ひとさじいかが? | ナノ




Rei Furuya


薄青の袋に包まれて、袋の口にはブルーのビニタイがつけられたクッキーは残るところ1袋となった。仕事帰りにポアロで蘭達に配り、近所の公園で待ち合わせた松田達に渡し、あとは降谷のみ。その降谷は、仕事が片付き次第家に寄ると昼頃にメールが来ていた。しかし、20時になっても訪ねてくる様子がなく、何かあったのではと心配するも、仕事中だったらと考えるとメールをすることをためらってしまった。繁忙期なだけかもしれないし、明日は休日。気長に待つことにしよう。


「お邪魔します。」
「はい、どうぞ。」


結局降谷が訪ねてきたのは21時を越えてからだ。かなり疲れているようで、目の下にはうっすらと隈が見える。疲れているのならば、またの機会に作るのに、律儀に約束を守るところは降谷の誠実さが伝わってくる。部屋に通すと倒れこむようにソファに横になった降谷のジャケットを脱がしてやる。


「ジャケットかけとくよ。…ちょっと仮眠とってから行く?」
「…そうさせてもらえると助かります。」
「了解。タオルケット持ってくるね。ちょっと待ってて。」


ハンガーにかけたジャケットをクローゼットにかけてから寝室へタオルケットを取りに行った。ベッドの上に広がっているタオルケットをつかんで、ふと、匂いが付いてないか考える。慣れ親しんでいる自分のものだと匂いが付いていても分かりづらい。念のため消臭剤を二、三回吹きかけて確認してからリビングへと戻った。


「降谷さん、持ってきたよーー…。」


声をかけるも反応がなく、ソファを覗き込んでみると目を閉じて規則的な呼吸をしている降谷が横たわっていた。起こさないようにタオルケットをかけてやると身をよじって丸まった。


「可愛い。」


思わず漏れた言葉に口を手でふさぐが、降谷が起きる様子はない。相当深い眠りについているようだ。このまま起こさず寝かせてやりたいところだが、30分ほどしたら起こそう。それまではなるべく静かにして物音を立てないようにしないと。しかし何をするにも30分とは微妙であり、頼みの綱のテレビも消音では楽しめない。何かいい方法はないかと部屋を見渡して目に入ったのは本棚だった。そういえば読みかけの推理小説があったはず。そろそろとすり足で近くの本棚まで歩く。本を取り出して開くと栞が挟まっており、読みかけをわかりやすく教えてくれる。ソファで眠る降谷がよく見えるように、テーブルをはさんで対面に座り、読書を始めた。


読み始めて数分経ったが、本のページをめくる手はすすまない。しばらく読んでなかったから、どんな物語だったかさっぱりわからないのだ。どうやら事件が起きてそれを探偵が証拠集めをしているところらしいのだが、それまでのいきさつがわからず、本の世界に入っていけない。もしこのまま読み終わってしまったら、胸につかえが残ることが容易に想像できる。…それならば明日からの休日、ポアロにでも行って一気に読んでしまおうか。ついでに梓にも会うことが出来るし一石二鳥だ。そうと決まればページを一気に最初に戻し、初めから読む体制に入る。


「ん…。」


1文字目を目に捉える前に、降谷の口から洩れた声が気になり顔を上げる。ちょうど寝返りを打って身をよじったときに出たのであろう声は、普段の落ち着いた声とは違い、幼さを感じさせる。ベッドの半分ほどの幅しかないソファの上での寝返りで、落ちてしまわないか見守っていたが杞憂だったようだ。随分と器用に寝ている。普段からソファで寝ることに慣れているのかもしれない。


それからまた本に集中しようとするも、どうにも降谷が気になって読み始めることが出来なかった。本を置いて音を立てないように近くに寄って寝顔を覗き込んでみると、改めてその顔の幼さを実感する。目が開かないことをいいことに、覗き込んでいるが、起こす時間が刻一刻と近づいてきている。残念。肩を揺らして起こそうと手を伸ばすと、その手が触れる前にゆっくりと瞼が開き、碧眼がわたしの姿を映した。


「おや、もう見つめてくれないのですか?」


拳一つ分ぐらいの距離で目を細めて問う降谷は不敵に笑い、目を擦る。そしてあくびをかみ殺すように息を吸うと、腕を伸ばして完全に起きる態勢に入った。この人、本当に寝ていたんだよね。寝てるのに何故私が近づいていたことに気づけたのか不思議でたまらない。


「…降谷さん寝てたんじゃないの。」
「気配でなんとなくわかりますよ。覗き込みたいなら起きてる時にしてくれると嬉しいんですがね。」
「…もうしません。」


それは残念です、と言ってタオルケットを畳み、乱れたシャツを直した降谷はかけられていたジャケットを羽織った。どうやらもうお帰りらしい。


「さて、今日の本題に戻りましょう。クッキー楽しみにしてたんですよ、七海?」
「もちろん、用意してますよ。」


キッチンの棚から包みを取り出して、玄関で待っている降谷に渡す。降谷はそれを受け取ると大事そうに両手で包み込んだ。


「丁寧にラッピングまでしてあるとは思ってませんでした。」
「折角のプレゼントだからね。」
「ありがとう。…今食べて感想を言いたいところだけど時間だから帰ります。また日を改めてお礼をさせてください。」
「そんな、お礼なんて。」
「ふふ、口実ですよ。また二人でどこか出かけましょう。」


では、おやすみなさい。そう言うと降谷は玄関の戸を開けて帰っていった。

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