いまこむと


苗字名前は藤の花の家紋の家に生まれた。生を受けてから十数年、鬼狩り様に尽くしてきたが、こんなにも変わった隊士と出会ったのは初めてであった。その隊士の名は我妻善逸という。彼は、初対面である名前に結婚を申し込んで縋り付いてきたどうしようもない男である。当然名前は間髪入れずにお断りをしたが、善逸は諦めずに何度も何度も求婚をしてくるため、最近では聞き流すようにしている。昨日もまた負傷して訪ねてきては、この家で夜を明かした。もちろん、給仕を務めたのは名前だ。食事の準備、寝具の用意、包帯の取り換え、洗濯、やらねばならぬことは山積みだというのに、善逸は膝枕だの耳かきなどを頼み込んでくるからそちらは丁重にお断りさせていただいた。拗ねて騒いでいたが、布団に無理やり押し込めば疲労からかすぐ寝てしまったけれど。

給仕の朝は早い。鬼狩様が起きる前に出発の準備を整えなければならないからだ。前日に砥いでおいた米を火にかけて、漬物を刻む。出かかった欠伸を慌てて引っ込めて火加減を調節した。基本的に彼らが長居をすることはない。よほどの大怪我でない限り、1日で仕事に戻っていく。そして、再び訪ねてくることは滅多にない。物心つく前に父に、彼らは常に死と隣り合わせの生活を送っていると聞かされた。幼いころはその意味が理解できず、休養する隊士に喋りかけては仲良くなって”また来る”と告げた彼らを心待ちにしていたが、9割9分それは叶わなかった。待っていても自分の心が苦しくなるだけ、それならば適度な距離を保ったほうがいい。仲良くならない方がいい。そう思っていたのに、あの黄色い頭はそれを踏み越えてくる。…余計なことは考えるな、手を動かせ。火にかけていた鍋の蓋から泡が零れだしてきたから慌てて火を弱めた。ご飯の炊けるまでもうそれほどかからないため、棚から器や膳を出して用意をした。

膳を運んで引き戸を開くと善逸はすでに起床しており、布団も綺麗に畳まれていた。そのようなことは私の仕事ですから、と言っても善逸は大変だろうからとやるべきことは自分でやってくれている。そこは非常に感謝しているのだが、将来性高い夫になるよと胸を張るので一言余分だ。善逸の前に膳を用意すると目を輝かせながら箸を持った。


「名前ちゃーん!今日もとっても美味しいよ!結婚しよう!」
「お口に合ったようで何よりです。」
「洗濯もしてくれたんだよね、朝起きたら隣に置いてあってすごくいい匂いがしたんだ。」
「…どういたしまして。」


昨日の夜に畳んで枕元に並べておいた羽織に善逸は目をやりながら言った。彼は何でも感謝の言葉を口にするから尽くし甲斐がある。


「安全祈願のために藤の花の香りをつけさせていただきました。お気に召したようであればよかったです。」
「そんなことまで…やっぱり名前ちゃん結婚しよう!」
「丁重にお断りさせていただきます。」


このやり取りももう何度目になるだろうか。もう片手で数えきれない数になったような気がする。いつだったか、彼にはっきりと結婚はしないと伝えたことがある。すると、困ったように笑って、俺が生きているうちは君を好きな気持ちは変わらないと言った。それ以上何も言えなかった。


「やっぱり駄目かあ。」
「前にも言ったはずですよ、貴方とは結婚しないと。」


朝食を共にする必要はないため、襖を開けて出て行こうとすると善逸の声がそれを引き留める。


「…名前ちゃんは怖い?俺が帰ってこなくなったら。」


初めて核心を突かれた気がした。襖に掛けた手をそのままに立ち尽くしていると、後方から茶碗と箸を置く音が聞こえた。


「俺、耳がいいからさ。聞こえるんだよね、いつも見送るときの不安そうな声とか血の付いた洗濯物を洗う時の早い心臓の音とか、全部。」
「…なら、どうしていつもいつも結婚しようだなんて言うの…!」
「俺はちゃんと戻ってくるよ。名前ちゃんがこの家で待ってるなら、死ねない。」


いつもはお道化たように喋る善逸が芯の通った声で言うものだから戸惑ってしまう。でも、口だけならば誰でも言える。昔そのように言った隊士は二度とこの家の戸を叩くことはなかった。善逸の実力を名前は知らないけれど、善逸だって無事に帰ってこれる確率は限りなく低いのだ。


「じゃあ名前ちゃん、約束しよう。俺が無事に帰ってたらその時はいい返事してくれるって。」


それだけ言うと善逸は家を出るまで名前に話しかけては来なかった。





あれから幾つか季節が過ぎた。何人もの隊士がこの家を訪ねてきたけれど、そこに目立つ金髪はなかった。どうしても面影を探してしまう。一方的な約束を律儀に守る必要性はないのだが、善逸なら戻ってくると信じていたかった。薄手の着物では肌寒くなってきた夜に、縁側で一人月を眺める。鈴虫の声に耳を傾けながらゆっくりと目を閉じると、秋の夜長をひしひしと感じさせられた。そのまま寝てしまってもいいと縁側に横になろうとした時に、門を叩く音が聞こえた。こんな時間に戸を叩くものは隊士ぐらいしか考えられない。もしかして、と倒れ掛かった体を無理やり起こして玄関へ向かう。


「どちらさまでしょうか…。」


夜は鬼が出るかもしれないから気をつけなさいと言った父の言葉を胸に刻んでいる名前はおずおずと門の外の相手に話しかける。期待と不安が半分半分だ。必ずしも待っている相手がそこにいるとは限らない。数秒間が空いて向こう側から声が返ってきた。


「…我妻善逸、ただいま戻りました。」


何度も結婚してくれと言ったあの声が向こう側にある。ゆっくりと門を開ければ傷ついて立っているのもやっとといった姿の善逸が笑みを浮かべながら、名前の手をぎゅっと握る。


「約束守ったよ。ね、ちゃんと戻ってきたでしょ?」
「…うん。おかえりなさい、善逸さん。」
「名前ちゃん、俺と結婚してください。」


今度は私が約束を守る番である。はい、と肯定の返事を聞き入れると、善逸はゆっくりと目を閉じて規則正しい呼吸を始めた。安心して眠りに落ちたのだろう。このまま静かに夜が明けていくことを、望む。





いまこむと いひしばかりに ながつきの
ありあけのつきを まちいでつるかな

(貴方が「すぐ行く」と言ったから、九月の有明の月が出るまで待ってしまいました。)