Giyu Tomioka



※前半は善逸と冨岡の会話(善逸→禰豆子表現あり)


風紀委員の朝は早い。まだ生徒が誰一人登校していない静かな門の傍らに鞄を置き、欠伸をしながら右腕に腕章を取り付ける。眠気と寒さで指先が思うように動かず何度針を刺したことやら計り知れない。善逸は今日も文句ひとつ言わず、いや、言えず朴念仁の隣でボードを片手に服装チェックを行うのだ。それは晴れの日も、曇りの日も、雨の日も、…二月十四日も変わらない。何が悲しくてバレンタインデーに校門で服装チェックを行わなければならないのか。通学中にクラスの女子に話しかけてチョコを強請った方がよっぽど有意義に過ごせる。


「我妻、今日は特に学業に不要なものを持ち込む者が多い。見つけ次第必ずチェックを入れろ。」


中等部から高等部まで学園のほぼ全ての女子が該当するだろうに、無理な注文だとしても善逸は首を横には振れない。逆にチェックを入れない方が難しい。模範的優等生な禰豆子でさえ自分の為に作ったチョコを持って来てくれるのかもしれないのだ。そんな彼女にチェックを入れて、後日冨岡にきつく注意されてしまっては可哀そうだ。兄の炭治郎と違い、冨岡を相手に堂々と発言し走って撒くほどの力はない。かといって見逃せばまたパワハラ教師の拳が飛んでくるだろう。板挟みの状況になりやすい性格は自負しているが、まさか生まれ変わっても継続したままだとは思わなかった。

それはそれとして善逸が一番納得がいかないのは、去年校内バレンタインチョコ獲得数二位の座に輝いておきながら、今年は健気な女子生徒の努力を注意しようとする冨岡の行動にあった。イケメンの考えることはさっぱり分からない。黙っていれば今年も大量に貰えて、モテない男共が地面に這いつくばる様を高みの見物できるというのに。いや、冨岡がパワハラ教師だと分かっていてもチョコレートを渡す女子が後を絶たないのだから、今更注意されたところで引きやしないか。ちらりと並び立つ冨岡に眺望の眼差しを向ければ、それに気づいた冨岡もまた目を向ける。まさか視線に気づかれるとは露にも思っていなかった善逸は慌てて何か会話をしようと試みた。何を考えているか分からない冨岡から視線を逸らせなかったからである。


「こ、今年はチョコ獲得数一位を目指せるんじゃないですか?」
「…くだらない。」
「でも受け取るんでしょ?」
「勝手に置かれているから仕方なく持ち帰っている。食べ物を粗末には出来ない。」


これだからイケメンは、と言えば絶対に拳が飛んでくる自信があったため善逸は出かかった言葉を息と共に飲み込んだ。偉い、よく耐えた。炭治郎なら間違いなく褒めてくれる。一方で、教室の自分の学習机を想像してみてもチョコが置いてあるどころか消しゴムのカス一つ落ちていない。山積みなんて夢のまた夢である。真っ新な机を見て落胆する虚しい姿を、頭をぶんぶん振ってかき消した。チョコは女の子の想いの具現化であって、結局のところ量より質だ。好きな女の子から本命チョコを一つ貰えるだけで男は十分舞い上がるし満足してしまう単純な生き物だ。冨岡だって前世からの彼女である名前からのチョコ一つで十分なはずだ。それを幾つも貰うだなんて贅沢が過ぎる。善逸の燃え滾る嫉妬は留まるところを知らず、少しだけ意地悪をしてやろうと思い立った。少し、いや、かなり。


「大量に持ち帰ったら名前さん心配するんじゃないですか。」
「何故だ。」
「何故って…、女子達の中には義理じゃなくて本命の子もいるだろうし、自分という彼女が居るのに彼氏が想いを断らずに持って帰ってきたら不安でしょうよ。」


凪いだ湖畔に佇んでいるような音を出し続ける冨岡から一瞬でも動揺が滲めばいいと精一杯の意地悪を吐いたつもりだった。誰よりも大切にしている彼女が自分のせいで不安を感じていると聞かされれば水面に波紋ぐらい立つだろうと息を荒くする。妙に演技がかった口ぶりになってしまったが、冨岡は怪訝な顔をすることなく黙り込んでしまった。しかし、閉じた口とは反対に滝壺に落ちる水の束が飛沫を上げるような激しい音が善逸の耳に突然飛び込んでくる。頭がくらくらするほどの轟音は耳を塞いでも断続的に容赦なく降り注ぐ。如何にも冷静ですと装っていても隠しきれていないことに冨岡は気づいていないだろう。したり顔を浮かべながら善逸は王手を打つ。


「昨今は逆チョコなんて文化も生まれてきてますし名前さんも案外受け取ってたりして。」





冨岡は今日一日を心ここに在らずの状態で過ごした。階段で躓いたり、口の端からお茶を溢したり、体育の授業では避けられるはずの生徒のシュートが腹に直撃したりと、流石に女子生徒達からもひそひそと揶揄される始末だ。そんなことは気にも留めず冨岡はただ善逸の言葉を真摯に受け止め去年の名前の様子を思い出していた。紙袋一杯に詰め込まれたチョコを見て、何か言いたげな顔をしていたような…気がする。正直なところはっきりとは覚えていないのだ。泣いて嫌がられたなら兎も角、些細な表情の変化、ましてや一年も前のことを鮮明に思い出せるほど人間の脳は良く出来てはいない。深く息を吐いて片腕の重みに目を向ける。限界まで膨らんだ紙袋の中に大小様々な箱や袋がぎっしりと詰まっている。手渡しに来る女子生徒からは全て断ったにも関わらず、その数は去年を上回っていた。不在時の職員室の机の上や靴箱に入れられてしまえば返しようがないと閃いた生徒の知恵に完全敗北したのである。恋する乙女の底力の前に冨岡の努力など無に等しかった。


「おかえり、今年も大量だね。」
「ただいま。」


帰宅した冨岡を出迎えた名前は紙袋を見て感嘆の声を上げる。明らかに昨年より量が増えているというのに、特に追求する様子を見せないため冨岡は戸惑った。それどころかチョコの山から箱や袋を掬い出しては、"百貨店の催事場にあった高いやつだ"だとか"高校生でこんなに美味しそうなものを作れるのは凄い"などと感心している。不安とは真逆の感情をまざまざと見せつけられれば困惑するのも無理もない。


「モテモテな恋人を持って私も鼻が高いよ。」
「…嫌ではないのか。」
「まさか、何で嫌がる必要があるの?」


悟られないように気丈に振舞っているという線も完全に消えた。名前が不安を感じていないならばそれに越したことはないが、妬いてくれるのではないかと淡い期待を抱いていた部分もあった。前世では異性と関わる機会と言えば胡蝶か甘露寺、禰豆子ぐらいで名前が嫉妬するような間柄の人間はいなかった。しかし現世は教師となり、学生とはいえ名前の知らない異性と関わる機会が増えたのに気にする素振りも見せない。まるで関心がないともいえる態度に、今度は冨岡自身に不安が芽生えてくる。今世の自分にはもう愛がないのだろうか。深く深く愛しているのに一方通行なのだろうか。


「俺が他の女から言い寄られていても嫌ではないのかと聞いている。」


冨岡が紙袋を漁っていた名前の手に己の手を被せて動きを止めさせると、名前は眉を寄せて唇を尖らせた。帰宅時に紙袋を見て真っ先にして欲しかった表情に息を飲む。初めからその表情を見せてくれていれば、心配させてごめんと抱きしめて精一杯愛を伝えていたのに。女々しい聞き方をした後では効果はないかもしれないが、無性に名前を腕の中に閉じ込めたくなった。思いのままに抱き寄せて髪を梳くと、呼応するように名前は細い腕を背に回して受け身の態勢を取る。


「…面白くはないかな。」


とくんとくんと聴こえてくる心拍音の裏にある押し込められた感情の音は冨岡には聞き取れない。だからこそ言葉や行動にして伝えていく必要がある。


「でも義勇は私の手を絶対離したりしないって信じているからね。」
「…俺は名前が男から逆チョコなるものを貰っていたならば嫉妬心をぶつけていたかもしれない。」
「心配は無用だよ。だってほら、」


名前は左手を手の甲が見えるようにして冨岡の顔の前まで持って来た。薬指には去年のホワイトデーに冨岡が名前に渡した指輪が嵌っている。なるほど、どうやら指輪の台座に嵌め込まれた冨岡の瞳を連想させる深い蒼の鉱石は男除けとして役立っているらしい。それがもし金剛石であったならば彼女の指を更に眩く輝かせ強固な絆を証明していただろうと思うと、今年のお返しは決まったも同然だ。


back