決めたならもう迷うな、逃げるな




「寒い中待たせてすまない。」
「ううん、私も今来たところ。大丈夫だよ。」


白い息を吐きながら小走りでやってきた錆兎の髪は癖毛も相まってあらぬ方向に飛んでいた。彼にしては珍しく髪をセットする余裕がなかったのだろうか。乱れたマフラーを撒き直すついでに髪を手櫛で梳かしてやっても癖が強く簡単に戻ってはくれない。頑固なところは本人そっくりである。しばらくされるがままだった錆兎だが、視線を泳がせたかと思うと急に顔を赤くして私の手を掴み、頭上から下へと降ろさせた。


「錆兎?」
「…周りを見てくれ。」


小さな声で呟いた錆兎の言葉通りに周りに目を配ると、待ち合わせをした駅前は男女が仲睦まじく歩いていたり、人目をはばからず抱きしめ合っている。クリスマス前の休日ということもあり、カップルのデート日と重なったのだと理解したと同時に、自分がやっている行為も傍から見ればカップルに思われるような仕草だったのかと自覚し羞恥で顔が真っ赤になった。隠すようにマフラーに顔を埋めると、錆兎は一つ咳ばらいをした。


「寝坊しかけて何も食わないまま来てしまった。会って早々だがどこか店に入ってもいいか?」
「うん。ちょっと早いけどお昼にしよう。」
「食べたいものはあれば教えてくれ。」


ポケットから取り出したスマートフォンを操作し、食べログサイトに周辺情報を打ち込んだ錆兎は画面を私に見せながら問いかける。地元の駅前であるから馴染みの店に行ってもいいのだが、新しい店を開拓するのも悪くない。気分はイタリアンだと伝えると何個か候補を出され、その中からお洒落な外観の店を選択した。優柔不断な私にとって、選択肢を絞ってくれる錆兎とのお出かけは気が楽だ。希望を汲み取ってくれるだけでなく、好みを知り尽くした彼だから任せきってしまう。二人で画面を覗き込んで店の場所を確認し終わると、再びスマートフォンはポケットの中にしまわれた。


「これ以上外にいると身体が冷える一方だからそろそろ歩き出すぞ。」


歩幅の大きい錆兎の一歩は私の二歩分程で、同じスピードで歩くにはより多く足を動かさなくてはならない。コツコツと音を立てるショートブーツのヒールは、早歩きになると安定せずバランスを崩しそうになる。それだけでなく、前日の雨の影響で道路は所々結露しているため滑りやすくなっているのだ。転んで尻もちをつくなんてみっともない姿は見せられない。変に踏ん張る力を入れればおのずと歩き方もおかしくなるわけで、錆兎にすぐさま見抜かれる。


「歩き辛いなら早く言ってくれ。怪我をしてからでは遅い。」


困ったように笑った錆兎は歩く速度を緩めた。私のペースに合わせてもらうのは何だか申し訳なくなって謝ると、そうじゃない、と錆兎はすかさず否定する。


「…名前のそういう所は良く知ってたんだから俺が気付くべきだったな。すまない。」


錆兎にまで謝らせるつもりはなかったし、何を意味して謝ったのか私にはわからなかった。きっと聞いてもはぐらかされるか別の話題にすり替えられるのだろうことは、彼の下手くそな笑顔を見たらわかる。何も言わずただ前を向いて歩みを進めた。雪こそちらついていないが凍える風に身体は自然と縮こまっていく。出掛ける前に見た天気予報を信頼してもっと着込んでくるべきだった。なけなしのカイロのお陰で手のひらこそ温かいものの、顔や足はどんどん体温が奪われていく。一本道では風を遮るものがないから時々駆け抜ける風に前髪が反り返える。路地の角を曲がり、見えてきた看板目掛けて歩みを速めると、隣の錆兎に腕を掴まれてゆっくり歩けと諭された。

ドアを開けるとそこは別世界だった。温かい空気と可愛らしい店員の出迎えの挨拶が冷え切った身体を溶かしていく。駅前のメインの通りから一本外れたこの店に客の足は届かないのかそれほど混みあっていない。案内された席に座ると早々にメニューを開く。パスタやシチューなど心躍るメニューが何種類もあり、更には季節限定と書かれたラミネート加工のチラシもあり迷ってしまう。


「まだ決まらないのか。」
「どれも美味しそうだから決められなくて。錆兎はどれにするの?」
「シチューのセット。」
「あ、それ私もいいなって思ってて。」
「どれと悩んでいるんだ?」


シチュー以外だとドリア、それから季節限定のパスタにオムライスと順番に指を指していくと、錆兎は候補が多すぎると頬杖を付いた。どれもキラキラ輝いて見えるのだから迷っても仕方がないはずだ。判断が遅いと言えばそれまでだが、折角なら自分が一番おいしそうだと思えるものを注文したい。でも、どれも一番なのだ。


「そんなに悩まなくてもまた次に来た時に頼めばいいだろう。」
「…そっか、そうだね。また来れるよね。じゃあ季節のパスタにする。」


これからも店が存在し続ける限り来る機会はいくらでもある。次は真菰を誘ってみてもいい。そしていつかは皆でこのテーブルを囲めたらどれほどいいだろう。ウェイトレスを呼んで注文を終えると、料理が用意されるまでの間に錆兎に聞いてもらいたかった話を切り出そうとしたところだった。


「なあ、」
「あの、」


同じタイミングで錆兎も話を始めようとして声が重なってしまった。錆兎が話始めるならと思い譲ろうとすれば、後でいいと逆に譲られてしまう。先でも後でも今日会った以上話をする覚悟は決めてきたのだから順番なんて関係ないのだ。腹を括れ、もう、逃げないように。


「私、錆兎と真菰が好きだよ。」
「……知ってる。」
「だから冨岡のことずっと気に食わなかったの。二人を取られたみたいで嫌だった。私だけの二人なのにって思ってた、独占したかった。」


ぽつりぽつりと話始めた私に錆兎は目を細めて次の言葉を待っているように見える。話したいことはもう頭に入っているのにいざ言葉にしようとすると唇が震え、うまく言葉が出て行かない。錆兎の目は、ゆっくりでいいと言っている気がした。小学校の卒業式の話から現在に至るまで大まかな経緯を時系列で話していく。


「嫉妬を引きずったまま今日まで来て、冨岡を散々傷付けてきた現実を思い返したら怖くなった。謝らないといけないのは分かってるけど、今更謝って許されることじゃない。」
「また、目を背けるのか。」
「…ほんとは逃げ出したい。向き合うのは怖いよ、すごく怖い。でももう逃げないって決めたの。だから今日は私がもう二度と逃げないように錆兎に喝を入れてもらいに来た。」


無意識に膝上に置かれた手はスカートは皴になるほど握りこまれていた。言い切った、初めて言い切ることが出来た。じっと逸らさず聞いていた錆兎の目が見開かれたかと思ったら、意を決したように眉と目元が吊り上げられた。


「決めたならもう迷うな、逃げるな。しっかり地に足をつけて進め。戻りたくなっても前に押し続けるからな。」
「…うん、ありがとう錆兎。」


力強い言葉がわずかな迷いを吹き飛ばしていく。決して一人でやれとは言わず、押し続けると言うところが彼らしい。いつだってその言葉に救われてきた。


「…実は俺も義勇の話をするつもりだったんだ。この前病人のお前相手に酷なことを言ったから。」
「そのお陰で私は前に進む一歩を踏み出せたから気にしないで。」
「それなら、よかった。」


錆兎の吊上がった目元が緩み、口元は弧を描いた。すっかり緊張感は無くなっていつものように談笑を始めると、ウェイトレスが湯気を上げたシチューとパスタを運んでくる。メニューの写真以上に輝いて見えた料理に、絶対に次は四人で来ようと決めてフォークに手を伸ばした。

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