Giyu Tomioka



ウィンドウショッピング中に見かけた小さな雑貨屋の扉を開くと、からんと鈴の音が静かな店内に響き渡った。一歩足を踏み入れればそこは温かみのある空間が広がっていて、淡い橙の電球の光とインテリアとして置かれている観葉植物、スピーカーから小さく流れるクラッシックは落ち着いた雰囲気を醸し出している。そして人と人とがやっとすれ違える幅に設置されている棚を彩る可愛らしい小物に胸が高鳴った。いかにも女性が好みそうな店だが、名前が入店した目的は男性向けのプレゼントを探すためである。そっと扉を閉めて冷え切った手を擦り合わせながら左から蛇腹に店内を順に回っていった。

気になったものを手にとっては棚に戻し、また次の棚へを繰り返すこと数十分。ついに店の端から端までを網羅した。頭の中ではもう何個かに候補は絞られているのだが、いまいち決定打に欠ける。何故なら、名前の趣味で選ばれたものであり、喜んでもらえるか想像すると躊躇ってしまうからだ。本来ならば贈る相手に事前にそれとなくリサーチをかけておくべきなのだろう。しかし贈る相手、もとい幼馴染である冨岡義勇は誕生日に問わず物欲がない。毎年何が欲しいか聞いても、特にないとしか返ってこず空振りに終わる。それならば無理して渡す必要もないのだが、意地でも欲しかったと思わせるものを贈りたいと闘争心を燃やし、小さい頃から続けてきた習慣を打ち止めるタイミングを失ってしまって今に至る。渡せば受け取ってくれるし、感謝の言葉はくれるから嫌な気はしないのだ。そしてまた名前も義勇を想ってプレゼントを選ぶ時間が好きだった。そんな二人だから成立した奇妙な関係である。


「パスケースかコインケースか…、キーケースも捨てがたい…。」


悩んでいたのはいずれも革製品で多少可愛らしい印象を受けるものの、男性が使っていても差し障りないデザインだ。実用性もあり、複数持っていても困らないから突き返されることはないだろう。残された問題はどれを選ぶかである。今年から社会人になり財布が潤っているといっても、革製品となれば値は張る。全て買えるほどの余裕は名前にはない。強いて一つ選択するならば、コインケースだろうか。彼が現在使っている財布は名前が大学一年の誕生日にプレゼントしたもので、所々痛んで剥げている部分もあり年季を感じる。彼曰くまだ使えるから替える必要はないらしい。とは言え、職場や友人の前で出すのだから恥をかかないか心配していた。いい機会だから新しいものをプレゼントして変えてもらうのも悪くない。たとえ物持ちが良い義勇でも新しいものを渡されれば替えるだろう。コートのポケットに入れてあるスマートフォンを取り出し、夕方家に行くねと簡易なメッセージを入れてからコインケースのみを手にしてレジへ向かい、ラッピングまで依頼して店を後にした。

店名が入った紙袋を手に、寒さに身を縮こませながら街を歩く。寒気の影響でここ数日冷え込んでいるからか普段よりも人が少ない。歩きやすくていいのだが、活気がないのも案外つまらないものだ。だからこそ街行く人々一人一人の姿が鮮明に見える。季節柄似通った上着を身にまとっていても、見知った後ろ姿を見つけるまでに時間はかからなかった。マフラーから飛び出した無造作に括られた黒髪は歩みを進めるたびに跳ねて踊り、丈の長いコートの袖から伸びた白い手首には青いベルトの腕時計が存在感を浮き彫りにしている。腕時計は昨年の義勇の誕生日に名前が選んだ一点物に酷似しており、身体特徴も掛け合わされて見間違えることはない。家まで訪ねて渡しに行く手間が省けたと名前は手を振りながら駆け寄ろうとした。

半径三メートル程の距離まで近づくと、義勇が時折俯きながら横顔を見せることに気が付いた。一人で歩く際に目線を下げたり横を向いたりはしない。目新しいものがあったとしてもせいぜい目で追うに留まる。それが物事に頓着しない義勇となれば、余計に不自然に見えるのだ。余程面白いものでもあるのか人の間を擦り抜けて更に距離を縮め、義勇が目を向ける方に視線を向ければ、傍らには丁寧に髪を結って蝶の飾りをつけた小柄な女性が並んで歩いていた。長い睫毛に大きな瞳は女性でも見惚れてしまう愛らしさがあり、義勇と並び立つに相応しい、いや、それ以上だ。義勇にこのような美麗な友人がいると聞いたことがない。女性は時折義勇の上着を人差し指で突いては、口元に手を当て笑みを溢している。眉を寄せて煩わしそうな顔をしつつも許しているあたり、気心のしれた間柄なのだろう。あまり人を寄せ付けない義勇のパーソナルスペースに入り込めるのは幼馴染である自分だけだと思っていた名前にとって、目の前が真っ暗になるぐらいの衝撃だった。歩みは自然に止まり、かさりと音を立てて紙袋が力の抜けた指先から地面へと滑り落ちた。





そこから先はどうやって家に帰ったのか覚えていない。気が付けば冷え切った暗闇の自室の中央で体育座りをしながら窓辺に浮かぶ月を眺めていた。同じように隣に鎮座する紙袋は無意識ながらも捨てきれなくて持って帰ってきたのだろう。淡い藤色の袋が昼間の彼女を連想させて、ちくりと針が胸を射す。…可愛らしい人だった。比べて名前は平々凡々、良くも悪くも十人並み。いくら努力しても生まれ持った素質には敵いはしないと思い知らされた。その上、義勇は外見で判断するような人間でないから、彼女は美貌もさることながら性格も良いのだろう。名前の中で話したこともない彼女のイメージは勝手に押し上げられていき、その度に何度目か分からないため息を吐く。


「付き合っているのかな…。」


自分で呟いておきながら深く胸を抉った。誕生日という特別な日に男女で出歩く、即ち付き合っていると容易に推測できる。これまでも義勇に近づく女性は少なくはなかったが、大抵一週間もすれば自ら離れていった。決まって”冨岡くんといてもつまらない”と言って去っていくものだから笑ったものだ。名前は一度たりとも義勇といてつまらないと感じたことはない。感情の起伏や口数は少ないからこそ、ふとした瞬間に見せる爛々と輝く瞳や緩やかに上がる口角が魅力的なのだ。それを見ることなく去っていく女性達は損だと思いつつ、これからも自分だけが独占できると思い上がっていたから罰が当たったのかもしれない。幼馴染という立場に自惚れていたのだ。決して切れることない繋がりを過信し、繋ぎとめておかなかった。美しい蝶に誘われれば自然と追ってしまうのも致し方ない。大切なものは失って初めて価値を知る。義勇は名前にとって代わりのない正しく大切なものだった。…せめて彼女が以前までの女性達と同じだったらと考えてしまう。それは名前にとって都合のいい夢にしかすぎず、昼間の戯れ合いを見るに既に義勇の魅力に気づいている。希望は潰えたと独り言ちた名前に相槌を打つように腹が鳴る。気が滅入っていても腹は減るもので、冷蔵庫にしまってある冷やご飯を温めようと重い腰を上げようとした時だった。

暗闇に似つかわしくないインターフォンの軽快な音が来訪を知らせた。連絡もなく夜分に尋ねてくるような不躾な人間に心当たりはない。セールスか何かだろうと無視しようとした名前だったが、続けざまに二度三度と押されて相手の顔ぐらいは確認することにした。のそのそと重い足取りで玄関へ向かいドアアイを覗けば、片手を上着のポケットに入れながら眉を寄せて苛立ちを露にした義勇の姿があった。何度もインターフォンを押す様子から簡単には帰ってくれなさそうだ。ドア一枚を隔てた先は凍える寒さのはずなのに、名前が出てくるのをただただ待っている。風邪を引かせたくなかった名前はロックを外し静かにノブを下げたのだが、下がりきったところで勢いよくドアが外側に身体ごと引っ張られ、ひやりと冷気が襲う。


「…居るならば早く出てこい。」


珍しく焦ったように白い息を吐きながら義勇は名前の姿を目に留めるや否や一回り小さな身体を抱きしめた。ぎゅうぎゅうと擬音が聴こえても遜色のない熱い抱擁に名前は驚きのあまり小さく悲鳴を漏らす。それを不満だと捉えたのか義勇は一層抱きしめる力を強めたものだから身体が軋む音する。


「痛いって!もう!何なの…。」
「お前が悪い。」
「逆ギレはないでしょう、こんな時間に押しかけておいて。」
「…何故来なかったんだ。」


待っていたのに、と拗ねた声で呟かれた言葉に昼頃送ったメッセージを思い出す。当初はプレゼントを買ったその足で義勇の家を訪ねる予定だったが、女性と歩く姿を見て取りやめたものの肝心の本人に伝えるのを失念していた。それならいつまで経っても来ない名前に痺れを切らして自ら訪ねてくるのにも頷ける。素直に申し訳なく思い、恐る恐る謝罪をすれば、義勇は良いとも悪いとも言わずじっと抱きしめたまま動かない。


「…事故にでもあったかと思った。」
「誰かさんに口うるさく気を付けろって言われてるから大丈夫だよ。」


ぽんぽんと子供をあやすように背中を叩いてやれば多少安心したのか抱きしめる力が抜けた。それを見計らって部屋の中へと誘導しようとするが、寸でのところで踏みとどまった。もし本当に彼女と付き合っているとしたら、幼馴染とはいえ女の部屋に招き入れるのは失礼だろう。義勇も安否さえ確認したら用はないだろうし、わざわざ部屋に上がり込む必要もないはずだ。身体を押し返えそうとした名前の力よりも押し入る義勇の力に負けてドアは音を立てて閉められた。


「俺が来る前から居たのに何故部屋の電気をつけていないんだ。」


不思議そうに尋ねてきた義勇に曖昧な返事をして電気をつけると、散々暗闇の中に居たせいか入ってくる光の眩しさにぎゅっと瞼を閉じる。何度か強い瞬きを繰り返して漸く目に光が慣れるころには玄関に義勇の姿はもうなかった。1Kのこの部屋に向かう先など一つしかないからゆっくり後を追う。キッチンと私室を繋ぐドアは開け放たれていて、部屋の中央でドアに背を向けて立っていた義勇が身体を翻す。


「これは貰っていいのか。」


藤色の紙袋を大事そうに胸に抱きながら今か今かと許可が出るのを待っている。こくりと頷けば手早く紙袋から丁寧にラッピングされた箱を取り出してリボンを解き始めた。爪でテープの端を引っ掛けて捲り、包装紙を破らないように折り目に沿って剥がしていくあたり、几帳面な性格が出ている。畳んだ包装紙を傍らに白い箱を開いて現れたコインケースをそっと両手で掴み、物珍しそうに留め具を外して中身を確認する様子は新しい玩具を与えられた子供のようだ。


「要らなかったら無理に貰わなくていいよ。今年も欲しいものはないって言ってたし。」
「欲しいものはないとは言ったが要らないとは言っていない。」
「屁理屈。」


何とでも言え、とも言いたげに鼻をすんと鳴らした義勇は尚もコインケースを見つめている。


「今年で最後だから大事にしてよね。」
「……何故。」
「いい加減幼馴染は卒業して来年からは彼女から貰ってよ。」


上手く笑えているだろうか。泣かないように必死に笑顔を作っているけれど笑えている自信は全くない。プレゼントは今年が最後、部屋の敷居を跨がせるのは今日で最後。終わりを告げるのはいつだって辛いものだ。義勇はコインケースから目を逸らし目を丸くして名前を見つめると、何か考える様子を見せたあと口を開いた。


「ならば来年も俺が貰う相手は名前しかいないだろう。」
「…何で?」
「生憎彼女と呼べる女はいない。俺には名前が居れば十分だ。嫌だと言うなら無理強いはしないが。」


告白まがいなことを言われている気がしたが、理解が追い付かない。昼間の彼女は?名前が居れば十分とは?聞きたいことが山積みでぱくぱくと魚のように口を開閉させるので精いっぱいだ。


「ああ、それから…、」


今年もありがとう、大切にする。そう言って細められた目と弧を描いた唇を見てきゅっと胸が締め付けられる感覚がした。取り敢えずまずは幼馴染の壁を超えるところから始めてみようか。


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