小説 | ナノ
追憶

毎年この日に決まって訪れるこの静かな場所はいつだって彼を拒む。

「…そりゃあ、資格ないしナァ」

鬱屈した心情のまま引きずるように体を動かせばざりざりと砂利に足をとられそうになり、まるで行くなと言われているようだ。
そう広くはない土地なのに目指す場所はとても遠くに感じる。
青々としていた空は今は身を潜め、空は赤く染まっているのに彼の髪をさらう風はひんやりとしていた。
一歩進む度に重く重くなっていく空気に押し潰されそうになる。
やっとの思いで辿り着けばそこには綺麗に磨かれた墓石。

今日は旦那の命日だ。

「また今年も来ちゃったヨ…」

墓石の前に座り込み、刻まれた名前をぼそりと呟く。
普段旦那と呼ぶ彼の名前を口にするのはとても久しい。
こんな響きだっただろうか。思い出すように何度も何度も呟く。
幾度と無く呼びかけた名前。
嬉しそうに振り返る姿を思い描いては消していく。

一年の中で唯一トキが後悔する日。
ここに自分がいる資格はないのだから早く去らなければならない。
そう思うのに足は動かず、ただじっと息を殺すことしか出来なかった。
午前中には家族が来たらしく墓の周りは掃除されており、淡い色をした花と短くなった線香が添えられていた。
彼の家族と顔を合わせられる訳もなく、逃げるように誰もいないであろうこの時間を選んだのだ。
血のように染まった空の下。
彼が訪れる日は決まってこんな空だった。
ぼうっと見上げた空はあの日の彼の部屋のようで、自分の部屋のようで憎たらしい。
あの部屋を知る者ならばこんな時間帯に来るはずが無い。確信があった。

矛盾していると思う。
旦那は生きている。確かにここにいる。
そう思うのに律儀に墓参りには来る自分は本当にどうしようもない。
すぐそばに旦那はいるのに、自分はまだこちらの世界にいるという現実は彼を苦しめた。
自業自得だ。自分は悲しんではいけない。

溢れ出しそうになるのを俯き耐える。気持ちが悪い。
肌身離さず持っている真っ赤なスマホをぎゅっと握り締めた。
自分の影で暗く見えるロック画面は楽しかった時の二人の写真。
スマホを覗けば必ずそこに旦那はいる。
愚かな自分の神聖な逃げ場所だった。
怖くなって手離したくせに、間違ったのに、それでも縋っている自分は滑稽だ。
からからと揺れる元は赤かったはずの黒ずんだたくさんのストラップ。
旦那を手にかけた時に浴びた血が渇き染み付いたものだ。
それは旦那が生きた証で確かに自分の手で終わらせたという印。
トキという赤が旦那で染まったというかけがえのない事実だった。

出会わなければ好きにならなければ、自分がいなければ今も太陽のような笑顔で生きていられたのに。
優しい彼はこんな自分に手を差し伸べてしまった。
引き寄せられるままに手を取れば、手繰り寄せられ抱き締められる。
そうして、ゆっくりとあたたかくぬくもりを教えてくれた。
感謝してもし切れないくらいの自分には過ぎたもの。
今もまだ身体に刻み付いた欠片を必死に掻き集め抱え込んでいる。

「ゴメン、ナサイ…」

堪え切れず流れ出た涙に顔を上げ、手にしていた花をそっと添える。
明日からはまた変わらない確かな日常へと戻るのだ。
線香もあげられない自分が唯一この場に残したかったもの。
薄紫の小さな花。シオン。

どうか許さないで下さい。
終わっているはずの俺がまだ生きているということを。
俺のためにあなたの人生を奪ってしまったことを。
それでもまだ貴方を愛しているということを。

prev next


「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -