Giyu Tomioka



(2019 Xmas企画)


退勤ラッシュの電車に押し込まれながらも何とか乗り込んで、空いているスペースを探して吊皮に掴まる。鞄からスマートフォンを取り出し、イヤフォンを取りつけて大好きなアーティストの曲を流せば、乗り換えまでの数十分間は素敵な時間に変わる。これがなかったらむさ苦しい車内は苦痛でしかない。がたん、ごとんと時折揺れる電車に身を任せていると、曲に夢中になっていた名前はバランスを崩して肩を隣人に当ててしまった。多少の接触であれば頭を下げる程度で済むのだが、かなり大きくぶつかってしまったためそうもいかない。俯いて耳からイヤフォンを取るついでに相手の足元を覗き見た。綺麗に磨かれた革靴から察するにサラリーマンであることに安堵を覚えつつも、怖い人だったらどうしようと恐る恐る見上げれば、見知った顔がそこにあった。


「あ。」


無造作に一括りにされた髪、どこを見つめているのか分からない目、美しく伸びた背筋は変わらず、高校在学時に一目惚れをした冨岡義勇そのままだ。名前の呟きに気づいた冨岡は顔を向けて小さく口を開けると苗字かと問いかけてきた。クラスを同じくした学年もあったが、特筆して仲が良かったわけでもない自分の名が出てくるとは思わなかった名前は、認知されていたことに思わず口角が上がる。もう会うこともないと思っていた相手と出会えて、更に覚えていてもらえたとなれば嬉しくないはずがない。仕事の疲れなんて一気に吹き飛んでしまった。


「高校卒業以来だな。」
「うん、久しぶりだね。仕事帰り?」
「ああ。」


質問をしても冨岡は肯定か否定のみ簡潔に答え、話を膨らませようとしない。否、しないのではなく出来ないことを名前は熟知しているため何も言わず次へ次へと質問をしていく。離れていた時間が長かっただけに質問が尽きないのだけが救いだ。お世辞にも盛り上がっているとは言い難い会話でも、互いにつなげる意思があるからたどたどしくも続いている。

記憶を手繰り寄せてみれば、冨岡と面と向かって話したのはこれが初めてかもしれない。思春期真っただ中だった高校在学時は、気恥ずかしさが勝って積極的に話しかけに行けなかった。卒業後にあの時話しかけていればと後悔したこともあった。連絡先も聞いていない関係は発展しようがなく、初恋に蓋をして心の奥底に閉まってあったのだ。そんな名前に突然舞い降りてきた千載一遇のチャンスを逃したくはないというのに、無情にも乗り換えの駅に到着してしまう。


「私この駅で乗り換えだから…、話に付き合ってくれてありがとう。」


可愛らしい女の子であれば、もう少し話していたいと言って引き留めることも出来たのだろうが、名前にそんな技術はない。正直に伝えて手を胸元で軽く振ってから開いたドアに向かって歩き出すと、冨岡も後ろに続いて歩いてくる。


「冨岡くん?」
「俺もここで降りる。」


偶然に偶然が重なるともはや必然だったとも思えてくる。落ちかけた気分がまた一気に登り始めた。何故ならばこの駅で乗り換える路線は一つしかなく、改札を出るとは言わなかったところから察するにまたしばらくは一緒に居られるからである。寄り添うように二人で並んで歩く駅構内は、見慣れているはずなのに何もかもが色づいて見えた。自分より少し広い歩幅、時折ぶつかる手の一つ一つに胸の高鳴りがうるさく主張する。恋を、しているのだ。どれだけ年数が経とうとも初恋は初恋のままで、冨岡は今も変わらず名前にとって魅力的な存在として君臨し続けている。

横顔に見惚れながら歩き、乗り換えの通用口に差し掛かったところで何やら前方が騒がしく混みあってきた。退勤ラッシュとはいえ、これほどまで混んでいる光景は今まで見たことがない。冨岡も珍しく小さく口を開けて唖然としている。駅員が忙しなく動いていることから何か起きたのだろうと想像できる。間もなく駅員が名前達の近くまでやってきて、事故で電車が遅れていると告げた。再開の目途はたっていないらしく、待ちぼうけを喰らった人々の苛立ちであたりの空気は良くない。ただ、嘆いても仕方のない事であり、諦めて引き返そうとしたところで質問に答えてばかりだった冨岡が初めて自分から質問を投げかけてきた。


「この後予定はあるのか?」
「帰ってご飯食べて寝るだけだよ。」
「そうか。」


確認するなり俯いて考え込んだ冨岡に、何か不味い答えをしてしまったかと不安になる。何かを伝えようとして考え込んでいるだけなのだと思いたいが、この場で屯していては引き返す人々の邪魔になってしまう。冨岡の腕を引いて壁際に寄ると、漸く顔を上げた彼と視線が交錯した。ごくりと唾を飲みこんで出てくる言葉を待つのは拷問のようで緊張感が高まる。


「時間潰しに飯でもどうだ。」


考え込んでいたにしてはやけに簡潔に告げ、表情の一つも動かさない顔に気が抜けそうになる。しかし、思ってもみなかった誘いに二つ返事にこくこくと頷くと勢いに押された冨岡は後ろに仰け反った。もう二度と後悔したくないという思いから積極的になりすぎただろうか。貪欲に求めなければ同じことを繰り返すだけだと名前は自分に言い聞かせ、一番近い改札に向かい、地下鉄の出口への階段を登る。コツコツとコンクリートの階段を登るヒール音と、スニーカーが擦れる音はぴったり揃っていた。


「わぁ…!」


暗い地下を抜ければ、そこは一面光に包まれた世界が広がっていた。街路樹に撒きつけられた細やかな電球、動物をかたどった可愛らしいオブジェ、光に照らされる噴水のどれもが平等に美しい。目を奪われていると冷たい横風がびゅうと頬に当たって、温かな光を感じていても冬は冬なのだと思い知らされた。寒さに顔を顰めながらポケットに手を突っ込む冨岡の姿を見て、名前も開いていたコートの釦をしっかり閉めて僅かばかりの防寒対策をしてから歩きだす。この駅で降りたことは今までになかったから土地勘はないが、道沿いに歩いていけば店が立ち並んでいることだろう。


「とても綺麗…、電車が止まって良かったかも。」
「…こういうものが好きなのか。」
「女性なら大半は好きだと思うよ。冨岡くんは好きじゃなかった?」
「いや、悪くない。」


少しだけ目尻を緩めて微笑んだ冨岡に、イルミネーションよりも美しいだなんて安っぽいセリフを思いつく。勿論声には出さずに腹の中で消化をしたけれど。

街並みを眺めつつすれ違う人々に目を向ければ男女のペアが多く、スピーカーから流れる音楽はよく耳にするクリスマスソングばかり。名前はそこで漸く今日がクリスマスだと気が付いた。恋人のいない名前にとってクリスマスなど対して平日と変わりはしないから完全に失念していた。今日を振り返ってみれば同僚は浮足立っていた気がするし、上司が珍しく早く帰してくれたのにも納得がいく。点と点が線で繋がっていく感覚を覚えた。

そこでふと、名前は冨岡に恋人がいるのではないかと心配になった。先程の質問ではそこまで踏み込んだことを聞けなかった。冨岡の帰りを待ちわびている恋人を差し置いて、偶然電車で一緒になっただけの自分がクリスマスに冨岡を独占するなどあってはならない。恋人の立場を考えたら罪悪感しか生まれてこない。しかし、恋人がいたとしたならば名前を食事に誘ったりするだろうか。誠実な彼のことだから、名前を置いてタクシーでもなんでも使って、待っている恋人の元へ急いだであろう。


「…冨岡くん、クリスマスに私といて大丈夫?」
「?ああ。」
「恋人が待っていたりとか。」


信号で立ち止まって冷静なり、念のため確認することにした。後から実は恋人がいました、では許されないし、今ならまだ引き返せる。イルミネーションに彩られた街並みを二人で歩けただけでも思い出としては十分だ。また甘酸っぱい初恋の一ページになるだけのことなのに、こんなにも苦しいなんて口に出すまで思ってもみなかった。寒さで涙も凍ってしまえばいいのに、そうしたら潤んだ瞳も見られなくて済むのだから。


「恋人はいない、苗字は気にしなくていい。」
「え…?」
「だから、恋人はいない。」


聞き間違いかと思い、二度も確認すると冨岡は白いため息を吐いてしっかりと否定した。その言葉は名前を期待させるには十分で、潤んでいた瞳は瞬く間に水気が引いていく。つまり、隣を歩く冨岡はフリーで、サンタクロースが連れてきてくれた最高のプレゼントと言える。プレゼントの紐を解いてしまってもいいのではないか、手を伸ばしてもいいのではないか。期待に満ちる名前とは反対に冨岡の顔は強張っている。


「恋人がいるのに他の女を飯に誘うような軽薄な男に見えたか。」
「ううん、ごめん。冨岡くんほど魅力的な人なら彼女がいてもおかしくないなって思ったから。」
「………そんなことは、」


怒っていたかと思えば急に照れて俯く様子を見せる冨岡に、意外と感情が態度に出るのだとこの短時間で悟った。話に夢中になっていて気付かなったが、いつの間にかイルミネーションで美しかった並木道を過ぎており、うるさく輝くネオン街に突入していた。連れ立って入れる様な飲食店を探すも、ビルばかりが立ち並んでいる。その中の一つの看板に輝く休憩、宿泊の文字に名前はぎょっとして隣を歩く冨岡を見つめる。冨岡もその意味に気が付いたようで足を止めた。二人が足を踏み入れたのはどうやらラブホテル街らしい。生まれてこの方縁もゆかりもなかった場所に名前は気恥ずかしさでいっぱいになる。ドラマでは何度も見たワンナイトラブでも、実行できる度胸はない。そもそも、一夜で終わらせられるような恋ではないのだ。


「と、冨岡くん駅の方まで戻ろうか。」
「何故。」
「何故って…こういうところは私達には関係がないと思うの。」


しどろもどろになりながら兎に角この場から離れたい名前は冨岡の身体を押してネオン街から出ようとするが、頑として動かない。これ以上ここに居れば嫌でも雰囲気にのまれてしまう。怪しいピンクや紫の電灯は今か今かと二人を待ち望んでいるのだ。冨岡は身体を翻して名前の方を向き、じっと目を見据える。


「どのみち電車が動くまでまだ時間がかかる。俺は入ってもいいと思っている。後は苗字が決めろ。」


冨岡の提案はあまりに残酷なもので、抱いていた想いは簡単に打ち崩された。好いた男がワンナイトラブを望んでいると知って絶望しない女はいないだろう。初めから出来すぎたプレゼントだとは思っていた。ただの同級生が恋人に昇格できるだなんて夢のまた夢だったのだ。自嘲気味に笑った口元は闇に溶けて冨岡の瞳にはきっと映っていない。もう、なんでもいいや。承諾を伝えるかの如く冨岡の腕に自分の腕を絡ませると、入ったこともないラブホテルの自動ドアへ足を進めていった。


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