焦がれるシロップ | ナノ




Toru Amuro


飛び散った破片を見て自分のしたことに気が付いたのか、安室は咄嗟にごめんと謝った。荒々しい彼を見るのはこれが初めてだったから、驚いたあまり片足をひいてしまうと、足元からパキ、と音が鳴る。恐らく飛び散った破片を踏んだからだろう。スリッパをはいていてよかった。もし履いていなかったら私の足の裏は血みどろになっていたかもしれない…まあそれほど大きな破片ではないのだが。冷静な私とは逆に、音を聞いた安室は血相を変えて私を抱き上げた。


「な、なに?」
「足に痛みはありませんか!?」
「スリッパ履いてるから…特に痛みもないし大丈夫だよ。」
「念のため確認しますから動かないでくださいね。ソファに運びますから。」


横抱きにされた状態でソファまで運ばれて、ゆっくりと腰を下ろされるとスリッパを取って足の裏をじっくりとみられる。自分の目の前に跪いて足を見られるというのは何とも恥ずかしいものだ。こんな体験をするのは女王陛下ぐらいなのではないだろうか。傷がないことを確認した安室は安心したのか肩を撫でおろすと次にスリッパの裏を向ける。そこには小さな破片がめり込んでいた。もう少し破片が大きかったら貫通して私に刺さっていたかもしれない。


「よかった…、七海に怪我をさせていたら一生後悔するところでした。とはいえ危ない目に合わせてしまった事は謝ります。本当にごめん。」


私を抱きしめながらごめんと何回も耳元で噛みしめるようにささやかれれば、許さないわけにはいかない。そもそも怒っていないし、元はと言えば私が新一のことを隠したのがきっかけである。透の背中に手を回して上下に摩ると一層に抱きしめる力を強くした透が擦り寄ってくる。


「全く…、七海の生活サポートをすると言っておきながら貴方に怪我をさせたら元も子もないですね。ここで待っていてください、掃除機をかけて片付けてきますので。」


透はゆっくりと私から離れて破片の刺さったスリッパを持つと、仕舞ってある掃除機を取り出してコンセントにつないだ。かけらを吸う音がチリチリと耳につく。細かいながらもかなり飛び散っていたことに再度驚いた。キッチンから見え隠れする透の姿を眺めながら残された問題である新一のことを改めてどう話すかについて考える。形的には収まったように思えるが、きっと透は納得していないだろうから調べるはずだ。新一のことを勘ぐられるのは避けたい。では、どうやって話そうか。透は私と新一が親戚であることを知らないから、急に子供が一人で私の家を訪ねてきたと言ったら勘ぐるに違いない。…それならいっそ新一に直接アドバイスを求めよう。キッチンにいる透の目を盗みながらポケットに入れてあったスマホを取り出して、彼氏に新一が訪ねてきたことがバレそうとメッセージを送る。するとすぐに既読が付き、どんな人だと尋ねられた。どんな人…、誠実で思いやってくれる優しい彼氏、と言ったところだろうか。そのまま送ると、そうじゃなくて名前だよと言われる。ああ、そういうことか。惚気てしまった自分を恥ずかしく思いつつ安室透と送ると、次に来たのは電話の着信音だった。


「彼氏って安室さんかよ…!聞いてねぇぞ!」
「言ってないし。」


通話先の慌てた声の裏では子供たちの騒ぐ声が聞こえる。そういえば少年探偵団の子達と遊びに行くと言っていたような。それはともかく新一が透に対して何らかの警戒心を抱いていることに気づいた私は続けざまに問題があるのかと問う。


「ああ…まぁな。それで俺のことだけど、安室さんなら下手にごまかすより江戸川コナンが訪ねてきたと言った方がいい。関係性は博士の知り合いってことでいいだろ。」
「確かに嘘ではないよね。」
「…あとはうまくやれよ。こっちは目を離すと子供たちがどこかへ行くから忙しいんだ。」
「え、見捨てないでよ!」

「何を見捨てるんです?詳しく教えてほしいな。」
「げ……。」


すっかり話に夢中になっていた私は声を荒げており、安室が片づけを終えて後ろに立っていたことに気づかなかった。彼氏がいるのに堂々と電話ですかと言われて振り向けば、怖いぐらいの笑顔を浮かべて私の前にすっと手を差し出す。何事かと差し出された手におずおずと手を重ねた。


「そうじゃなくて、携帯ですよ。携帯見せて。」


やんわりと手をはずされて持っているスマホを指さしながら言われる。登録名は江戸川コナンにしてあるが、工藤新一のデータも残っているためできれば見られたくない。携帯を渡さず交渉する術は、正直に話すことしかないだろう。手でぽんぽんとソファを叩きながら言った。


「電話相手がだれか知りたいんでしょ?話すから…座ってよ。」
「次も誤魔化すのはなしですよ。」


安室は私の隣にぴったりと密着するように座った。大方逃げられないようにするための行為にごくりと唾を飲みながらも、近づいた距離にきゅんとする。それを悟られないようにぐっと押し込めた。


「さっき話してたのと今日家に来たのはコナンくんだよ。」
「コナンくん…?何故?僕のバイト先に来て鉢合わせたことはあったと思いますが、個人的に仲良くする相手ではないでしょう?歳も離れている。」
「阿笠博士と付き合いがあるからたまに預かったりするのよ。」
「へぇ…今までそんな話一度も聞いたことなかったけどな。」


つらつらと教えられた知恵を話すも安室の疑心は解けそうにない。顎に手を当てて探る仕草を一層強めるばかりだ。何度も質問を切り出してくるが、新一に教えられたこと以上を話すといつか矛盾してしまいそうな気がしたから、答えにくいものは苦笑いで流す。はぐらかすとムッとした表情をするも、身近にいる存在だと分かった安室は深く追及はせず、そうですかと含み笑いを浮かべる。そのしわ寄せが新一に行くことだろうことは私にもわかった。一通り質問、いや、尋問を終えると安室は伸ばした背筋を緩めソファの背にもたれかかる。


「コナンくんなら最初から隠さずに言えばよかったじゃないですか…さすがに子供に嫉妬はしませんよ。…ちょっと咎める程度で。」
「十分嫉妬してるというのでは…。」
「彼は時々子供とは思えませんからね。そう思うでしょ?ここではコーヒーを飲んでたようだし、ね。」


極上のスマイルで今度ポアロでコーヒーを出そうかな、なんて言う透に乾いた笑いしか出なかった。私でさえ胃が締め付けられるような尋問を受けたのだから、咎められる新一がどうなってしまうか想像するだけでも恐ろしい。我が彼氏ながら絶対的に回したくないと思いながら、自分はうまく逃れられたことに安堵したのであった。

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