倒 錯わぁる ど

モノクロ依存
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「色を持ってはいけない」

それが兄の口癖であった。彼は僕に白いものを纏わせたがった。それはきっと彼が僕に望んでいたことの表れである。僕を何色にもさせたがらない兄はきっと僕に無垢でいてほしいのだ。白、それは無垢の象徴。誰かの考えに触れることも、外の世界の常識に触れることも兄の前の僕は求められていない。もちろん、外面に見せるための僕はたくさんいるけれど、兄は僕を操ろうなんて思っていない。兄は操り師になりたいわけではなく、ただ無垢な人形を愛でていたいだけ。がら、と襖の開く音がする。

「舞白兄様、外に出てきますね。」
「あぁ、椿…行っておいで。あまり遅くならないようにするんだよ。」
「えぇ、やまとがいるから平気よ。」

椿はそう言ってうきうきしながら外出しにいく。いつも淑やかに歩く椿がやまとという男と出かける時にのみ足取りが軽くなり、少し早足になる。あの歩き方をしていてはいつか着物を踏んで転んでしまうのではないかと心配になってしまい椿が出て行った襖からちらと様子をうかがう。小さいながらもしゃんとした背中にそんな心配をしなくてもいいかもしれないと自分を宥める。ずっと自分の後をついて回っていた椿が今ではあんなにしっかりと育っているのを見ている兄としては誇らしいような、なんでか寂しいような複雑な気分になるのはなぜだろうか。三兄弟の血を繋いでくれていた父親はもう亡くなっていて、そのタイミングで兄は我慢していたものが突然爆発したように態度を急変させた。いや、もう少し前だったかもしれない。いつからだったか、兄がああいう風になったのは。もう思い出せないくらい昔のことだ。僕がこういう風に様々な人格を使いこなすようになったのも兄が酒に溺れてふらふらと徘徊をはじめるようになった当たりからであるように思う。兄がこれではいけないと、父の仕事や家の者に対する指示を肩代わりするようになってからきっとどこかでストレスが溜まっていたのだろう。そんなところで兄の追随がこの言葉。色を持つなと言う言葉だった。

「無茶を言う兄だ」

色を持つなということは生きるなということと同じである。極端な考え方かもしれないけれど人と関わりを持たず生きるということはただ息を吸っていろと言うことだ。だから、僕は一つであることを諦めた。僕は兄の前では兄のための僕でいたかった。人として生きることができなくても兄のために生きていたかったけれど、きっとどこかに兄に対してどこか憎悪があったのかもしれない。それで生まれたのがきっとあの黒だ。僕が白ならばあいつは黒。何色を上にぶちまけたところで黒は消えない。黒の我の強さと言うものは測り知れないのだ。そんな強い我を持ちたいと思っているのかもしれない。どこかで、多分。確認したくはないしするつもりもないけれど。だからこそ彼は僕と話すことができるのだろう。またも襖の音が僕の思考をストップさせる。

「舞白」
「兄さん、」
「仕事もしないでぼんやりとしているなぞ、一人の時のお前らしくないな。どこか具合でも悪いか。」
「大丈夫ですよ、少し考え事をしていただけです。」

兄の立ち姿はたまに父とかぶってしまう。兄はそう言われるのを嫌うだろうから口に出したりしないけれども。兄は僕の返事を聞くと片手に持っている一升瓶をぐい、と煽るとどか、と腰を据えて座り込んだ。しばらく出ていくつもりはないらしい。それは素直に嬉しく思う。胡坐をかいて間抜けなくらいの大あくびをすると、一升瓶を畳にたたきつける。

「のう舞白、椿はどこに行った?」
「あぁ、やまとさんにまた無茶を言ったようで。」
「ふん、またあの男か…まぁいいだろう。邪魔になれば追い出すまでだ。」

兄の椿に対する溺愛っぷりは普通じゃない。溺愛とはまた違う気もするがそれ以上の言葉を僕は二人の間に見出すことができないからそれを使うしかない。兄は父を嫌う癖に父が溺愛していた弟の椿を同じように溺愛している。父の後を継ぐようなことは一つもしたがらないくせにその一点だけ、兄の行動原理はおかしいのだ。僕が人形であるなら椿は名の通り華だ。彼は男でありながら男の庇護欲というものを煽る存在として育てられた。椿が父にどういうことをされていたかわからないが、きっとあの時子供だった僕が把握していいことじゃなかっただろうし、そんな僕よりも子供だった椿がそんなことをされていいわけがなかった。それは僕も兄も、家の者も見て見ぬフリをしてしまったのだ、きっと父の権力や威厳があったからなのだが。だから父亡き今、僕は椿をそういう家の中での飾られた華にしたくはない。華であっても、咲く場所は選ばせてやりたいと思う。それは弟に対する憐憫なのかもしれないが、きっとそうではないかもしれない。もしかしたら兄の思い通りになるのは僕だけでいいという変なプライドなのかもしれない。そんな格好悪いことは言えないから建て替えて弟のためだと言い聞かせているのかもしれない。僕が何を考えているかなんて真っ白な僕にはわからないけれども。僕は僕の白の中から僕という白を探し出すことはできない。僕の中で唯一孤独なのはあいつだけだ。ふわりと酒の匂いが鼻先に突く。兄が珍しく酒瓶を僕に向けていた。

「僕、兄さんみたいにお酒強くないですからやめてくださいよ。」
「元よりお前にやる気はないわ、舞白。」
「そうですか…ならなぜこんなことを?」
「酒に溺れるとは、何とも的確な表現だな。」

僕に差し出していた酒瓶はすぐに兄のもとへと戻され、兄の口に運ばれる。ゆらりと水面が動いて瓶の底から酒が吸い込まれるように動いているのを眺めていた。兄は酒に強い癖に今日は何故だか頬をいつもより赤くしているのを僕は確認する。最初に僕の体調を心配したけれども、もしかしたら本当に調子が悪いのは兄なのかもしれない。半分よりも減っている瓶を一旦手から離すと兄は酒臭い体をこちらへ倒してきた。僕はそれを支え切れずに畳と兄に挟まれる形になる。

「兄さん、兄さんこそ体調悪いんじゃ…」
「ええい煩い…俺の話をきちと聞け舞白…」
「あぁ、さっきのですか…続いてたんですね」
「酒というのは麻薬と同じようなものだ、じゃあ麻薬とはなんのために存在してなんのために摂取する?それは快楽のためだ、人間の三大欲求は睡眠欲、食欲、そして性欲だったな。」

兄の匂いが肩から染み込んでくる気がする。どくどくと兄の体が熱くなるのを感じることができた。酔っているわけではないだろうが、体調が悪いのはたぶん正解だろう。兄の話に付き合ったのちに寝かしつけて運んでもらおう、と思った。

「つまり…人間はそれを追い求めてそれの中に身を置かねばならん。しかしそればかり追い求めれば人はダメになる。それは水中にいるのと同義に見えはせんか?」
「ふむ、一理ありますね、」
「水と言うのもまた難しいな、ないと生きてはいけぬがありすぎれば息を奪われる。まぁ、とどのつまり欲なんて代替え品があればそれでよいのだ。俺は欲深い男だからな、三大欲のみなどでは足らぬ…酒も欲しいし権力も欲しい、そんな俺は手にあるものを取りこぼすということが何よりも嫌いだ。だからな舞白…」

耳元で吐かれた言葉を最後に兄はくたりと瞼を閉じて寝入ってしまった。僕はしばらく兄を避けるつもりにはなれず、ただ小さく身を震わせる。耳の奥からじゃら、と鉄の音が聞こえた気がした。それは人形にするには不釣り合いな鉄製の鎖のような音。兄の寝息を聞きながら家の者を呼ぶ元気もなく、そのまま僕も目を閉じる。意識を手放しかける直前、ぱたぱたと廊下を足早に走る音が突如びたん、という音を伴ったのだけ耳に入れることができたものの、それは右から左へと流れていった。

「だからな、舞白…俺はお前と椿を自由にしてやるつもりはないぞ。」

兄の言葉は脳内をまるで麻薬のように溶かしていく。僕は箱庭の中で死ぬ覚悟はできていた。兄に変化を与えるのが僕でないことを知りながらも、どこかで兄が昔の兄に戻るまでは僕は兄の隣に居ようと心の中で誓ったのだった。

 

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