小説 | ナノ
夢見る彼の小さな世界

いつまでも変わらない日常を望んでいる。
踏み込まれることがないように、記憶が変わらないように平坦な日常を歩みたいのだ。
適度な距離を保って人と接しているのは誰の特別にもなりたくないから。
誰に影響されることはなく、また誰かに与えないように人との繋がりは出来る限り絶った。
俺はあの時旦那と共に死んだのだから。
握り込んだ真っ赤なスマホをぎゅっと握り締めた。
自分には今などいらないのだ。
電話が嫌いだった。彼とはもう連絡がとれないのに更新されてしまう履歴がとても嫌だった。
初期設定のままのコール音が鳴る度に怯えている。
唯一の彼を感じられるものから彼が消えていってしまう。
消さないで、と願っていた電話の履歴は数ヶ月も前にとっくに塗り替えられていた。
逃げるようにメールボックスを見ると酷く安心した。
フォルダ分けした彼からのメールは誰にも侵食されることはない。
確かにここにあるのだと思えるから。



いつからか始めたブログには彼との日常が綴られていてる。
プロフィールには必要最低限の情報が書き込まれているだけの、初期のテンプレートをそのまま使用した味気ないブログ。
そんなやる気のない見た目とは裏腹にそのブログの記事は毎日更新されている。
内容は酷くありきたりなもので、恋人と会えて嬉しかったとか、恋人との記念日を祝えた嬉しいとかいった内容が大部分を占めている。
そんな甘い内容が続いたかと思えば、突然喧嘩をしてしまった、別れるべきか、自分は必要ないのかなどと女々しく鬱々とした文章が突如出てきたりする。
甘ったるささえ感じるそれらは非常に簡素に、そしてどこか余所余所しさを感じるほど淡々と綴られている。

ベッドへと身を沈め、トキは日課となっているブログの更新のため指を走らせる。
買った当初は画面に指を滑らせる感覚がどうも好きになれなくてイライラしていたスマホにもすっかり慣れ、さらさらと文字を紡ぐ。
自然とこぼれる笑みを隠すこともせず、彼の目はとても幸せそうに画面を見つめている。
今日は少し背伸びしてお洒落なレストランへと出かけたことをいつも通りに書いていく。
大学生同士のデートにしてはちょっと頑張り過ぎか?と思ってしまうほど行き慣れない大人びた店だったが、
愛しい恋人が自分のためにと探してくれたところなのだから素直に喜ぶことにした。

『2月3日 題名:いつもと違うデート

今日はいつもと違う大人な雰囲気のレストランに行ってきました。
普段行くようなレストランとは全然違ったので、少し緊張してしまいました。
あんな高いところで食事なんかなかなかしませんから。
どうにも口数が減ってしまって心配させたかなと思ったんですが、恋人はとても楽しそうだったので一安心しました。
君とここに来たかったんだなんて恥ずかしい台詞をさらっと言っちゃうんですよ。
恋人には本当に敵いません。』

「その後・・・何したっけなァ」

ベッドに横になりながら書いていたせいなのか、ぼーっとしてしまい続きが上手く思い出せないのだ。今日のことなのに。
んーと小さく唸りながらスマホを軽く振っているとジャラジャラとストラップが音を立てる。
トキの髪の色が好きだと言った恋人が選んでくれたそれらは赤色で統一されていた。

「・・・あー、汚れちゃってるヨ」

綺麗にしなくちゃなーと思いながら少し黒ずんでしまっている濁った赤色を見ればそれはもう大分馴染んでしまっていた。
下手に拭いたりすれば塗装が剥げてしまうのではないかと思い、別にこのままでも良いんじゃないかと納得する。
スマホに大量についたストラップはいつでもこれを見て思い出せるようにと、毎年記念日に買っているものだ。
恋人と二人で買った色違いのストラップは毎年一つずつ着実に増えていて、
ここ数年で明らかにスマホよりも重量を持っているこれらを見ながら今年はどういうものにしようかと考えた。

「それを考えるのは・・・さすがに気が早いよねェ・・・」

ふっと自嘲するように笑うと手元から光が消えた。
いつもなら考えながら適当に画面をいじっているのだが、そんな余裕もなく考えていたのかとふと天井を見上げる。
記事を書いたら寝てしまおうとベッドからゆっくり立ち上がり、
電気を消そうとスマホを利き手から持ちかえる時、暗い画面にぼんやりと映し出されたトキに表情はなかった。
真っ暗になった部屋で続きを書くべくベッドに戻り、指を滑らせ画面を立ち上げ、今日はレストランの話だったかと思考の鈍った頭で考える。

『そういえば夜景って今まで綺麗だと思ったことがなかったんですが、今日は綺麗だなと思えました。
きっと恋人と一緒に見たからでしょう。
二人で見ると特別な景色になる。これは癖になりそうです。
そこで次はどこに出かけようかと話していたんですが、恋人の地元に来ないかと誘われてしまいました。
ちょうど春休みになりますし。地元を離れて一人暮らしして大学に通ってる恋人の里帰りに同伴・・・って感じでしょうか。
となると実家のご両親にご挨拶をしなくては、とちょっとまた緊張してきました。
そんな緊張しなくても良いのにと言われましたが、緊張してしまいますよね。
でも、恋人の育った場所を見に行きたいと思っていたのでちょうど良いのかもしれません。
恋人の家に行った時にアルバムは実家に置いてきたといっていたので、小さい頃の写真とかも見れるかも。
なんだか楽しみになってきました。』

そうだった、ちょっとお高めのレストランなんて似合わない場所に行った後、寒空の下夜景を見に行ったんだとため息をつく。
さっきはなんで思い出せなかったんだろうと不思議に思いながら投稿ボタンに触れる。
画面が切り替わり、投稿しましたの文字に安堵した。
投稿した記事を確認しようとトップページに戻り、NEWの文字を見るとするすると指を下から上へと滑らせる。
無機質なブログのコメント欄は始めた時から封鎖されている。
反応が欲しいわけではないし、誰かと共有したいわけでもないのだ。
昨日までの恋人との出来事を見送り、一番下まで行くと満足したのかそっと画面を消した。
それで明日は何をしたんだっけ、と考えながらスマホを枕元に置く。

「確か・・・テストの後二人で打ち上げ、したんだったよネ?」


毎年繰り返し同じ出来事が書かれるブログは年度を更新する度に少しずつ少しずつ変わっていった。
曖昧な記憶を無理矢理呼び起こし、更新される日常が彼にとっての常である。
一人でぎゅっと握り締めた思い出は強固なものとなって外部の立ち入りを阻む。

そうして彼は明日もまた二人楽しかったあの頃の夢を見る。

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