Giyu Tomioka



指折り数えるほどの接吻の経験があるわけではないが、名前の恋仲である義勇の接吻はお世辞にも上手いとは言えない。そもそも、名前も自分から動こうとしないのだから評価をつけるのは烏滸がましいことである。瞬きほどの短い接吻は唇が浅く重なっただけで堪能する暇もないまま離れていく。顔が近づいた際に香る義勇の匂いがたまらなく好きで、もっと長く重ねたいという欲求は募るばかりである。甘え上手な女ならば、おねだりの一つも可愛く出来るのだろう。あいにく名前にそんな能力はない。悶々としたまま義勇の唇を見つめるだけである。


「…どうかしたか。」


食い入るように見つめていたら流石に義勇も視線の先に気づいたようで、訝しげに首を傾げる。接吻の前に頬に添えられた手をそのままに、義勇はもう片方の手で自身の唇をなぞると、天井を見上げて黙ってしまった。恐らくこれは何かを考えている最中なのだろうが、接吻の後の沈黙は耐え難いものがある。こうさせた原因は名前にあるのだから文句を言う筋合いは全くないのだけれど。

接吻が下手なのは女性経験がない証拠で、本来ならば喜ぶべきところなのだろう。鬼殺隊に属するが故、煩悩を捨てろと恋愛を避けるものもいるが、健全な男であれば性欲が溜まる為、一夜限りの目合を求めて花街へ通うものもいる。それぐらいの給金は十分に貰っており、実際に隊士達の下世話な会話を耳にしたこともある。そうやって男は女を知るのだと悟った。恐らく義勇の下手さ加減を見るに、彼は本当に何も経験がないのだと名前は確信した。義勇のような美丈夫を女は放っておくはずがないのに、彼の人を寄せ付けない態度が機会を逃してきたのだ。自分が義勇だったならば今頃宇髄の様に嫁を複数娶っていたに違いない。ただ、彼が生まれ持った顔を存分に活かしていたら名前とは恋仲になれず、もっと艶のある女が隣に並んでいただろう。その点では彼の性格に感謝すべきなのかもしれない。

天井を仰ぎ見た義勇は漸く考えを纏めたのか目線を戻し、名前にもう一度顔を近づけた。鼻と鼻が触れ合う感覚に反射的に瞳を閉じ、首を軽く上に逸らす。少しかさついた唇がそっと合わせられて、また直ぐに離れていく。先程と全く変わらない接吻に、義勇は何を考えていたのだろうと名前は疑問に思った。


「違ったか。」
「はい?」
「物欲しそうにしていたからした。だが、名前は喜ばしい顔をしていない。」


鏡がなければ表情を確認することは出来ないが、欲求不満に濡れた自分の表情など見なくともわかる。心配そうに覗き込む整った顔はよもや自分の接吻が原因で悩んでいるなんて露ほども考えていないだろう。正直に伝えたとして、男としての自尊心を傷つけやしないだろうか。自棄になって花街へ通い、夜な夜な接吻の練習をしたと誇らしげに言いそうな義勇が頭の片隅にいる。そんなことはないと分かっていながらも、時々彼は突飛な行動を取って驚かされる時もある。


「何か思い悩みがあるのならばはっきり言え。お前が俺から離れていくと言わない限りは話を聞く。」


身体を抱き寄せられて厚い胸板に横顔を押し付けられる。羽織が背中を包み、全身で義勇の体温を感じた。とくん、とくんと一定の間隔で胸を打つ心音に安心感を覚え、目を閉じれば暗闇の中でも彼で頭がいっぱいになる。考えていたよりもずっと杞憂だったのかもしれない。恋仲という存在がありながら花街へ通うような男ではないと知っていたはずなのに、いらぬ懸念をしていたようだ。実直で素直な彼が、他の女に触れた唇で名前に触れる様な下種な真似をすると少しでも疑ってしまった自分が恥ずかしい。回された手は刀を掴む時とは違い、愛しいものを壊さぬよう至極優しい手つきをしていながら、絶対に離さないといった力強さが秘められている。


「義勇さん、少し力を緩めて貰えませんか。」
「何故。」
「このままでは貴方の顔を見ながら話が出来ません。抱きしめたままでいいので顔だけは見上げたいのです。」


渋々抱きしめていた手を緩めた義勇と目を合わせるために上を向くと、いつもの無表情は崩れ、困ったように眉を下げ目線を右へ左へと忙しなく動かしている。


「…先に言っておきますけど、今から私がする話は別れ話ではないですからね。」
「そうか。」


返事は一言であったが、欲しい言葉を貰えた義勇は安心したように無表情に戻る。離さないと言っておきながらも、中々自分の意思を伝えず様子を伺う名前に不安を感じずにはいられなかった。別れ話でないと分かっただけで話を聞く余裕が出た義勇は、名前の髪を手で梳きながら言葉を待つ。


「義勇さんは口吸いがお得意ではないのでしょうか。」
「…は?」
「いつも一瞬の口付けだけなので経験がないのかと。はしたないと思われても仕方がないのですが、私はもっと貴方に求められたい。」


髪を梳く手がぴたりと止まり、義勇と交わっていた目線が名前の瞳から唇へと移っていく。やはり気に障ってしまっただろうか、と謝罪の為に口を開こうとした瞬間、まるで水が流れるかのように滑らかに滑り込んできた義勇の舌が名前の舌を絡めとった。突然の接吻に普段は閉じる目も大きく見開いてしまう。身長差があるために自然と義勇の目は伏せられ長い睫毛がかかっているが、射すくめるように名前の瞳をしっかり捉えている。


「んっ………はっ……。」


息をつく暇もないほど咥内を弄られて開いた名前の口の隙間からどちらの物か分からない唾液が零れるが、お構いなしに義勇は唇を重ね続ける。酸素が薄いこともあり、名前の脳内は白く霞がかって蕩けている。口だけでなく耳も厭らしく響く水音で刺激されれば、びくびくと身体も震え全身で快感を感じてしまう。この唇を重ねている相手は本当に義勇なのか、実は誰かが義勇の恰好をして自分と接吻しているのではないかと疑ってしまうほどに溶かされている。漸く唇が離れた頃には、名前は完全に腰が抜けてしまい義勇の羽織にしがみつくことでしか立っていられなかった。


「これで満足か。」
「…っどうして…?今までこんな情熱的な口吸いをして下さらなかったのに…。」
「嫌われるかと思った。」


息を切らして話す名前に対して、一切息を乱さず話す義勇は平然とまた言葉を端折る。今回ばかりは端折られた言葉の先を見つけることは出来なさそうだ。息を整えながら、全集中の呼吸・常中を会得していても接吻は別物なのだと要らぬことにしか頭が回らない。理由を聞き出そうと義勇の羽織を軽く引っ張ると、真一文字に引かれた口がたどたどしく開く。


「俺ばかり求めては名前に負担をかけると思い、抑えていた。」


大きなため息を一つ吐いて話すつもりはなかったと義勇は額に手を当てる。もっと早く思いの丈を打ち明けていれば口吸いが貰えていたということか。口元に垂れた唾液を拭ってから唇に手を当てて余韻に浸る。それにしても、義勇の技術はとても初めてしたとは思えないくらい上手かった、と思う。これからは口が裂けても下手だなんて言えないくらいには。


「しかし、もう抑える必要もないな。」
「えっ、」
「これが欲しかったのだろう?遠慮することはない。」


再び落とされた唇に、今度は目を瞑って応える。味を占めた義勇が時間も忘れて名前の唇を求めるように、名前も受け入れ甘美な時間を過ごすのだ。


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