EP0 序章
目を覚ます。今日はあの事件から数年のある日。こけた頬、荒れた屋敷、いつも通り、いつも通りの時間に目を覚まして気付く。 「っ……なに、これ……」 時計が止まっているだけなら、きっと故障だ、なんて片付けたかもしれない。だけど、異様にして異常。可笑しい。世界が灰色に染まっている、比喩表現でもなんでもなく、灰色。ああ、ついに舞白の頭も可笑しくなったのかもしれない、なんて頭を抑えながら、立ち上がれば。 「おはよう、でいいかしら。望月舞白さん」 目の前には、本を携えて。 「は……?」 宙に浮く女性。長い水色の髪を後ろに一纏めにして、その女性は悠然と微笑を浮かべながら紅茶を飲んでいた。そして、呟くのだ、「彼女の入れたものじゃないと、やっぱり不味いわ」なんて。起こり続ける不可解な現象にくらりと眩暈がする。いや、倒れられたならよかったかもしれない。 「ねえ、舞白さん。あの日の真実知りたくないかしら?」 「なにを……」 「貴方はあの日、取り残されたわ。でも、取り残されたのは貴方だけではない、真実も取り残されたの」 本が宙に放り投げられ消える、その代わり3つの欠片がその女性の手の中に宿った。綺麗な欠片、だけど、そこに写るのは。 「悪趣味にも、程がありますッ……」 目も瞑りたくなる、大切な人間たちの姿。その姿をやっとやっと忘れられたと思っていたのに、あの楽しかった日々がかさぶたとなって心からずるりと音を立てて剥ける。やっと、兄のことも弟たちのこともそれに付随することも忘れていられたのに、その姿を、声を匂いを、体温を。 「ええ、私もそう思うわ。でも、私は契約主と約束をしたから、選択を貴方に迫らなければいけない」 「契約主……?」 「……ええ、この事件の、犯人」 その言葉に舞白はバッと顔を上げた。それはどんな鑑識、どんな方法、どんな技術でもたどり着けなかったこの事件最大のブラックボックス。最初の5年は舞白はその相手をただ、どんな方法を使ってでも八つ裂きにする方法のみを考えて生きてきた。だけど、もう3年も経てば、事件は風化し、真相にたどり着くことは不可能に近くなってきた。今や、世間の認識は「そんな事件があったね」程度だろう。 「教えて欲しそうね、でも、教えないわ。教えてはいけないの」 宙に浮いた女性が優しく舞白の頬を掴む。その目は至って正気で、例えるならばサラリーマンが契約の履行の証明書を交付しにくるような、コレはビジネス、といわんばかりの目。 「なんの、選択を迫りに来たのですか」 「事件の、真相を知りたいか、知りたくないか」 舞白の手が女性の手を掴む。舞白的にはとても強く強く握っているつもりでいるが、女性は人を小ばかにしたような笑みを崩さないで微笑み続ける。まるでそうしているのが、自分の役目だといわんばかりに、そうしているのが自分の仕事だといわんばかりに。 「知りたいに、決まっているでしょう……?!」 「言うと思ったわ、では、始めましょう」 始める、なにをだ、そう問いかけようとしたところで先の悪趣味な欠片が舞白を取り巻く。 「貴方は、3本、犯人が記した物語を読み解くの。その中には真実が描かれているわ。登場人物は13人、そう、あの日消えた人間たちよ」 世界が変わる、床がチェス盤のようなタイル張りに変化し、壁には三枚のステンドグラス。白い壁に囲われて、そして、ステンドグラスに反射していることによって気付く。自分の姿があの日、置いて枯れた姿になっていることを。 「嗚呼、先に言っておくわね。これは別に謎を解いても、何の報酬もない物語。貴方は真実を得るだけ、それだけの物語」 「構いません……だけど、何故、こんなことを……?こんなことをすれば、犯人は僕が手を下さなくても、僕が警察に全てを語るだけで終わるというのに」 「……そうね、これは話してもいいでしょう」 そういうと女性は右手を宙に上げ、光の粒子を集め始めた。その掌に、光の粒子が本となって収まる。 「この物語は、幾度となく強姦され続けた」 声を張り上げて、まるで役者か何かのように悠然と読み上げる。 「だけど、どの肉棒もこの物語に突き刺さることはなく」 恥ずかしげもなく、それが自分の義理立てだといわんばかりに。 「この物語は再三に辱められながら、その純潔を守り続けてきた」 女性が目を開く。薄い銀の瞳、その瞳が舞白を貫く。 「犯人は僕/ボク/俺/私だ」 声が四重に重なる、一人称の宣言が彩られる。その声はまさしくあの日失った者たちの声。 「我は犯人であることを告白しよう、だから、気付いてほしい」 13の声が我に収束する、ついていけない非日常にくらくらするのが半分。もう、半分は真実にたどり着き犯人を殺すという強い明確な意思。 「誰でもいい、だれか、我の心に」 女性は瞳を閉じて、本を閉じた。悲しげに、悔しげに、苦悶の表情を浮かべて。 「そう、この物語を全て読めば犯人は分かるわ、だから、貴方が得たいのはきっとこの事件の真実」 言葉を区切って、その本を手放せば空中に分解される。 「だけれど、この物語を最後まで読んで貴方に得て欲しいのは、犯人の心」 「この物語の中枢にいながら、その難を逃れてしまった貴方に」 「気付いてほしい、それだけなの」 女性は自分の腕を強く握りながら、感情の篭った声で懇願した。気付いて、と。 「……僕の大事な人たちを奪った人間に、そこまでの義理立てをする意味が分かりません……」 そういうと女性は悲しげに俯いて、唇を噛みながら、また仕事だと強調するように声を硬くした。 「では、ゲームを開始しましょう」 「最初に、貴方に手引きをしておきます。といっても、1つしかない前提条件です」 「前提条件……?」 首を傾げる。物語を呼んで、考えるだけなのに、そんなことする必要があるのだろうか。 「これは犯人が真実をつづった物語、これは相違はありません。だけれど、それなら3本用意する必要はない、では、何故3本用意されたのか」 「この物語の中で事件は3度繰り返されます、その中で貴方は真実を得るしかない」 「だけれど、唯一」 女性が宣言するに当たって、あの日消えてしまった13人のそのままの姿かたちをした何かが現れた。人形とでも言えばいいのだろうか、そして、顔を仮面に隠されローブを着たた14人目が現れる。そうして。 「犯人は嘘をついているよ、真実しか描いてないけれど、物語に矛盾がないように犯人だけは調整されているの」 新たな女性が現れた、藤色のウェーブがかった髪の毛の女性。その女性はローブの人形の肩を撫でて、そっと水色の女性の隣に立った。そうして、水色の女性にウィンクをすれば。水色の女性も、相違ないという風に頷いた。 「さあ、望月舞白お行きなさい。そして、選びなさい、貴方の真実を」 その女性の言葉とともに、何かが始まった。
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