冷たくあしらう彼のセリフ | ナノ




Rei Furuya


あの日から変わったことといえば、私のアドレス帳に降谷零という文字が刻まれたことだ。現場に出るのならば危なくなる前に連絡しろと教えてもらった。あくまで仕事用、されど仕事用だ。出勤前に眺めてにやけるのが日課になっている。自分のデスクに荷物を置くと、仕事モードへの切り替えをする。今日の私の仕事は先日の調査報告書の作成だ、これをもとに別の班が取り押さえるのだから重要度が高い。意気込んで時間を忘れて取り組む。

そのうちに周りの音が聞こえなくなるまで集中していたようだ。空腹感に時計を見ると午後2時を回っていた。


「あまり根を詰めすぎるなよ、適度に休憩はとれ。コンビニで弁当を買ってきた、話しかけたのに返事がなかったから適当選んだけど文句は言うなよ。」
「ありがと、ごめん集中してた。」


風見がくれた袋の中には温かいドリアが入っていた。お金を払おうと財布を取り出すと風見はいらないという。でも、と食い下がった私に対してチョコレートのお礼だといった。一粒がドリアに、わらしべ長者でもしている気分になる。冷めないうちにいただくねと声をかけてから休憩室へと向かった。昼休憩からずれたこの時間にはさすがに誰もおらず、一人でゆっくり休憩が取れそうだ。給湯器で湯を沸かしてお茶を入れる。


「降谷さんから奇跡的にメールが届いてるなんてことは…。」


携帯のメール画面を開くと新着メールが1件。私にわざわざメールを送ってくるようなもの好きはいない…もしかして、もしかして。気づいてからその間一秒、メールを開くと、希望的観測に落胆する結果となった。差出人の名前は山田、またあの先輩か。一気に気分は下がるが開いてしまったものは返さなくてはならない。内容は、意外にも仕事の内容だった。"資料室にある20XX年のファイルを持ってきてくれない?今手が離せなくて。"自分でいけよなんて悪態をつきながらも、建前で承知しましたと返事をする。面倒な仕事が1つ増えてしまった。ドリアを食べるスピードが徐々に遅くなり、休憩時間よ終わらないでくれと体が願っている。そんな願いとは裏腹に、減っていくドリアがわたしの空腹を物語る。おいしい。あっという間に空になった紙皿をゴミ箱へと放り込んで、片づけ終えると、資料室へと向かった。


一度デスクに戻ろうか考えたが、資料を持てるだけの手は空いている。昼ご飯はコンビニ弁当で容器は捨てれるものだったし、お茶は私用に置いてある湯飲みを使っておいてきた。今持っているものと言えば携帯ぐらい。エレベーターで地下まで降りて、資料室までたどり着いた。


「20XX年のファイルー…、いや、何のファイルなんだろ?そういえば詳細について聞いてないな。」


地下の資料室には膨大な量のデータが眠っている。年で指定しても、何が必要か詳細に指定されていなくては、資料を持ち出すことが出来ない。この部屋はセキュリティが厳しく、外部のネットワークが遮断されている。連絡を取るには一度資料室から離れなくてはならない。こんなことなら山田自らが向かった方がよかったものを。出口に向かうと外から声が聞こえてくる。


「水野ー?来ているかー?」


山田の声だ。資料の詳細の伝え漏らしでここにやってきたのか。呼びかけに何故か応じることが出来なかった。嫌な予感、あくまで予感にすぎないのだが奥の棚の陰へ隠れた。


「おかしいな、そろそろ来る頃だと思ったんだけど。押せば落ちるだろうし、邪魔されないよう誰も来ないところに連れ込もうと考えたが失敗か…。」


妙な頼まれ事だと思ったらこんな魂胆だったのか。返事をしなくて本当に良かった。あとはここで息をひそめていればそのうち諦めて出ていくだろう。身を縮めて目を閉じる。早く、早くどこかへ行って…!もしここで音を立ててしまえば、気付かれてしまい、何をされるかわからない。誰かが来るまで助けてもらうことも不可能だ。


「そもそも俺の誘いを断る水野が悪いんだ。何度も誘ってあげてるっていうのに。」


誘ってあげてるとは。別にあなたに誘ってもらいたいわけじゃないのに。上から目線に腹が立つがここで反応してしまえばすべて水の泡。じっと耐えていると山田ではないもう一つの気配に気づく。


「へぇ、それは大層な言い分だな。」
「ふ、降谷さん!?なぜあなたがここに。」
「別に資料室は誰だって利用するものだ。それよりも、楽しそうな独り言、録音させてもらったよ。ここは通信環境はなくても携帯は役に立つ。…最も、そんな頭が回らない部下もいたようだが。」


どうやら降谷は私が潜んでいることに気づいているようだ。山田にとっては自分に言われているように感じたようだが、恐らく私に対してのもの。


「降谷さんには関係ないでしょう!首を突っ込まないでいただきたい!」
「大切な部下が執拗に付きまとわれていたら助けるのが上司の役目だと俺は思っている。水野から手を引け、無駄だと判れ。君の抱えるそれは、自分のものにならない水野へのいら立ちであって、好意じゃない。本当に好きならば」


相手の立場に立って考えるべきだ。降谷はそう言うと資料棚越しに私をじっと見つめてきた。そして山田の肩を叩くと資料室から出ていくよう促す。山田は降谷の言葉に毒気を抜かれたのか、一礼してから資料室から出て行った。それを見届けてから降谷は私のいる方へと近づいてくる。あと棚一つというところで立ち止まり、そのまま話しかけてきた。


「危ないと思ったら連絡しろといっただろ。」
「資料室に入ってから気づいたんです。でもなぜここに?山田さんにはあぁ言ってましたけど、ほんとに資料室に用があったんですか。」
「…風見に休憩に行ったと聞いた。そのまま戻ってこないから山田の後をつけたら大正解だったよ。」
「さすが、察しがいいですね。」


また心配して来てくれた、そんなことするから私が舞い上がるんですよ。降谷に対する思いは一方的なもので、極端にくくってしまうのならば、山田がわたしにぶつけるものとそう大差ないのだ。違うとするならば、わたしは降谷の立場を尊重している、ただそれだけ。


「…お前は山田と同じじゃない。」


考えていることを感じ取ったらしい。


「でも、断る降谷さん想いを押し付けてるだけですよ。何ら変わらないです。」
「違う。」
「違いません!」
「違う!俺は一回も七海自身を嫌いだとか、好きになることがないなんて一度も言ってない!」


時期が悪かった。潜入捜査で人格を作り上げて、目的のために人を殺めて、そんな自分じゃ君の傍にふさわしくない。すべてが終わって降谷零に戻って償ってから、君の傍にいたい。真剣な七海を見ていると決心が鈍るんだ。だから今はと理由をつけて離れすぎないぐらいの距離に遠ざけた。ずるいよな。困ったように笑う降谷はいつの間にか隣にいた。だめですよ、隣に来たら私がないているのがばれてしまうじゃないですか。ずるい人です。胸に飛び込めば拒まず受け入れた降谷に縋り付いて泣く。


"今だけです、資料室を出たらしばらくの間片思いに戻りますから。傍にいてください。"

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