Rei Furuya



花の金曜日。略して花金。そんなものは私の職場には存在しなかった。思えばこの職場、警備局警備企画課配属になってから、金曜日を定時で帰れたことなどあっただろうか。手元の資料や文書は減ることを知らず、私の右手はせわしなく動き続けている。お酒飲みたい、おいしいおつまみを食べてテレビを見たい。余計なことを考えていたら、机の端をトントンと叩かれた。


「考え事をしてないで少しでも早く帰れるように努めたらどうだ。」


口うるさい上司は相変わらず嫌味を吐いてくる。そういえば風見が今日登庁するとか言っていたような。朝は資料室に篭っていたから、顔を合わせるのは今日初めてだ。


「手はちゃんと動いてます。そうおっしゃるのでしたら、もう少し仕事の配分を考えていただきたいですね。」
「それぐらいできなくてどうする。」
「でも明らかに他の方と仕事量が違います。大事な部下が倒れても問題ないと?」
「倒れるギリギリの量にしてある、大丈夫だ。」


それだけ言うと降谷は自分のデスクへと戻っていった。いったい何が大丈夫なのか。悔しいが今まで倒れたことはない。ちゃんと日付をまたぐ前には家に帰れている。しかし、しかしだ。この仕事に就いてから、友人や同僚と仕事終わりに食事や飲みに行ったことは指を折って数えることができる程度である。そろそろ結婚を考え始める年になって、外で食事に行けないのは出会いのチャンスを減らしているようなものだ。実は今日、友人から合コンに誘われていたが、時間に間に合わないことは普段の仕事量から察していたため断った。もう少ししたら友人も結婚するようになり、合コンもセッティングしてもらえなくなるというのに。考えても仕方がない、上司の嫌味もあったことだ。仕事に専念し少しでも早く家に帰れるようにしよう。



「終わったー…。」


結局すべての業務が終わったのは22時を少し過ぎてからだった。フロアの電気はすでに消されており、私のデスクの電気だけが煌々とあたりを照らしている。部屋の空調だけで静まり返った部屋は少し怖いものがある。荷物をまとめ、デスクの電気を消してドアの方へと向かった。ドアを開けると見慣れた金髪にグレーのスーツが目に入る。さすがにお疲れ様ですを言わないわけにはいかないので声をかける。


「遅い。」


この上司はいつも私にだけいつも不機嫌そうに話しかけてくる。まぁ、にこやかにお疲れ様、と言われるのも今更鳥肌が立ちそうだけれど。


「遅くさせているのは降谷さんです。一応私だって女なんですからね。」


そう言うと降谷は鼻で笑った。そしてポケットに手を入れ鍵を取り出し一歩距離を縮めてくる。


「送ってやる。水野も一応、女だしな。」


本当にこの男は一言余計だ。私に対してだけのような気もするが、素直に褒められた記憶がない。以前風見にこのことを愚痴として話したこともあったが、軽くあしらわれた。風見は同期の私から見て、比較的降谷には可愛がってもらっていると思う。私も褒められて伸びるタイプなんだけどな。褒めるとつけあがるとかなんとか。子供じゃないんだから。降谷の一言に考えを巡らせていると、早くしろと催促された。この時点で私が拒否するという選択肢はなかった。相変わらず人を丸め込むのがうまい。ただ…簡単に乗せられるのも、面白くない。少しだけやり返してみようか。


「降谷さんが可哀そうなので乗ってあげますね。」


いつも彼が言うようなセリフを吐けば、さすがに気に障ったのか眉をひそめている。


「…可哀そうな上司とは言うようになったじゃないか。」
「あいにく、上司に鍛えられましたので。」
「なるほど。それは素敵な上司だな。」


そして何かを思いついたような顔をした降谷は、私に笑顔で爆弾を落とした。


「車に乗ったら俺の家で可哀そうな上司の飲みに付き合ってくれ。飲んだら運転は出来ないけど、…金曜日だからいいだろ?」


結局降谷のほうが1枚も2枚も上手なのである。


back