ちはやぶる


中高一貫キメツ学園、そこが名前の職場である。新任教師として配属されて早2年。右も左も分からなかった1年目は飛ぶように過ぎ、配属と同時に受け持ったクラスは持ち上がって2年次に。学生と歳も近いことから嘗められないか心配だったけれど、何とかやっていけている。それもこれも、熱心にサポートしてくれる指導職員の煉獄先生のおかげだ。


「苗字先生!今日も頑張っているな!」


お疲れさまという言葉と共に机の端にペットボトルが置かれた。なんて面倒見のいい先生なのだろう。ホチキスを掴む手を止めて丁寧にお礼を言う。口に合えばいいが、と言った煉獄が置いてくれたのは以前名前が好きだと話していたミルクティーだった。じーんと感動していると、同じ2年次担当で隣の席の冨岡から「手を動かせ」と指摘された。同じ教員なのに何故こうも違うのだろう。悪態をつきながら紙を留める手を再開させると、隣に腰掛けた煉獄は名前の前の山積みの束から半分程度自分の机に移した。


「俺も手伝おう!その方が早く終わる!」
「しかし、煉獄先生も他にやらないといけないことがあるのでは?」
「準備は整っているから気にするな!こちらの方が緊急性が高いではないか!」
「そうですねぇ、学生生活で一度ですから…。」


名前は今しがた自分がホチキスで留めた冊子の表紙を見つめた。”修学旅行のしおり”、これがこの冊子のタイトルである。クラス担任である名前は引率として同行することになっていて、煉獄もまた同じであった。準備は教員ごとに役割分担をしていたのだが、名前は教員生活初の修学旅行ということもあり準備に手間取っていた。お陰で生徒に手渡すギリギリの期日になってしまい、何とか無理を言って冨岡に声をかけて今に至る。理由は頼めば絶対に断らなさそうだったからだ。案の定冨岡は断らなかったが、最初にお願いした分を片付けたらすぐにいなくなってしまった。早すぎる。さっきまでそこに座っていただろう。

名前にとって嬉しい誤算だったのは、煉獄と二人きりで喋りながら作業できることだ。教員という仕事をしていれば、朝礼で顔を合わせてから生徒たちが帰るまでゆっくり話をすることはできない。それに加え、煉獄の生徒人気はすさまじい。放課後も授業の質問に生徒たちは押し寄せアイドルのサイン会のような光景を何度も見たことがある。何が言いたいのかというと、彼と過ごせる時間は他の教員に比べ極端に少ないということだ。煉獄のことは入職当時から慕っており、事あるごとに接触の機会を計っていた名前にとっては願ったり叶ったりの状況である。ぱちん、ぱちんとホチキスの音だけが教員室にこだまする中、手を動かしながら煉獄は話しかけてきた。


「秋の京都とは風情がある!紅葉が綺麗だろうな!」
「そうですね、下見に行ったときはまだ青々としてましたね。」


修学旅行の下見も立派な仕事のうちの一つだ。名前と煉獄は夏の初めに二人で京都の各所を回ってきた。名前は仕事とはいえデートのような感覚で向かったのだが、列車の中で京都の歴史的建造物について語る煉獄に"仕事"を実感させられたのを覚えている。あれは見事な惨敗だった。本番こそは自由行動の時間や生徒が寝静まってから、京都の雰囲気にあてられて少しでも関係が発展しないか目論んでいる。


「まさに秋は”ちはやぶる”景色になるだろうな!」
「ちはやぶる…?百人一首ですか?」


名前は数学担当教師であるため、遠い昔に習った百人一首には疎かった。暗記のために何度も読んだことで記憶には残っていても、正確な意味合いまでは分からない。首を捻って考えてみれど答えは見つかるはずもなく。先に隣の煉獄から解説が入った。


「龍田川に紅葉が落ちて、川を紅く染めるという歌だ。さぞ美しいに違いない!」
「煉獄先生みたいな歌ですね。」


燃えるような赤を想像させる彼は川を埋め尽くして染める紅葉にふさわしい。どんな川も染めてしまう、そんな赤。心の中で納得していると、それを煉獄は否定する。


「そうだろうか。俺は苗字先生の歌だと思うが!」
「そうでしょうか、どの辺りが?」
「苗字先生といると俺は染められたように熱くなる。苗字先生がそうしているのだろう。」


にこりと笑った煉獄先生は突然爆弾を落としていく。こんなこと言われたら全国の女子たちは告白と勘違いしてしまう。でも全く他意はなさそうなのが恨めしい。気が付くと手が止まっており、自分の山が全く進んでいないことに気が付いた名前は誤魔化すように手を進めた。


「私にそんな力はありませんよ。」
「いいや、ある!」
「…だとすると、やっぱりちはやぶるは煉獄先生を想定させる歌です。」
「…!そうか、そうか。」


いつもとは違う照れたように笑う煉獄先生は、それだけ言って目の前の紙束に集中してしまった。ああ、修学旅行が待ち遠しい。教員がこんな不純な動機で楽しみにしていいのか分からないけれど。





ちはやぶる かみよもきかず たつたがわ
からくれなゐに みずくくるとは

(神々が国を治めていた不思議なことがよく起こる時代でも聞いたことがないほど、龍田川に舞い落ちた紅葉が括り染めた紅色の景色は美しい)