Giyu Tomioka



ジリジリと照らす太陽光が肌を射す今日この頃、名前は稽古と称した指導を冨岡から受けていた。竹刀を強く握りしめ、構える。額に滲む汗がこぼれようとも拭う暇などない。少しでも隙を見せれば叱咤と竹刀が飛んでくるからだ。砂利を踏む音すら雑音になるぐらいには向かい合って数分動きはない。


「…来ないのならばこちらから行くぞ。」


静寂を先に破ったのは冨岡の方だった。ぐっと踏み込んだ右足で地面を蹴り、まっすぐ向かってくる。叩きつけられる竹刀をいなして防御の構えを取るも、鍛え抜かれた冨岡の一撃は重く、靴底が擦れた。稽古と言えど容赦がない一撃に名前は歯を食いしばりながら師より教わった型を繰り出した。





名前は冨岡の継子である。師として冨岡のことは尊敬しているし、人間としても嫌いな部類ではなかった。…最初は。多少厳しいところはあると思いもしたが、自分に至らぬ点もあったし、憧れていた水柱自らが自分に稽古をつけてくれることは嬉しかった。冨岡の指導も的確であったから、着実に力も付け、鬼の頸を落とすことで成長も実感できた。それを報告しても決して冨岡が褒めてくれることはなく、「そうか」の一言で片づけられてしまっていたが。その頃はまだ、自分の置かれている状況を普通だと思っていた。


「ええ、冨岡さんったら名前さんにそんなに強く当たっているのですか。」
「…普通ではないのですか、しのぶ様。」


蟲柱であるしのぶ様のお屋敷を訪れた際に稽古の様子などを離すと、しのぶ様は口に手を当てて驚いた。


「師弟の関係はそれぞれですし口を出すつもりはありませんが…。」
「?」
「少なくとも私はカナヲに怪我寸前の稽古をつけたりはしません。」


名前にとっては衝撃の言葉だった。今までの常識がパラパラとヒビが割れて壊れていくような錯覚に陥る。私の出来が悪いから冨岡さんは厳しくせざるを得ないのだろうか。しのぶ様は冨岡さんの性格上の問題かもしれませんけど、と嗤っていたけれど気が気でなかった。しのぶがやさしくカナヲを呼ぶ声や寄り添う姿を見ていると、自分と冨岡にはない関係性が純粋に羨ましかった。





稽古中にそんなことを思い出していた自分が悪かったのだ。長い鍔迫り合いに集中力が切れ、ふと意識が戻った時にはもう遅く、冨岡の振った竹刀が頬をかすった。ささくれ立った側面に擦られたことで赤い線が走る。剣を振った冨岡の目がぐっと見開かれた。また次の一撃が来る。いったん体制を立て直すために防御の構えを取るが、目の前の師は竹刀をゆっくりと降ろした。


「…今日は終いだ。片付けるぞ。」


今まで一本を取られるまで稽古の終了を告げられたことはなかった。どうやら冨岡は本当にこれ以上稽古を続ける気はないらしく、額についた汗を拭うと踵を返して屋敷の方へ歩き出す。名前はどうしようもない焦燥感に苛まれた。まさかこれ以上はやっても無駄だと見捨てられたのではないかと。


「何故ですか!まだやれます!この程度の事!少し掠っただけではないですか!」
「上の空だっただろう。そんな状態で稽古は続けられん。」
「すみませんでした、次は、次は、」


名前の言葉を聞かずして去っていく冨岡を名前は小走りで追いかける。


「どうか、失望しないでください、もっと努力します、しますから出来の悪い継子だと見捨てないで、」


最後の方は嗚咽が混じってうまく発声出来ていなかった。冨岡の羽織を皴になるぐらい握る。冨岡もぎょっとして振り返ると名前は涙をこぼしながらうわ言の様に謝っている。こんな時、冨岡はどうしていいのかわからなかった。泣いている女を慰める術など知らない。そもそも冨岡は自分の行動で何故名前が継子を辞めさせられるような想像をしているのか検討もついていなかった。ただ、必死に縋り付いてくるものだから、そっと背に手を当ててゆっくりと摩る。

「俺はお前を見放したりはしない。」
「…でも、私に厳しくするのは私に見込みがないからなんでしょう?私がいつまで経っても弱いままだから。」
「そうではない。そのように思ったことは一度も、」

冨岡はここで自分の継子に懸ける思いが何一つ伝わっていないことに気づく。厳しく当たるのは、名前を死なせないため。自分の可愛い弟子を鬼なんかに喰わせてたまるか。無事にちゃんとこの家に帰ってこられるように。そのためには恨まれようとも自分の体験したすべてを叩きこむ。そして、もし自分が居なくなったとしても一人で戦い生きていけるように。いや、願わくばずっと供に居られるように。…伝わらない方がいいのかもしれない。そんなことを口にすればきっと繊細な継子はまた泣くだろう。そっと涙をぬぐい、先ほど自分がつけた傷跡から流れるわずかな血を羽織の裾でふき取った。寸止めにする予定だったものが、予期せぬ竹刀の整備不良で名前の顔に傷をつける結果になってしまった。

「では何故稽古を止めたのですか?」

俯むきがちに恐る恐る名前は聞く。冨岡は傷をゆっくり撫でるようになぞると、ふっと息を吐きながら静かな声で答える。


「…腹が減ったからだ。」
「へ…。」
「だから、今日は終いだ。」


想像外の返答にぽかんと口を開けた名前の手をゆっくりと引き屋敷の縁側へと歩き出す。まだ、伝わらなくていい。今でなくていい。いつか、名前が本当の意味に気づくまでは、どうかこのまま。


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