セレクターの旅路(椿さん/あおたさん/くろねこやまとさん)

夢想する。夢に想う。あったかもしれない未来。確証はないのにあったかもしれない未来に手を伸ばす。
いやきっとその未来はあったのだ。自分の選び取った道が。努力が。気づきが。何かが少し足りなかった。
だって、それはあるのだから。あったのだから。だってほら、あんなに輝いている。ただ、自分がこの未来を選んでしまっただけなのだ。

「無様ね」
自分の声が反芻して起き上がる。赤い椿が咲き誇って、ゼラニウムが散り、1畳ほどの大きさの白い足場。そこに椿は座っていた。どうして此処にきたのか、使用人はどこにいったのか分からないけれど、ただ椿はその言葉を吐くしかなかった。だってこんなにもこの空間が無様であったものがある場所だと告げている。
「これは…」
てれび、そうヤマトが言っていた。此れで俗世の人間は情報を入手して、物語を見るのだと。それが目の前にある。久方ぶりに目にしたそれはとても暗くて、凝視しているのが嫌になる。だが、そんな椿の感情とは裏腹にテレビがぶちっと音を立てて電源を灯す。びくりとしながらも、自分は何故かそれを凝視することを望んでいる気がして目を移す。しばらくざざざと暗闇を写したそれは唐突に青空を写した。そこに写されたものは。


「ヤマト、早いわよ」
「椿ちゃん!遅れちゃうよ!」
「いや、椿嬢が遅い」


2人の青年と、椿。そこに居る椿はありえない格好をしていた。現代社会の装いをして、かばんを自分で持って、日傘を差しているとはいえあの暑そうな日差しを自分の足で歩いていた。隣に居る青年のうち1人はヤマトで、1人はあおた、というヤマトを雪の中5時間も待ち続けていた青年で。画面に見はいるうちに画面が変わる。あおたという青年と椿はガラスが眩い、あそこはかふぇ、なのだろう場所で肩を並べていた。

「あの、僕のいうことじゃないけど…」
「気にしない約束よ」
「で、でも…」

あおたの目線には罪悪感からくるであろう涙が浮かんでいた。何故かそれは罪悪感だと判断できた自分にも驚きだが。

「それとも、貴方は私のプライドさえも打ち砕く気なのかしら?」

あおたの唇に人差し指をあてて微笑む画面の中の椿。その笑顔はなんの混じりけもなく純粋で、自分が浮かべられなかった表情。母であり、女であり、ヒトであった。生気に満ち溢れたニンゲンであった。そしてそこから分析する。きっとこの、画面の中の椿は全ての状況を捨てることを選んだのだと、そして、恐らくだがヤマトの力をひいてはその周囲の力を借りて箱庭をぶち壊したのだと。だが、その中で今よりもあおたと親しい関係になれたのだと。自分が読み取れるのはそこまでだった。そこまでで十分だった。
「あ、…あぁ…」
大粒の涙が毀れる。
「う…あ…」
画面の端を掴む。今まで自分が出したことないような力で画面を握り締めれば画面は軋んだ。
「どうすればよかったのよお…」
自分はどうすればよかったのか、この長い道中で答えはあったはずなのだ。あったはずなのに自分はその答えを拾えなかったのだと、思い知る。引き裂かれる?打ち砕かれる?そんな生易しいものではない、じわりじわりとインクが紙に染みるより早く、指を切って血が出るより遅く、胸の中を虚無感が満たしていく。呼吸さえおこがましく、嗚咽が響く。
「それを人は後悔と言うのよ」
「え…?」
顔を上げるとそこには洋装の自分が居た。自分の足で立って、毛糸でできたシンプルで派手ではないのに高級感が溢れる洋装をして、すらりと伸びる足は短い履物で、黒い長い靴下を履いて。自分とは決定的に違い生きている、椿。もう一人の椿は膝をついて、目線を椿と合わせた。
「私は多分貴方に残酷な言葉しかかけられないわ」
もう一人の椿は感情を悟ることを覚えていた。
「でも、私はちゃんと立って生きていくことを選んだの」
もう一人の椿は選択をできるものになっていた。
「…ごめんなさい」
もう一人の椿は自らの非を認めることを覚えていた。
温もりが触れる、細いけど暖かいその腕は冷え切った自分の腕とは比べ物にならないくらいで。その事実にまた涙が毀れる。これは自分の選択の結果の腕なのだ。間違いなく自分の腕なのだと。普段の自分なら相手を詰っていたかもしれない、けなしたかもしれない。でも、そんな気は起きなくて。
「ずるいわ…ずるいわよ…私も」
もう一人の椿はただ頷くだけだった。その非常な優しさにまた心が悲鳴をあげる。でも、それは椿が永遠にあげられなかった悲鳴であった、箱庭で生きていくことを覚悟して絶望しきって未来永劫あの箱庭に魂まで縛り付けられた椿の唯一の悲鳴であった。
「私も、そうなりたかったわよっ」
その叫びと同時に何か鉄のようなものが連続して落ちる音がした。え、と音の方向を見ようとするももう一人の椿が首の動きを許してくれない。いつしか自分はもう一人の椿の胸に抱かれていて。なにも見えない、見えないのに、それを不快と感じない。
「ねえ、私」
なによ、とそのままで答えれば腕の心地が消える。突如の出来事に不意に取られて顔を上げれば。
“その言葉、忘れちゃダメよ”
自分は何の変哲もない自分の部屋に居た。窓を見つめるように、座っていた。まるで今の出来事が嘘であるかのように。白昼夢に囚われていたのかもしれない、だが、その考えは椿の瞳から伝う液体によって否定された。だが、さっきまで自分は華に囲まれていた、てれび、というものを見ていて、抱きしめられて、全部全部感覚として残っているのに。残っているのに。科学的に、空間が、それを否定する。
「…私」
自分が叫んだ言葉が繰り返される。
「私は…」
あの画面を思い返すたびに胸の中にもやっと雲が広がった、でも、同時に告げられた言葉が繰り返される。一人で考えていると門のところにはヤマトの姿が見えた。その姿からこれから着替えて仕事らしいことを読み取れる。そうだ、今日はヤマトが来る日だといそいそと立ち上がり姿見の前に立っておかしなところがないかと確認してしまう。そして、その鏡の中の自分を見て一瞬。
“がんばりなさい”
鏡の中の自分が唇を動かした気がした。自分は気でも触れたのか、なんて自嘲気味に笑いながら、ヤマトがくるまでもう時間がないので思考を切り替える。でも、あぁ、そうだ。
「今日ヤマトにでも聞いてみようかしらね」
微笑んだ椿の赤みがかった頬は林檎のようだ。








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