ひとさじいかが? | ナノ




Rei Furuya


午後5時、定時退社後に向かったのはスーパー。そこでなぜか強盗事件が起こりスーパー内に閉じ込められて1時間。やっと買い物を済ませてスーパーを出たのが6時30分。当初は定時に帰れるから、手の込んだハンバーグでも作ろうと悩んでいたというのに。袋の中に入った食材と言えばすぐに食べられる塩鮭とみそ汁用の豆腐とねぎ。落胆しながら早く帰ろうと、歩くスピードを上げる。彼氏がいるわけではないが、女子力を上げるために始めた料理がすっかり趣味になってしまった。しかし一応はOL、一人暮らしで帰ってからの料理は疲れるからなるべく早く作って片付けたいもの。すっかり暗くなった帰り道を歩いていると、前方から男性が歩いてくる。金髪にグレーのスーツ、顔まではまだ距離があってよく見えないけれど、いかにも美形そうな風貌。近づくにつれて、フラフラした足取りに今にも倒れそう、そう思った瞬間、男性が倒れた。


「大丈夫ですか!?」


倒れた男性に駆け寄る。倒れたものの、受け身は取っていた彼の上半身を起こす。男性の顔色は悪く、救急車を呼ぼうとポケットからスマホを取り出した。11まで押したところでスマホを取られる。


「やめてください、救急車は…。」
「でもあなたすごく具合が悪そうだし…!」
「違うんです…。」


何が違うのか問いかけようとすると、ぐぅぅぅと盛大におなかの音が鳴った。閑静な住宅街に鳴り響いたその音に顔を赤くする。そういえば今日は会社でおやつタイムをしなかったなぁ。思いだしてパッと口をふさぐが、そんなに空腹感はない。もしかして、この男性の。


「おなかがすきました…もう2日ぐらいまともに食べていないんです…。何か持ってませんか。」


ポケットやバッグを漁るも、今日に限ってクッキーの一つも入っていない。あるのは買い物袋に入った食材ぐらい。


「ごめんなさい何も持ってなくて…。」
「いえ、こちらこそいきなり変なことを言ってすみません。」


そのまま軽く手を振って立ち去ろうとする男性に自分でも想像してしていなかった言葉が飛び出した。


「あの!今から家で晩御飯を作るんですけど良かったらうちまで来ませんか!」


言ってから多少の後悔が襲ったが、言ってしまったものは仕方がない。このまま別れてどこかでまた倒れられたら困りますから!などと適当な理由をつけて、最後は無理やり男性の手を引きマンションまで連れて行った。彼はちょっと、だとか制止する言葉を言っていた気がするが無視することにした。彼氏いない歴=年齢の私が自分の部屋に男性を連れ込むのは初めての経験である。しかも、初対面の男性。慣れた手つきでマンションのセキュリティキーを解除し、部屋の鍵を開けると、彼に上がるよう促した。部屋まで来るとさすがに難色を示した彼が、苦笑いを浮かべながら帰ろうとする。しかし空腹の彼がわたしの腕力に勝つことはなく部屋の扉は閉じられた。昔柔道をやっていただけあって、そこら辺の軟い男よりは強い自信がある。


「適当に座って待っててください、すぐに用意しますから。」
「はぁ…。」
「スーツ、皴になるといけないのでそこのハンガーどうぞ。」


上着を脱いでソファに座った彼を確認して、同じようにスーツを脱ぐ。シャツを腕まくりしてから、手をすすいだ。袋や冷蔵庫から食材を取り出すと、手際よく調理を開始する。今日は丁寧さよりもスピードだ。鍋にみそ汁の材料、グリルに鮭を突っ込むと火をつけた。


それから30分ほどするといい香りが部屋を包む。みそ汁をよそって、焼き鮭を皿にのせて、申し訳ないけれどご飯だけは昨日のものを温めてからテーブルへと運ぶ。自分用と来客用の箸を出してお茶を入れると、食べる準備は整った。


「お口に合うかどうかはわからないですが、どうぞ召し上がってください。」
「あー…ありがとうございます。」


あんなにおなかを空かせていた彼は手を付けることを渋っている。二人分作った後で断られるとさすがに私も腹が立つので、食べられないというのなら食べなくてもいいですよと煽れば、箸を手に取った。


「いただきます。」
「…いただきます。」


食前の挨拶をしてから彼の反応を待った。父親以外の男性に手料理をふるまうのは初めてで、反応が気になっての行動だ。まずいご飯を作っている自覚はないが、気になってしまう。みそ汁のお椀へと手を伸ばし、口をつけて飲んだ彼を見て、ごくりと唾をのんだ。一口だけ飲んでお椀を戻した彼は、次に勢いよくご飯をかきこんだ。もしかして、まずかったからご飯で口直しをしたとか。心配になって自分もみそ汁を飲むが、普段通りの味だった。


「あの…、私のご飯お口に合いませんでしたか。」


恐る恐る聞いてみると彼はとんでもないと言う。


「逆ですよ、あまりにもおいしかったので、つい。」
「まぁ空腹は最高の調味料って言いますもんね。」
「…そんなとこです。」


その会話を最後に、皿が空になるまで彼は一言も発さず黙々と食べ続けた。さきに食べ終わった彼は、にこにこしながら私が食べ終わるのを待っている。最後の米粒一つを取って手を合わせると、同じように手を合わせた彼とごちそうさまと言って食事を終了した。


「いつも自炊なさってるんですか?」
「ええ、料理が趣味なもので。あと、別に敬語じゃなくていいですよ。そんなに歳も変わらないでしょうし。」
「敬語は癖みたいなものなので…。そちらも外してもらって構いません。」


敬語が癖って営業マンか何かかな。スーツをしっかり着こなしていたし。


「そういえば名前聞いてませんでしたね。」
「水野七海です。」
「俺は降谷といいます。よろしく七海さん。」
「こちらこそよろしく、降谷さん。」


さらっと名前を呼ばれたことで、苗字しか教えてもらっていないのをこの時はすっかり忘れていた。その後、降谷は皿洗いを手伝うと言い、皿洗いを手伝ってくれた。お礼に温かいお茶を入れようとすると、夜遅くに女性の家にいるのも悪いのでそろそろ帰りますといい、帰っていった。


これが、降谷という人間との出会いで、今後も末永く付き合っていく関係になるとは七海は思いもしなかったーーー。

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