Yuichiro Tokitou&Muichiro Tokitou



※有一郎生存if


朝焼けの眩しい冬の未明に白い息を吐きながら箒を使って落葉を掃く。すっかり色褪せた銀杏は短い秋の名残を残していた。空を見ればそこにもう羊はおらず、筋状の雲が浮かんでいる。まるで箒で履いた後の砂の形のようだ。時々師範も同じように空をこうして眺めていたのを思い出す。手を止めて眺めていれば、冷たい風が頬を撫でて体から温度を奪っていった。羽織一枚では風邪を引いてしまいそうな寒さである。かじかんだ指先に息を吐いて、気休めの温かさを与えるも無駄なこと。固まっていた体を動かして塵を掃く速度を速めた。集めた塵を塵取りで回収し、麻袋の中に入れる。八割ほど溜まった中身はあと一週間もしないうちに袋の口が閉まらなくなるだろう。麻袋が一杯になったら燃やして芋でも焼けばいいと時透は言っていた。そろそろ芋を市場まで買いに行こうと決めた名前は倉に麻袋と箒をしまい込んで鍵をかけた。時期に雪が降るようになれば、広い庭の手入れもしばらくはお休みだ。最後に焚火で焼き芋とはなかなか心が弾むものである。

掃除を終えて汚れた手を洗うため蛇口をひねると勢いよく水が飛び出した。よく冷えた冬の水に触るのは気が進まないものである。指先が触れただけで心臓がその冷たさにきゅっと縮んだ。二、三回揉みこむように洗ったら、手を柄杓代わりにして水を溜め、顔を洗った。目が覚めているはずなのに起こされたような感覚になる。懐にしまってある手拭いを目を閉じた状態で探り、広げて水分をふき取った。さて、そろそろ師範を起こしに行かねば。僅かに手の甲についた水滴は払って飛ばし、屋敷の中へと戻る。一番奥の時透の私室の前まで行き、名前は膝をついて正座になると障子越しに声をかけた。


「おはようございます師範。お目覚めになってますでしょうか。」


低血圧の時透を刺激しないように出来るだけ脳に響かない声を意識した。初めの頃はうるさいとよく怒られただけに今では細心の注意を払っている。時透はこの声で起きるのではなく、それよりも前に目が覚めている。障子の向こうから寝起きの掠れた声で返事が返ってきて、それを確認してからご飯を炊くと丁度炊き上がった頃に卓袱台に座っているから一つの合図なのだ。


「…返事がない。」


これまで毎日一日も欠かすことなく返ってきていた返事が今日に限ってなかった。朝も寒くなってきたし布団に篭っているうちに二度寝をしてしまったのかもしれない。柱とて人間、寝坊をする日もあるだろう。飯の時間を遅らせればいいと思い、立ち上がろうと床に手をついた名前に嫌な考えが過った。季節の移ろいで急に冷えたことで風邪を引いたという可能性だ。もし風邪を引いたのであれば早く蝶屋敷にいる胡蝶様の元へ行き、薬を頂戴しなくてはならない。声を上げられないほど重篤であれば一刻を争う。それにはまず状態の把握が必要不可欠である。名前は襖に手をかけて開こうとしたが、時透の言いつけがそれを止めた。


―いい?名前。僕の私室は僕が返事をした時しか入ってはいけないよ。


鶴の恩返しかと言いたくなったのをぐっと堪え頷いた名前に「いい子だ」と頭を撫でた時透の笑顔は威圧感が漂っていた。以来ずっと言いつけを護ってきた名前だが今回ばかりは例外だ。尊敬する師範の身に何かがあってからでは遅い。鎖のように巻き付いていた言いつけを破るときがついに来た。決めたら迷うな。名前は覚悟を決めて、両手で一気に襖を開いた。


「…あ。」
「…………え?」


部屋の中の光景に名前は空いた口が塞がらなかった。時透は着替え中で隊服の釦に手をかけていたところであった。完全にとまっていないため、白い肌が覗いているが、そこはさして問題ではない。問題は時透をまるで鏡に映したかように瓜二つの顔がもう一つあることだ。顔だけでなく背格好、髪型、どれをとっても同じ。一瞬目がおかしくなったのかと思い、片目を擦るも目の前の光景は変わらない。だとすると血鬼術の類だろうか。尊敬する師範の姿が二人に見える血鬼術が戦いの役に立つのかと言われれば首を捻りたくなるが。混乱している名前に対して時透は悪戯っ子のような表情を浮かべる。


「言いつけ守れなかったね。悪い子だなぁ名前は。」
「無一郎、お前の言い方が甘かったんじゃないのか。」
「僕のせいにしないでよ兄さん。」


目の前の二人の時透は小さな言い争いを始める。兄さんと呼ばれた方の時透は眉を吊り上げてもう一人の時透を叱り、片方はへらりと嗤ってそれを躱した。何がどうなっているのか名前には皆目見当もつかなかい。小競り合いする二人を放心状態で見つめていると、それに気づいた二人は正座する名前の前に腕を組みながら立って見下ろした。


「訳が分からないって顔してるね。」
「間抜けな名前の頭じゃ理解が追い付いてないだろうな。」
「確かに。ずっと入れ替わりながら生活してたのに一度も指摘してこなかったね。」


嘲笑う二人に名前は口を噤んだまま一言も声を発することは出来なかった。入れ替わりながら生活をしていたということは稽古も交互にだったはずだ。違和感は感じなかった。間合いの取り方も、癖も何もかも一緒だった。二人いるだなんて誰が想像できるだろうか。分からないのは何故一人の人間を演じようとしていたか、である。一人が日向に居れば一人は日陰に居なくてはならない。息の詰まるような生活をしていたに違いない。そこまでする意味は一体。何も言わない名前に一人の時透は身を屈めて頬に手のひらを添えた。


「どうしてわざわざこんなことしてたか分かる?」
「…わかりません。」


頬に添えられた手が愛おしそうに滑るように撫でる。


「僕たちは二人だけど名前の心は一つしかないだろう?もしどちらかを選べば片方は傷つくことになる。」
「だから選ばなくてもいいように一人の人間としてお前と接することにした。」
「でももう終わりだ。君は開かずの扉を開いてしまったからね。」


もう一人の時透も同じように頬に手を添えてきた。両側からの圧に名前は瞬きすら忘れて呆然と座り込んでいた。触れた手は暖かいのに、名前の背筋は凍り付くような寒さで冷汗がすっと腰まで滑り落ちていった。


「有一郎。」
「無一郎。」
「どちらも平等に愛してね。次はちゃんと言いつけ、守れるよね。」


か細い声で呟いた肯定の返事は霞の様に消えてはくれない。


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