Giyu Tomioka



拒否を示しても喧しく喋り続け、纏わりついてくる名前は炭治郎とよく似ている。自分のような無表情で口下手で、何の面白みもない人間と一緒に居て楽しいことなど一つもないはずなのに、顔を合わせれば嬉しそうに囀るのだ。義勇には対応の仕方が分からなかった。勢いに呑まれて固まっていても、彼女はお構いなしに話を続ける。炭治郎のように男ならば多少は突き放しても構わないのだが、名前は女だ。泣かれた日にはますますどうした良いか分からなくなってしまう。生憎あしらえるような話術は持ち合わせておらず、淡々と会話を終わらせるべく努めるしかなかった。


「義勇さん!今日はいいお天気ですね。お茶でも行きませんか?」
「遠慮する。」
「とても美味しい団子屋を甘露寺様に教えていただいたのです。冨岡さんとご一緒したいのですが。」
「遠慮すると言ったが聞こえてなかったのか。」


一度や二度の誘いで断られても折れる名前ではない。去ろうとする義勇を防ぐようにぶつからない程度の距離を保って名前はちょこまかと動き回る。押して駄目なら更に押してくる彼女にほとほと困り果てていた。口には決して出さないが、表情は明らかに困惑している。頼むから引いてくれと願っても心のうちなど相手に伝わるはずもない。次第には腕を取り歩みを止めようとする名前に、混乱のあまり義勇は腕を振り払った。


「…わっ。」


義勇にとっては軽く振り払ったつもりだったのだが思いのほか力がかかっていたらしく、名前は固い地面に尻から叩きつけられた。受け身も碌に取れないまま着地したせいで、衝撃に耐えられず体が二、三度跳ねる。彼女は自分の身に何が起こったのか分からず呆然と義勇を見つめている。曇りない瞳の重圧に耐えられず彼女に背を向けると、足早にその場を後にした。

本来ならば座り込んだ彼女に手を貸して、謝罪を述べるのが筋である。故意に怪我をさせるつもりは更々なかった。歩きながら先程彼女を振り払った手を見つめると、罪悪感がふつふつと沸いてくる。痛かっただろうに一筋の涙も見せず、喚きもしなかった。酷い男だと責めてくれた方がありがたかったのかもしれない。そうしたら名前も纏わりつくのをやめていただろう。いや、謝罪をせず逃げただけでも彼女の印象は最悪なものになったに違いない。これで漸く解放される、と罪悪感より安堵が勝ってしまった事で義勇は名前との関係を見直せると安心しきっていた。





「…!」


パタパタと忙しない足音が横を通り過ぎていく。名前はあれ以来、目を合わせる度に気まずそうに視線を逸らして義勇を避けるようになった。長らく彼女の声を聴いていない。義勇さん、義勇さんと名を呼び、喧しく言葉を紡ぐ鸚哥はすっかり口を噤んでしまった。やっと平穏が訪れたというのに義勇の心は全く穏やかではなかった。彼女が何も言わず自分から離れていく度にずきりと心臓が痛むのだ。

原因を作ったのは義勇であるのに、被害者の気分でいた。近づいては惑わせ、離れては苦しませる。名前の存在そのものが義勇の心を掴んで離さない。鬼殺の隊士たるもの、色恋に現を抜かしている暇などないのに気が付くと目が名前を追っていた。任務先で男の隊士と仲睦まじそうに話している姿を見かけた日には、どろりと胸の奥が濁るのを感じた。お前の隣はその男ではないだろう。自ら突き放した癖に嫉妬心は一丁前に持ち合わせていて、ぶつけようのない怒りは蓄積されていく。
 

「…なんでしょうか、冨岡、さん。」


とうとう我慢ならなくなった義勇は走り去ろうとする名前の腕を掴み、引き留めた。花の咲いたような笑顔はなく、伏せられた目には前髪がかかっていても自分を捉えていないことは分かる。やっと聞けた声も嫌々紡ぎ出されたもので、思わず眉間に皴が寄る。他人行儀な呼び方も更に怒りを助長させた。そこらの一介の隊士と変わらない知り合い以下の余所余所しい態度に掴む手に力がかかる。


「男に媚びるな。」
「冨岡さんには関係のないことでは。」


ばっさりと切り捨てられ、頭を鈍器で殴られた気分になる。関係ないとはなんだ。今まで散々心をかき乱しておいて関係ないだと?ふざけるのも大概にしろ。こちらの気も知らず良く言ってくれたものだ。奥歯をギリギリと噛みしめると怒りで勝手に体が震えだす。


「関係を作ればいいのだな。」
「いりません。欲しくありません。」
「黙れ。お前の意見は聞いていない。」


腕を掴んでいないもう片方の手で名前の顎を掴み強引に口づけた。勢いのあまり歯と歯がぶつかるが、お構いなしに角度を変えて何度も唇を重ねる。名前は抵抗しようと全身に力を入れても男の義勇にかなうはずもなくされるがままだ。通り過ぎる隊士達が二人の接吻に気づいて顔を赤らめて去っていくのを横目に、呼吸の乱れを気にも留めず夢中で唇を貪っても何故か満たされない。やっと名前を手中に収めたのに渇きは加速していくばかりだ。

酸素を求めて半開きになった名前の唇に舌を差し込もうとした時、温い水が義勇の唇に伝った。その正体は名前の目から零れ落ちる涙で、瞳から溢れては一筋の線を描く。許可もとらず嫁入り前の女の唇を身勝手に奪った事の重大さに気が付き、義勇は咄嗟に離れる。感情に身を任せて襲っては、そこらの鬼と変わらないではないか。何より、名前の泣き顔など見たくはなかった。見たかったのは満開の笑顔であるというのに、それが出来ないもどかしさに胸が苦しくなる。せめて泣き止んで欲しくて涙を救おうと指を伸ばすと、一回り小さな白い手に叩かれ行き場を失った。


「冨岡さんは残酷ですね。突き放しておきながら期待を持たせるようなことをする。」
「俺はただお前に…、」
「もう結構です。」


名前は唇を羽織の袖で擦り切れるほど強く拭う。はっきりとした拒絶反応に、もうあの頃には戻れないと分かってしまった。走り去る名前の羽織を掴もうとしても手からすり抜けていく。追いかければまだ追いつくはずなのに足が石の様に動かない。悲しみや喪失感が動こうとする原動力を奪っていくのだ。ああ、きっと名前もあの時こんな気持ちだったのだろうな。

開け放たれた鳥籠に鸚哥は戻ってこない。


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