冷たくあしらう彼のセリフ | ナノ




Rei Furuya


連れてこられた降谷の家。初めて許してもらった領域に踏み入れる私の足は、心とは裏腹に重かった。ここから先に入ったら、私と降谷の関係は間違いなく変わるだろう。いい方向にということは、車内の様子から判断が付く。しかし、片思いが両想いになるということは別れもあるのだ。スタートラインに並んでいた選手がゴールへ向かうように。降谷が承諾したとたん、スタートからゴールに向かってしまう。私は絶対に降谷から目をそらさない自信があるが、降谷はどうだろうか。わたしは美人ではない。平々凡々だし、仕事も努力はしているものの、秀でているわけではない。自分自身のステータスに自信がないのだ。


「突っ立ってないで中に入れ。風邪を引くぞ。」


なかなか靴を脱いで上がらない私の様子を怪訝そうに見つめていた。心配をかけないよう、はいと返事をする。いざ上がろうとするとストッキングの濡れに気が付く。このまま靴を脱いで上がってしまったらフローリングは…。タオルを借りたほうがいいと判断する前にしびれを切らした降谷は、無理やり手を引いて歩きだした。靴も放り投げるように入ってきてしまって、振り返るものの戻れる気配はない。降谷がドアに手をかけ開くと、モノトーン調に揃えられたシンプルなリビングに通された。


「七海、服を脱げ。」
「は!?なんですかいきなり。」


部屋に入るなり服を脱ぐように言う降谷に、両腕交差させて掴み身構える。


「…別に厭らしい意味じゃないよ。まずはその濡れた服を着替えることが最優先だと思うんだが…。」
「…変な意味に捉えてすみませんでした。」
「そんなに手が早いように見えるかな。」


ため息をついて眉を顰める降谷だが、見た目だけなら十分手が早そうに見える。正直に言ったら組手で床に組み敷かれそう。まずは羽織っていた降谷のスーツを脱ぐと、背中だけじんわりとしみていた。


「降谷さん、ハンガーとかもろもろ貸していただけますか。」
「あぁ。持ってくる。ついでにシャワーで一度温まったらいい。」
「ありがとうございます。乾燥機も借りていいですか?」
「脱いで入れておいてくれたら回しておくからそれはいいよ。ほら早く。」


バスルームに通されて着替えやバスタオルを渡すと降谷は出て行った。ジャケットやズボンはハンガーに、それ以外を洗濯機に入れてバスルームへと入る。持っていたヘアゴムで髪を結んで水がかからないようにする。そして蛇口をひねると、お湯に設定していても最初に出てくる水を避ける。しばらくすると水は温かいお湯に変わったので体に当てた。体を流しながら、整頓されて並べられているシャンプーを見ると、自分が使っているものと同じもので驚いた。降谷のシャンプーの香りがするほど近くに寄ったことがなかったから気が付かなかった。あとでそれとなく近寄って確認させてもらおう。


十分に温まってタオルで水滴を拭うと、バスルームを出た。おいてあったTシャツに短パン、カーティガンを順に着ると、髪をおろす。ノーメイクで出ていくのは恥ずかしいので、簡易なメイクをしてから洗面所を出た。リビングに戻ると降谷はソファに腰かけて新聞を読んでいた。



「シャワー上がりました。」
「ちゃんと温まってきたか?」
「はい、これで風邪もひかないで済みます。」


ソファに座る降谷に対して立って話しかけると、座れと隣をぽんぽんと叩いた。ホテルの時と同じシチュエーション。でも違うのは二人の間に流れる空気。隣に座ると傾いてきた降谷の首がわたしの肩に乗った。ふわりとかおるシャンプーの香りは確かにわたしと同じものだ。


「お前がシャワーを浴びているときにいろいろ考えてた。これまでのこと、これからのこと。」
「…結論はまとまりましたか。」
「いや、結論は前々から出てたんだ。」


そういった降谷は膝に置かれた私の左手に右手を重ねた。そして被せた手を上からぎゅっと握る。込められた熱は風呂上がりのわたしよりもずっと熱い。


「好きだ。だから傍にいてほしい。…今まで待っていてくれてありがとう。」
「っ…。」
「あの時は俺も生き急いでいた。目的のために障害となるものはいらないと鍵をかけてしまっていた。だからお前のことも鍵をかけてしまったんだ。」
「それって…。」
「七海が昔から俺のことをずっと見ていたのも知っていたよ。その視線を交わらせてみたいと何度も思ったさ。できなかったけどな。前にも言ったように大切なものは失いたくなった。」


自嘲するように笑って言った。夢みたい、ずっと求めていた人の想いがずっと向けられていたなんて。触れる肩が現実なんだと実感させる。思わずこぼれた涙があごから膝へと垂れた。


「降谷さん、わたしもう我慢しなくていいんですね。好きってちゃんと伝えていいんですね。」
「もちろん。でも俺は七海に好きって言ってもらう資格あるか?」
「資格なんていりませんよ。約束さえしてくれれば。」
「…約束するよ。終わりなんてなくずっと傍にいるってね。」


初めて寄り添った心は温かくて、永遠に続きますようにと願った。

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