焦がれるシロップ | ナノ




Toru Amuro


朝起きるとベッドに安室の姿はなかった。隣に温もりも残っていないことから、私が起きる1時間は前に出ていったのだろう。休日返上で喫茶店のバイトか毛利探偵事務所で働くのだと考えると、体が心配になる。安室が寝ていた位置まで寝返りを打って転がれば、そこはほんの少しだけ安室の残り香がした。いつまでも香りに包まれていたいが、今日は予定がある。渋々布団を畳んでベッドから降りた。そして朝食をとるためにリビングへと向かう。


ドアを開けると、ふわりと食欲をそそる香りが漂っていた。香りに誘われるままテーブルに目やれば、ラップがかけられたフレンチトーストとサラダが並べて置かれていた。その隣には1枚の折りたたまれた紙が置かれている。


「おはようございます。よく眠れましたか。朝ごはんはしっかり食べてくださいね、か…。」


生活をサポートすると言っただけあって、何から何まで手を尽くしてくれている。最近は疲れて帰ってきて朝ギリギリに出かけることが多かったから、朝ごはんを食べるのは久しぶりだ。コーヒーだけは自分で用意すると、ゆっくり朝食を楽しんだ。ホテルの朝食並みの朝ごはんに、出来る彼氏の存在を改めて実感する。残すことなく全部食べ切ると、皿を丁寧に洗って乾燥機へと立てかけておいた。


身支度を済ませてしばらくすると、玄関のチャイムが鳴った。カメラで来訪者の姿を確認すると、ドアを開けて出迎える。


「七海お姉さんこんにちは!」
「どうぞ、コナンくん。」


小さな来訪者は元気よく挨拶した。家に上げると慣れた足取りで家に上がると、リビングへ直行する。ソファに座ると、出してあった私のパソコンを勝手に立ち上げてUSBを差し込んだ。


「また勝手に…。蘭ちゃんに言いつけるよ。」
「ここか博士のとこぐらいしか自由にできないんだから甘く見てくれよ。」


先程までの子供っぽい口調を改めて、元の口調でしゃべりくつろぐ新一は親戚の私に全く遠慮がない。そのうちに飲み物を用意しろとまで言われる始末だ。それに従ってしまう私も私である。湯を沸かしてインスタントコーヒーを淹れて持っていけば、礼を言ってPCに視線を戻した。折角だから余ったお湯を使って自分用のコーヒーも淹れた。余計な口を挟むと怒られそうなので、新一の作業を見守りつつ雑誌を開いた。もう秋物が載っている雑誌は季節の移ろいを感じる。ぱらぱらとページをめくりながらほしいアイテムをチェックしていると、新一がクリック音を鳴らしながら話しかけてきた。


「そういえばこの部屋誰か入れたか?」
「え、誰も?私一人暮らしだし。」
「…ふーん。」


若干声が裏返りつつも嘘をつく。安室との約束で、私と安室の関係は周りには話さないことにしている。たとえそれが信頼できる新一だとしても。彼の推理力ならいつか気づく日が来るとは思う。でもその日までは隠し通させてもらう。すでに何かに気づき始めている新一を交わしながら雑誌をめくるが、その手はさっきよりも震えている。


「この部屋に入ったとき甘い香りがした。」
「ああ、朝ご飯食べたからね。」
「机の端におちた砂糖…フレンチトーストだろ?七海が朝から手の込んだものを作るとは思えない。料理上手な誰かがいるなら別だけどな。」


失礼な。私だってたまには、たまには…作る日だってある。嘘、ほとんどないけど。目ざとく砂糖まで見つけるとはさすがといったところだが、身内のプライベートに踏み込んでこないでほしい。


「新一が来るって知ってたから早く起きたんだよ。たまたまだって。」
「…まぁ別にいいけど。変な男に引っかかるんじゃねーぞ。」
「…男って。」
「部屋に来てたのが女なら隠さず言うだろ。それで性別は絞れる。さらに様子を見てると素性を明かせないようだし…あんまり口うるさくは言わないけど、危なくなったら連絡しろよ。」


頬杖をつきながら顔色を変えずに言い切った新一は、最後にワンクリックしてからパソコンを閉じた。己の興味本位で聞いていただけだと思っていたが、私の身を案じてくれているようだ。1周りも年下の新一に心配される日が来るとは思わなかった。立派になったなと小さい頭を撫でると、抵抗された。子供の姿の時ぐらい素直に撫でさせてほしいものだ。


「もうパソコンはいいの?」
「ああ、データにアクセスして資料を読むだけだからな。」
「また危ないことやってるんじゃないでしょうね。そっちこそ気を付けなよ。」
「わかってるよ。」


新一は用が済むと長居する気はないようで、USBを抜き取ると空になったカップをシンクへ運ぶ。私がやっておくと受け取ると、素直に頷いてコップを渡してくれた。この後の予定を聞けば、少年探偵団の子達と出かけると言う。小学生の友達付き合いもなかなか大変そうだ。ドアの外まで見送っていってらっしゃいと声をかけると、声のトーンを数段あげ、いってきますと言って飛び出していった。普段からあのトーンなら可愛いものを。


ドアを閉めてしっかり戸締りをしたら、キッチンに戻って新一の残したカップを洗った。布巾で拭いて戸棚にしまうとインターホンの音がわたしを呼ぶ。新一が忘れ物でもして戻ってきたのだろうか。布巾をキッチンテーブルに放り投げると駆け足で玄関カメラの確認に向かう。カメラに映ったのは新一ではなく、今朝方出ていった安室の姿だった。慌てて玄関に向かってドアを開けて出迎える。


「バイトが終わったので昼ご飯を持ってきました。一緒に食べませんか?」
「おつかれさま。食べる!」


紙袋に入ったハムサンドを差し出されたら断る理由などない。二つ返事で受け取って、安室を家に上げた。そのまま昼ご飯にしようと、私は皿にサンドイッチを盛り付け、安室はコーヒーを淹れるために戸棚からカップを出した。盛り付けているとカップを二つ、私の皿の隣にドンと置かれる。その音に驚いて安室の顔を見ると、眉を寄せて私をにらんでいた。突然の状況に手を止めて体ごと彼に向き合うと、低い声で問う。


「…七海、さっきまで誰といたんです?」
「…なんで?」
「このカップ、わずかに水滴が残っている。それも2つ。恐らく慌ててしまったんでしょうね、僕がインターホンを鳴らしたから。」


見せつけるようにカップを目の前に差し出され、確認すると確かに拭き残した水滴が残っていた。


「昨日あんなに体調を崩していたのに、今日僕が出かけた途端浮気ですか。」
「違うよ、浮気なんてするわけない、」
「でも僕に言えない相手なんでしょう?」


珍しく声を荒げた安室が再びコップをワークトップに叩きつけると、砕けた破片が飛び散った。そんなことが気にならないぐらいにゆがめられた彼の顔を見るととてつもない罪悪感に苛まれる。

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