透明な小箱 | ナノ




Giyu Tomioka


「お世話になりました。」


藤の家で休養し、すっかり体調が回復した私は家主に心ばかりのお礼を言うと家を後にする。3日という長いようで短い時間ではあったが、久々に鬼狩りを忘れてゆっくりできたように思う。天に向かって大きく欠伸をすると、同じように大きく口を開けた鎹鴉が鳴く。指し示す方角は3日前に冨岡が去っていった方向であった。このまま進んでいけばどこかで出会える気がして、いつもより歩く速度が速まっていった。一面に田畑が広がる道を行き、小高い丘の頂点に立つと眼下に広がるのは街だった。街に降りるのは初めてではないし、賑わう商店を見て回るのは好きだ。しかし、腰に差している刀を好奇な目で見る人々は、私を異質なものと捉えるから怖いのだ。鬼なんかよりよっぽど。

鎹鴉はなおも鳴き続けるので目的地がこの街でないのは明らかだ。つまり、街を抜けた先に行かねばならない。迂回して良いかと鴉を見れば”マッスグ、マッスグ”と許してくれそうになかった。仕方なしに岡を下って街へと進む。近づくにつれて人の話し声や食べ物の焼ける香りといった生活感が漂ってきた。街の入り口ともいえる大きな門の前でいったん立ち止まる。門の向こうに見える人々は皆、幸せそうに見えた。私の仕事はこの人々の幸せを護ることなのだと、強く実感する。綺麗な着物を着飾って男の腕に絡ませるようにして歩く自分と年の変わらなそうな女の子が一際目を引いた。その姿を羨ましいと思ってしまうのは仕方のないことだろう。自分もあんな風に綺麗な着物を着て冨岡さんと歩けたら…なんて。いつかこの世界が平和になったらそんな日がくるのかもしれない。その前に気持ちを伝えるところから、だけども。足を踏み出して門をくぐると大きな通りにはたくさんの出店が立ち並んでいた。

活気づいた街の大通りでは祭りが行われていた。人通りも多く、押しつぶされないようにして歩く。混んでいた方が逆に目立たなくて済むからありがたかった。鈍い明かりを灯す提灯が、狐のような面が、甘い飴につつまれた林檎が、すべてが私の興味を引く。目に映るすべてがキラキラして見えた。目線を右に左に移しながら歩いていると突然襲った衝撃に鼻の頭を押さえて下を向く。自分の足元のすぐ先には逆向きに立ち止まる草履があった。すぐに自分が人にぶつかったと気づいて目線を上にゆるゆると上げる。


「す、すみませ、ん。」
「…前を向いて歩け。」


特徴的な羽織、耳馴染みのある声、青の射貫くような目…、間違えようがない、冨岡さんの姿がそこにあった。なんでこんな街中で、しかも偶然ぶつかるなんて。恋柱に言わせればこれを”運命”と形容することだろう。驚きのあまり口をぽかんと開けていると、通行の邪魔になると言われ向かっていた方向へと真っすぐ腕を引かれた。腕を掴まれた前とは違う、しっかり手を繋いで。なんで、と問う前に彼は前を向いて歩きだしてしまう。速足の彼についていくために少し大股で歩いていく。先程までは流れゆく景色に夢中になっていたというのに、今は目の前の青みがかった黒髪に夢中だ。一歩一歩踏み出すたびに跳ねる髪はまるで犬の尻尾のよう。ああ、でもしのぶは富岡さんは犬が嫌いだと言っていた。犬の尻尾はこんなに可愛いというのに。

いくらか歩いた後、冨岡が急に立ち止まるものだから背中にまた鼻をぶつけてしまう。怒られると思い目を瞑って構えているが、一向に声は降りかかってこない。恐る恐る目を開けると冨岡は出店の暖簾を潜り、商品を眺めている。そんな冨岡の物珍しさに、背伸びをして肩口に覗くと、色とりどりの飴細工が並んでいる。提灯の橙の光に照らされて表面が反射する飴は宝石のように輝いて魅了する。失礼ながら冨岡の持っている姿が想像できない。…でも、女の子への、好いている相手への、恋人への手土産なら。ぎゅっと手に力が入ると、冨岡はそれに気づいてこちらを向く。


「どれがいいんだ。」
「…?」
「どれがいいのかと聞いている。」


繋がっていない方の手で飴細工を指さした冨岡さんに私はようやく理解した。理解してすぐに首を横に振る。他の女の子に渡すかもしれないものを私が選びたくはなかった。もし私が冨岡さんの恋人の立場なら、冨岡さん本人に選んでほしい。でも少しだけ自分に渡してくれるのかもという期待を抱いているのも確かだ。


「富岡さん本人がお選びになったほうがいいと思います。その方が相手方も喜ばれるかと思います。」
「…そうか。」


それだけ言うと冨岡は再び飴細工に向き合った。誰かのために真剣に手土産を選ぶ彼の姿を見ていたくなくて、背伸びをやめる。冨岡さん、否定しなかった。大切な誰かに渡すからやっぱり自分で選ぶことに決めたのだろう。一瞬でも私のために、なんて想像してしまった自分が恥ずかしくて浅ましくて泣いてしまいそうだ。この手も本当ならば離したほうがいいのだろうが、今日だけは許してほしい。今日が終わったらすっぱり繋いだ手のぬくもりは忘れるから。考えていると買い物を終えた冨岡が行くぞと声をかけてきて無言で歩く時間が始まる。顔をあげていると涙がこぼれそうだったからおのずと下を向いて歩く。次第に人ごみが疎らになっていって大通りを抜けたことが分かった。それでも冨岡さんは歩みを止めない。気が付くと街を抜けていて、行きにも見たような小高い丘をひたすらに登る。もうすぐ日が沈むというのにどこへ向うのか。黄色い太陽が燃えるような橙に変わるころ、ようやく冨岡は足を止める。


「俺に女の好みは分からない。…お前の好みはなおのことわからない。だから気にいらなければ捨ててくれればいい。」


振り返った冨岡の手に握られていたのは跳ねる兎の飴細工だった。繋いでいた手を離して私の手をそっと開くと、それを握らせる。


「なんで私に、」
「お前が喜ぶと思ったからだ。胡蝶に苗字がこういうものが好きだと聞いた。」
「嬉しいですし、好きですけど…。」


そうではなく。私が聞きたいのは何のためにこれを送ってくれたのか、だ。贈り物をされるような間柄には残念ながらなっていなかったように私は思っていた。こんなことをされたら勘違いしてしまう。冨岡さんの性格上きっと深い意味はないのだ。気が向いただけ、そう、気が向いただけなのだ。でもその気まぐれがどうしようもなく嬉しいのは冨岡さんの目にはっきり私が映りこんでいるからだった。

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