透明な小箱 | ナノ




Giyu Tomioka


好きだ、と口にすれば、彼はどんな顔をするだろうか。驚くだろうか、笑うだろうか。私はまだ、彼の固く結ばれた口、どこを見つめているのかわからない目しか知らない。





藤の花の穏やかな香りにほだされ口元がふっと緩みそうになるも、隣の男は表情一つ変えず遠くを見つめていた。青みがかった黒髪が風に吹かれて揺れている。時々伏せる瞼から覗く目がひどく綺麗で、吸い込まれそうだった。手を伸ばせば触れれるような距離にいるのに、二人の目線は交わらない。次第に名前も男に背を向けて天を見上げた。それでも今日、合同で任務に行く男とまったく口を利かないわけにはいかない。恐る恐る、重い口を開く。


「初めまして、今日はよろしくお願いします。私は苗字名前と言います。貴方は?」


精いっぱい声を絞り出したというのに背中から声は返ってこなかった。時々強く吹く風が藤の花を揺らす音だけが静かに耳元を通り過ぎる。そうして1分、2分。


「…冨岡義勇だ。」


凛とした声が風音に乗って流れてきた。挨拶も何もなく、ただ問いにのみ簡潔に返す冨岡を不思議と苦手とは思わなかった。きっとこの人はあまり人との会話を好まない人なんだろうと解釈し、それ以上は何も言わなかった。案の定冨岡も何も言ってこない。次に大きな風が吹いた音を合図に名前から遠ざかっていく足音が一つ。慌てて振り返ると冨岡の背中が先ほどよりもずっと先にあった。出発くらい声をかけてくれれば良いのにと思いもしたが、口には出さない。慌てて追いかけ右後方に一定の距離を保ちながらついていく。顔をちらりと覗けば、視線に気づいたのか目だけがほんの一瞬名前の方を向く。目が合った。途端、名前の心臓が大きくドクンと波を打つ。初めての感覚に名前は羽織の心臓付近をぎゅっと掴む。これから任務だというのにあの深い青の目が頭から離れない。任務に集中しなくてはいけないと、両手で頬を勢いよく叩く。その音に冨岡の肩がびくっと揺れた。しびれる痛みに声にならない声をあげると、次第に鼓動は収まっていく。気合を入れ直した名前はもうそれ以上冨岡の横顔を盗み見ることはできなかった。





それから2年。私と冨岡の関係は相も変わらず”知り合い”止まりだ。しかし、挨拶を無視されることはなくなったし、一言二言なら会話を出来るようになっていた。初めて成り立った会話、”今日はどちらに?””北の山に”を同じ女性隊員であることで仲良くなったしのぶには何十回も興奮しながら伝えた。今日も今日とて蝶屋敷を訪れ、怪我の治療と休息を兼ねて近況報告に訪れたところだった。器用に包帯を巻きながらしのぶの薄い唇が開く。


「で、今日は何の報告を?」
「聞いてくれる?」
「聞かないと言っても貴方は話すでしょう?」


付き合いが長いだけあって私の態度を見ればすぐにわかってしまうしのぶに心が読まれているのではないかと心配になる。でも、彼女は特別で、何も言わなくても先回りしてくれることが嬉しい。


「…あのね、来週久々に合同任務が決まったの!」
「あら、それはそれは。」


しのぶはあくまで聞くだけでそれほど口をはさんでこないが、態度で表すことが多い。今だって返事と共に包帯がきゅっとしまった。痛い。私が冨岡の話をするたびにこうだから、以前、冨岡が好きなのかと確認を取ったことがあったが、その時だけは真顔ですぐ否定した。しのぶ曰く、友人を別の人に取られるようで面白くないのだと。その相手が冨岡だからなおさら、と。大人びて見える彼女の意外な一面に思わず抱きしめたら、子供扱いしないでくださいと怒られたけれど、頬が薄く赤く染まっていたし抵抗しなかったから良しとする。


「あまり無茶をしないでくださいね。冨岡さんは人のペースに合わせませんから名前さんが心配です。」
「大丈夫!いつまでもあの人の背中ばかり見ているわけじゃないの。」
「貴方が努力家なのは私が一番よく知っています。だからこそ心配なんですよ。」


今日だって隊員をかばって怪我を、と包帯の上からそっと患部を摩られる。私が冨岡についていこうとして無茶すると心配してくれる気持ちはとても嬉しいので安心させるようにありがとうとつぶやいた。任務は任務、公私混同はしない。任務の際は冨岡と背中を合わせて戦えるよう努めるだけだ。


「無事に還ってくるからさ、また私の話聞いてね。」
「当たり前です。冨岡さんと目が合っただけで心臓麻痺しないでくださいね。」


可愛い顔して怖いことを言うしのぶはそれだけ言うと襖を開き、行ってしまった。私も任務までに準備を整えなければならないため屋敷を後にする。任務が終わって長い夜が明けたら少しぐらい、貴方の心に触れてみてもいいよね、冨岡さん。

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