Giyu Tomioka



※大学生if


「義勇ー、入るよー。」


チャイムを押しても反応がなく、念のため呼びかけてもみたがやっぱり反応がないため、持っていた合鍵を鍵穴に通した。少しドアを開き、中を覗くも、家主は確かにいるはずなのに部屋は真っ暗闇だ。玄関に並べられたスニーカーがかろうじて見えることから、ここにいるのは間違いない。名前は部屋に上がると、スニーカーの隣に並べてパンプスを脱いだ。暗い部屋を壁伝いに歩き、ようやく見つけたスイッチを押して明かりをつけるとオレンジの光が瞳を射した。

名前が義勇の家を訪ねたのはトークアプリを使って呼び出されたからであった。”来てくれ”とあまりに短すぎるメッセージに、何の用か尋ねても答えは返ってこなかったため、渋々バイトを切り上げて来たのである。だと言うのに家主は一向に顔を見せない。広めのダイニングの置いてあるソファーには上着と靴下が珍しく脱いだ形のままかけられていた。洗面所も、風呂場も、…トイレも人気はない。残すところは一つ、名前は一人暮らし向けの1DK唯一の部屋にノックをした。


「…義勇、いるんだよね?」


部屋の外から声をかけてもやっぱり反応はなかった。幼馴染とはいえベッドルームに勝手に入るのは気が引けるが、中で倒れていても夢見が悪いのでそっと扉を開いた。カーテンが閉め切られた部屋は暗く、目が利かない。それでも布団がこんもりと膨らんでいたので、宝探しで目当てのものを見つけた気分になってガバッとめくる。


「…来たのか。」


布団の中身は大変機嫌が悪く、何だか苦悶の表情を浮かべているようにも見えた。しかしながら、部屋の明かりをつけないまま来てしまったので、ダイニングから零れる僅かな光では顔を近づけねば詳細に見えない。分かるところと言えば、額に張り付いた前髪ぐらいだろう。涼しくなったこの季節に布団を被っているとはいえ汗をかきすぎている気がする。


「義勇が呼んだんでしょ、呼んでおいてその言い方は酷くない?」
「本当に来るとは思わなかった。」
「あんな短文送られてきたら心配するよ。で、どうしたの。具合でも悪いの?」


その言葉にぴくりと反応した義勇は唇を噛みしめながら”風邪を引いた”と小さく呟いた。体育教師を目指していて体を鍛えているからこそ風邪を引いたのは屈辱だったのか、見るなと言うなり義勇は布団を奪い返して背を向ける。おもしろい、義勇がこんなにも弱っているなんて。不謹慎だがにやけがが止まらなくて肩を震わせていると、布団から飛び出てきた足に膝を蹴られる。何だこの頑丈な病人は。


「で、何か食べたの?熱は何度?着替えは?」
「一度にあれこれ言うな。」


何も食べてない、38度、箪笥の中にある、と質問には最低限答えてくれたことでやるべきことは決まった。まずは汗をかいた体を拭くためにタオルを拝借し、お湯に浸して蒸しタオルを作る。その間に箪笥から長袖のTシャツと長ズボンと、…病人だから仕方なしに下着引っ掴んで用意した。着替えがそろったら次は食べ物だ。風邪は十分な栄養を取れば治る。米は袋にまだたくさん入っていておかゆなら作ることは可能だ。後は卵ぐらいあればいい。冷蔵庫を開けるとそこは男の一人暮らし代表と言えるほどすっからかんであった。中身は見なかったことにして、冷えたミネラルウォーターを取り出してコップに注いでお盆に乗せると、浸しておいたタオルをぎゅっと絞り隣に並べた。さらに小脇に着替えを挟んで義勇のところまで持っていく。我ながら完璧な段取りだと名前は思った。


「義勇、起きて。まず体を拭いて着替えよう?」
「…ああ。」


布団をめくり、怠そうな体を起こした義勇は名前の目を気にせずTシャツを捲る。名前も幼い頃から義勇と共に過ごしてきたからこそ特段恥ずかしがることはないのだが、鍛え抜かれた筋肉が晒されるとまじまじと見つめてしまう。視線に気づいた義勇が名前の目を見たことで慌てて視線を逸らした。あまり見るものでもないから、後ろを向いて拭き終わるのを待っていると、背中越しに声を掛けられる。


「拭いてくれ。」


前を拭き終わった義勇はタオルを名前に渡して背中を見せる。手が届かなかったであろう義勇の広い背中の汗を拭ってやると、気持ちよさそうにしていた。拭った後の体を冷やさないように着替えさせて、汗を吸って重くなった衣服を回収した。これ以上風邪のウイルスを蔓延させないようにすぐに衣服は洗濯機に突っ込むと、少量ながら勿体ないと思いつつ回していく。世話が焼ける幼馴染だ。こういうことは男同士の錆兎の方が適任なはずだが。部屋に戻れば義勇は名前が用意したコップを空にして待っていた。随分と水分を取っていなかったのだろう、まさに一滴残さずと言うにふさわしいコップを受け取る。


「もう一杯持ってくるね。」
「いや、いい。そこにいてくれ。」


腕を掴まれて制されたので、ご飯はどうするのか問うと、それもいらないと言う。少しでも食べ物を口にして欲しいのだが、本人が拒否するのだから無理強いは出来ない。ベッド脇の勉強机にコップを置いて、からからと引いてきた椅子に腰かけると、義勇の体を倒してベッドに横たわらせる。沈んだ枕がそれを柔らかく受け止めて眠りへと誘ったのか、義勇の目はとろんと微睡に揺れている。ベッドの方にもたれかかって肘をついた名前の目を捉えるように彼もまた体を横に向ける。


「そんなに体辛かったなら錆兎や真菰を呼べばよかったのに。確か二人とも今日バイト入ってなかったよ。」


柔らかな義勇の髪を撫でながら純粋な疑問をぶつけた。二人なら呼ばれれば名前よりも早く駆け付けるだろう。ここに居ないということは恐らく義勇が声をかけていないのだ。気持ちよさそうに目を細めて夢の世界に入ろうとしている彼の薄い唇がそっと開く。


「…名前にしか合鍵を渡してない。だからこれからもお前しか呼ばない。」


熱に浮かされているにしてははっきりとした物言いに今度は名前が熱が出たように熱くなる。暗いおかげで赤くなった顔を見られなくてよかった。義勇が目覚めたとき、彼と目を合わせられるか、どうか。


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