労の色が伺える。令呪を使われたことで魔力を浪費させられたか、それともただの呆れか。エムレンが何か言葉を発しようとした時、鳴り響く警報。

「……なに?何事?」

ソラウの戸惑いの声と共に今度は備え付けの電話が鳴り響く。それをケイネスは特に慌てる様子なく座っていたソファから立ち上がって受け取る。なにやら受話器越しで喋っている男に「わかった」と言って此方に向き直った。

「下の階で火事だそうだ。すぐに避難しろと言ってきた。小火程度のものだそうだが、どうやら火元は何ヵ所かに分散しているらしい。まぁ間違いなく放火だな」

ピクリと反応した者達。
ディルムッドは立ち上がり真剣な面持ちで主の話に耳を傾ける。彼女は先程と変わらぬ窓際で外を眺めていた。

「放火ですって?よりによって今夜?」
「フン、偶然なわけがあるまいさ。人払いの計らいだよ。敵とて魔術師。有象無象どもがひしめく建物で勝負を仕掛ける気にもならんだろうからな」

一瞬で張り詰める空間。その意味を理解出来ぬものなど、この場にはいない。

「じゃあ――襲撃?」

ちらりと向けられた視線。
それに気付いてか気付いてなくてか、彼女はただ呆然と下の階を眺めていた。その瞳に映っているものは、何か。


「――いや、おそらくは。先の倉庫街でまだ暴れ足りないという輩が、押し掛けてきたのだろう」


しかしその考えを否定したのはケイネスだった。

考え方としてはソラウの方が正しいのだろう。確かに彼女は先程ケイネスの魔術結界を見事だと称した。

しかし、それでも、だ。

彼女はそれを悟られることもなく此処へと辿り着いてしまった。令呪のバックアップがあったとしてもそれは異常なことだ。けれどもケイネスはそれを否定した。その理由は一体なんだというのだろうか。

「面白い。不本意だったのはこちらも同じだ。そうだろう?ランサー」
「はい。確かに」

ディルムッドの返事にピクリと反応したのか、エムレンはようやく室内に意識を戻した。

「ランサー、下の階に降りて迎え撃て。ただし無碍に追い払ったりはするなよ」
「承知しました。襲撃者の退路を断ち、この階に追い込めば宜しいのですね?」
「そうだ。ご客人にはケイネス・エルメロイの魔術工房をとっくりと堪能してもらおうではないか。他の宿泊者どもが引き払えば、もう何の遠慮もいらない。お互い存分に秘術を尽くしての競い合いができようというものだ」



その考えに、エムレンは「違う」と言いたかった。

彼は策士ではない。
戦士でもない。

ただの、魔術師であると、彼女はその時に悟って"しまった"のだ。

「余は、如何したものか」

ようやく口を開いたエムレンだったが、相変わらず窓際に膝をついている状態だ。疲れているのか緊張感の欠片も見当たらない。どちらかというと気ダル気だった。

「そうだな、お前には此処に居てもらおう」
「…!ケイネス!」
「問題ないさ。奴は令呪によって命を受けている。逆らえる筈がない」

なるほど、と。
小さく頷く。あの娘、一体どういうつもりかは知らないがとんだ虚言を手紙に綴ったらしい。

最も、エムレンも無茶な命令でもない限りケイネスに逆らう気はないのだが。



「エムレン」



脳髄に響いた甘い声に彼女は立ち上がる。
それを見上げれば、真剣な瞳が此方を見据えていた。

「ケイネス殿とソラウ様に危害を加える気は」
「ありません。我が身にかけて、虚言を口にするつもりは一切御座いません」

深く深く、相手に敬意を込めて、誓ってみせた。
ほぅ、と息の吐く音。

「――ケイネス殿とソラウ様を頼んだ」
「無論です」

そうして頭を垂れていた顔をあげ、去っていく背中を見送った。反転して部屋を見詰めれば赤髪の女性と目が合い、エムレンは苦笑いを零す。そしてケイネスの方へと視線を移した。


「ケイネス様―――」




ぐらりぐらりと息つく間もなく床が揺れ、崩壊した。



****



ケイネスが目覚めた時に見たものは、光、だった。

「――!?」
「…お目覚めになられましたか」

後方から声がしているのか上から聞こえているのか、いやむしろ上が何処で下がどこなのか。

「もう暫くお待ち下さい、着きます」

そう言うや否や急降下する体。しかし本当に落ちているのかが分からない。どうなっているのか。
とにかく、ケイネスは混乱していたのだ。一体何が起きているのか全く分からないほどに。


やっと着いた両足の感覚に違和感を覚えながらも歩き出す。頭に血がのぼったのか、その顔は赤く染まり軽く血管も浮き出ている。頭をおさえずりずりと足を引きずりながらもきちんと歩くのは流石というべきか。
エムレンはそんなケイネスに声をかけることも、肩を貸すこともなくソラウを抱えたまま廃墟の中へと足をすすめる。
今ケイネスを気遣ったところで彼のプライドに触ると知ってだろう。目だけでケイネスの安全を確認しながら奥へと進む。
部屋らしきところに入ると埃やらなにやらと随分と汚い。あたり前のことではあるが、やはりケイネスは顔を顰めた。その場にあった薄汚いソファーをエムレンが器用に足でほろい、ソラウを寝かせる。優しく、起こさないようにと。

「状況は理解できましたか、ケイネス様?」


視線はソラウに向けたまま、ようやくケイネスに話掛けた。片膝を付いて何やらソラウの体を触っている。

「…何をしている」

そんな姿を不審に思ったらしい、ケイネスは棘のある声でそう言ったがエムレンは気にする様子などなく、ただ「体に負傷がないか調べています」と言ってもう一度先程と同じ言葉を綴った。

「…ホテルが爆破され、た」
「はい」
「それから…」

それから?それからの記憶などケイネスにはない。気付いたら空中散歩、などと気持ちの良いものではなかったが、空中にいたのだ。

「僭越ながら余がお二人を」

分かっている。分かっていた。
あの状況、そして自らを担いでホテルから脱出したのはこの女以外ありえない。あんな細いからだで、大人二人を抱えたまま此処まで彼女はやってきたのだ。それも、汗一つかかずに。
外見に騙されてはいけない、そう、彼女だって立派な英雄と讃えられたサーヴァントだ。

ソラウの体に異常がないことを確認し終えたのか、立ち上がり今度はケイネスの元へと行く。そして膝をつき、足首を掴んだ。

「―――ッ」
「…何処かでぶつけましたね」
「この程度、問題などない」

失礼します、と小さく言ってから患部に触れないよう慎重に捲くる。そこにあったのは赤黒く腫れている足首。
問題などない、などと見栄を張っても意味などないのにと思ったことを彼女は心の内に閉じ込めた。
ぽう、と光ったのはエムレンの手。みるみる内に引いた痛みにケイネスは顔を顰めた。
それが何たるかは彼が一番理解しているし、自分で使用することも可能であった。ただ今は、混乱していたのだ。


「治癒魔術、」


その正体を口にすれば彼女ははい、と小さく頷く。そして足元から順に不調なところがないか、ソラウと同様に調べていく。

「マスターであるケイネス様でしたら余のステータスはお見えになられている筈ですが」

静かに、静かに。
腰、胸、肩、腕。順に触れて、確認していく。

「……貴様のクラスはなんだ」

あまり気分の良いものではないらしい。顔を顰めながらもケイネスは声を噛み殺したように問うた。


「その話をしますと少々長くなりますが、よろしいですか?」

最期に首に触れ、彼女の手が離れる。
無言を肯定と決め込んだのか、エムレンは軽く瞳を伏せた。その憂いを帯びた姿の、なんと美麗なことか。
誰だって息を呑むに決まっている。それは、ケイネスとて例外ではない。

彼女は音を紡ぎ出す。


「まず、本来あるクラスに当てはめるとしましたらセイバーという所でしょう。しかし、我々は少しばかり特殊な存在であるが故に、真のクラスは罪人(シナー)と呼ばれる特定の人物にしか与えられない座に強制的に誘導されます。その座である以上、また同じ者にしか召喚されません」
「同じ、者…」


ケイネスは吟味するかのように呟き、エムレンは小さく頷いた。

「同じ者です。あの娘が異常だということは分かりますよね?」
「…ああ」

あの娘か。
確かにアレは異常だ。

だから、同じ者なのです、と。
一番重要な事を濁しながらもエムレンは微笑んだ。

「それと、ひとつ言っておかなければならない事がございます」
「…なんだね」
「余は聖杯に託す願いなどございません。故に誰の元に聖杯がいこうが、どうでも良いのです。ですから可能な限りはケイネス様の元に聖杯が渡るように最善を尽くし昇進致します」


ですが、と。

エムレンは強く、強く言い切った。



「この身死後であり仮初の命であろうとも忠誠を誓ったのは我らが主フィン様のみ。故にケイネス様に忠義を尽くすことは御座いませんが――何卒ご理解頂けますよう願います」


そう言って彼女は一人の騎士として、膝をつき、頭を垂れた。


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