せをはやみ


また、同じ夢を見る。愛しい誰かと死に別れる夢。手を伸ばしてもその手を掴めなくて、涙を流して彼の頭が握りつぶされる姿をただ見ていることしかできず。彼はいつも言うのだ。生きろ、と。彼のいない世界など、何の色も持たないと言うのに。願わくば共に連れて行って欲しかった。でも腰に刺さる刀がそれを良しとしない。歯を食いしばってその場を後にする。さようなら、私の愛しい人よ。

そこで毎回目が覚める。飛び起きた名前の頬には涙の痕があった。優しい目、透る声、特徴的な髪色、何もかも覚えているはずなのに名前だけはどうしても目が覚めると忘れてしまう。寝起きで回らない頭で考えても答えには辿り着くことはできなさそうだ。目を擦りながらベッドを降りて、朝の日差しの差し込むカーテン開くと見事な快晴。体を伸ばして太陽光をいっぱいに取り込む。朝は好きだ、夜の辛い夢を忘れさせてくれる。まだ半分寝ぼけている状態で制服に腕を通して朝の支度を進めていった。髪をセットし、食パンを齧り、当たり前のことをただ淡々とこなしていく。この世界は平和だ。次の日が当たり前のようにやってくる。夢の世界はいつだって死と隣り合わせなのに。この世界なら、彼と生きていけたんだろうな。…なんて、考えていたってしょうがないのだけれど。食パンのひとかけらを口に押し込んで牛乳で流し込んだ。支度の時間なんてあっという間に過ぎていき、家を出る時間がやってくる。玄関に揃えて置いてあるローファーのかかとを踏みながら、ドアを勢いよく開けて外に飛び出した。

家から学校までは徒歩で15分程度という好条件な立地にある。おかげで朝は早起きしなくてもいい。ただ、近いからと言って油断していると遅刻ギリギリになってしまうため、ちょっとだけ早く家を出る。遅刻なんてしようものなら校門に立つ冨岡先生の竹刀のフルスイングが飛んでくる。一つ上の金髪の先輩が犠牲になっているところを見て以来、竹刀がお飾りでないことを知ってしまった。きっとあの様子では女生徒にも容赦なく振るうだろうと名前は身震いをしたのをよく覚えている。

桜の散った道を歩く。時々吹く春風に乗って花弁が舞い上がった。顔にかからないように片手を目に翳しながら避けて歩いていくと、校門の前には見慣れた青いジャージに竹刀を携えた冨岡先生の姿が見える。でも、一つだけいつもと違うところがあった。冨岡先生の隣には男子生徒の姿。桜の色よりは濃い、オレンジが混ざったような…宇髄先生の美術の授業では宍色って言ってたっけ。特徴的な髪の色、どこかで…。二人の隣を通り過ぎようとした時に見えた男子の顔の傷に釘付けになって足を止めた。頭に過るのは今朝もみた夢の彼。探し求めていた人。ずっと、会いたかった人。


「あの…!」


思わず彼の制服の袖を掴んでしまった名前に気づいた彼はゆっくりと振り返る。


「…やっと、会えたな。」


そう言って眉を下げて笑う姿は変わらない。知ってる、この人の名前を、忘れるはずがないんだ。胸の中に閊えていた何かが壊れた音がした。気が付いたら彼の胸の中に飛び込んでいた。


「錆兎…!会いたかった…!」
「俺もだ。気が付くのが遅いんだよ、名前は。」


勢いよく飛び込んだのに錆兎は軽々と名前を受け止めた。優しい手のひらが背中を撫でる。制服越しに聴こえる鼓動が、生きていることを感じさせてくれる。ああ、この世界に、この人は生きている。今朝と同じ位置に涙が伝った。それに気づいた錆兎は体を離して人差し指で涙の粒を掬う。


「何度も廊下ですれ違っているというのにお前全く気が付かなかったな。」
「え、ごめん…。声をかけてくれればいいのに…、ずっと探してたんだよ。」
「…男から声をかけるのはちょっと、」
「男なら声をかけてよ、私が他の人の彼女になってもいいの?」
「それは駄目だ。」


まあ、貴方以上の男なんていないのだけれど。少しだけ意地悪を言ってみる。


「この世界ではモテるんだよ、私。」
「…物好きな奴もいるものだな。」


意地悪を意地悪で返そうとしてくる年相応の彼はすっかり世界に馴染んでいる。なんてことない軽いやりとりも彼だから、すべてが特別に思える。


「じゃあ錆兎はとんでもない物好きだね。…この世界では一緒に生きてくれるんでしょ?」
「ああ、もう二度とお前を置いては逝かない。」


見つめ合って唇が重なろうとした瞬間、がばりと引きはがされる。二人の間には青いジャージが入り込んでいた。途端に現実に引き戻された二人はそこが校門であることを漸く思い出す。周りを見ると、学生たちが名前達を見ながらそそくさと門を通り過ぎていく。ほぼ全校生徒にキス未遂を見られることになるとは。顔が桜よりも赤く染まった。


「嬉しいのは分かるが校門でやるな。…錆兎、名前、よかったな。」
「ああ。」
「先生、ずっと知ってたの?」
「あれは俺が着任してすぐのこと、」
「またその話は後で聞く、名前行くぞ、予鈴が鳴る!」


冨岡先生を置き去りにして走り出した錆兎の後を追う。振り返ってみた冨岡先生は少しだけ、笑っていた気がした。気を取られていると錆兎にしっかりと手を掴まれて引っ張られる。もう二度と離さないように絡めとられた手は恋人つなぎ。握り返せばそれ以上の力で強くつながった。


「…これで悪い虫は着かないな。」
「どういうこと?」
「全校生徒の前であれだけ見せつけたら男も寄ってこないだろ。」
「…馬鹿!」


駆け出した私たちの未来は、明るい。





せをはやみ いはにせかるる たきがはの
われてもすゑに あはむとぞおもふ

(川の流れは早いので、岩にせき止められた急流が時には二つに分かれても、またひとつになるように、後にはきっと結ばれるもの思っています。)