倒 錯わぁる ど

6:愛は溶けない凶器
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別に、そういうことしたくないかと言えば嘘になるんだけど。ぼんやりと僕は頭の片隅でやまとから言われた言葉を反芻する。手を出すだけがそういう愛じゃないだろうと、どこかで否定したいだけなんだ。もしその相手が女だったら未だしも、男同士でそういう行為をすることは別に生物的に意味はないのだから。手を繋いだり、キスをしたり、全部全部何度やってみても気持ち悪いものでしかなくてサンプルに強請られるたびに吐きそうになりながら、何度も試行してみたけれどやっぱり吐き気が込み上げてくるから毎回トイレに駆け込んで吐いた。酸っぱい匂いに噎せて咳き込むたびにどうして自分がこんな目に合わなければいけないのだと突き上げる苛立ちはサンプルに対する愛情を上回り、毎回八つ当たりの対象になった。愛なんて、そんなこと、感じるなんて。だからどうにかそのトラウマから目を背けていたらいけないのだろうと、思ってはいるんだけど。

いつもの分かれ道で朱織の「またね!」という声に背を向ける。手を出すことを愛だとは思わないのだけれど、彼が今まで何をしてきたか知ってるからこそ繋ぎ止めないといけないような気分になってくる。そんなことしなくてもいいのだとどこかではわかっているけれども、恋愛感情と言うのはなんとも面倒だと実感させられた。一人暮らしの家に帰って、部屋の明かりをつける。押入れの中に埃だらけでしまいっぱなしだったものを取り出して開いた。昔はこうすることしかできなかったのだろう、わかりやすく油性ペンで顔が塗りつぶされていた。もうきちんとした顔の造形も覚えていない。それは当たり前のことで、あの男の顔を忘れるために、忘れようと自分に言い聞かせたから僕は今こうして人間を人間として認識できないのだろうから。

「アンタにとって愛ってなんだった?」

そんなことしても答える人はいないけど、ただ部屋にむなしく響くだけ。やろうと思えば復讐だってできるんだろうけれど、もうこの視界には誰も人間は映らない。そんな不毛なことをするべきではないと僕に言っているかのように。でもそれが正しいのだろう。小さく黒く塗りつぶされたトラウマの元をなぞる。アンタがいなければこんなに屈折しなくて済んだって言うのに。全部アンタのせいだ。



自分で言うのもなんだけれども、その時の僕は可愛かったんだろう。そこらへんの女子より整った顔立ちをしていたのだ、男でも成長過程は女子のような奴がいる。僕はそのパターンの男だった。今みたいにひねくれてはいなかったし、人からの好意も素直に受け取れた。素直に嬉しかった。たまに餓鬼大将かなんかに黒いランドセルじゃなくて赤いランドセルにしろよ、なんていうよくある典型的ないじめのような言葉をかけられたりもしたけれど別にそれに対して心を痛めることはなかった。自分が女顔だったことは自負していたし、暴力を振るわれたわけでもなかったので特に僕にとってそいつは害ではなかったのだ。それにそんな時はいつも僕のヒーローが助けてくれた。

「みおくんはちゃんと男の子だよ、ちゃんと謝りなさい」

なんて言っていつも僕の見方をしてくれる。休日の朝にやっているヒーローの中身はきっと彼なんだろうと思っていた。子供らしく、そんな夢を見ていた。彼はいつもみんなの人気者で、明るくて優しくて、時には厳しくて、こんな人がお父さんだったらきっと幸せなんだろうなっておもっていた。彼は数学の教師で僕の小学校五年の時の担任。いつもにこにこしていて、彼の手はいつも大きくてあったかかった。他人にはじめて安堵を覚えたのはきっとこの人が最初だった。でも、同時に他人に本気で嫌悪したのも彼が一番最初だった。

「先生?僕に言いたいことってなぁに?」

放課後の教室、先生に放課後お話があるから一人で残っていてねなんて言われて、警戒心なんて育まれていなかった僕はちゃんと言いつけどおりに一人で教室に残っていた。ぱたぱたと短パンから出た素足を忙しなく動かして時計の針が動くのを見ながら先生を待つ。校庭で遊んでいた子もだんだんと散り散りになりはじめたところで先生ががらりと教室のドアを開けた。僕はぱあっと顔を輝かせて先生に視線を向けた、けれど。その時の先生の表情、確かに笑っていたけれど、いつもとは明らかに違った。今だから言えるけどあれは欲情した獣の目、欲望に任せていた男の表情だったのだけれど、そこまでその時の僕はわからなかった。ただ様子がおかしいということはわかったから座っていた椅子を引いて咄嗟に立ち上がった。

「せんせい…?なんか、おかしいよ?風邪?」
「みおくん、大人しく待っていてくれてありがとう。」

先生はそう言いながら僕にじりじりと近づいてきて僕の口を押さえつけると床に勢いよく叩きつける。先生は僕の服を乱暴に脱がして、じっとりと汗ばんだ手のひらで僕の脇腹を撫ではじめた。最初何が起こったのかわからなくて、声すら出せずにいた。何か意味があるのかなんて、思っていた。意味なんてないのに。ただの性欲のはけ口に使われただけなのに。はぁはぁ、と荒い息遣いがちくたくという時計の音と混ざる。先生が僕の胸に舌を這わせたあたりでおかしいとようやく幼心にもわかったのでとりあえず声をあげたけれども先生のあたたかくて大きな手は僕の吐き出した声を空気に出してはくれなかった。僕の叫びは小さな空間の中で消滅していくだけ。

「ん、んんー!ん、ぐぅう!」
「みおくん、先生の言うことちゃんと聞いてないとだめだよ」
「ん、んうう…っ、ん!」
「大好きってことなんだ、だからね、しょうがないんだよ」

何もしょうがなくない行為をあの男はそう言っていた。先生はぎらぎらした目をこちらに向けながらきっちり締められたネクタイをしゅるり、と外すといつも大きくはきはきした声を出す唇を僕が声を出す前に押し付けてきた。小学生の力でそれを拒めるはずもなく僕はそのまま口の中に舌を入れられて、他人の体温の気持ち悪さを知った。

「ふ、っ…ン、あァ…」
「かわいいかわいいみおくん、ずっとずっとこうしたかった」
「ん、ん…っ」

さきほど外したネクタイがくちの中にいれられた。ネクタイは首の後ろできつく結ばれてなんだか息苦しいし、声もうまくでなくなった。先生は僕の脇腹を舐めて、吸って、触って、なんだかぞわぞわとした感覚に襲われてくる頃、先生はベルトに手をかけてズボンを引きずり下ろすとじんわりと何かが滲んだ下着のうえから未発達の性器を撫でた。まだ十分な性教育も施されていなかったから、先生が何をしたいのか僕には全く見当がつかなかった。とにかく、この行為がおかしいことだってことはわかったのだけど。そこから先はちゃんと覚えていない。僕の足を引っ張って、先生の顔が動くたびに僕の下腹部から何かが湧き上がってくるのを感じた。先生は何度も僕に「愛している」とうわごとのように言っていた。僕の身体をゆさぶっている先生はまるで別人のようで、怖くて仕方がなくてただ涙があふれる。

「みおくん、愛してる。愛してる、だから俺のせいじゃないだろう。俺は君に会ってからおかしくなったんだ、全部全部君のせいだ。だから、君は俺の愛を受け入れるべきだろう。なぁ、みおくん…先生、おかしくないだろう?君のことが大好きなだけなんだ、愛してるんだよ」
「愛、」

愛って、愛って、なんだっけ?こんなに気持ち悪いものなら僕はそんなものいらない。僕のせいだなんて、そんな責任転嫁しないでくれ。僕は先生のことを好きだったけれど、そういうものじゃなかったというのに。そんな気持ちの悪い感情の矛先を向けて僕を貫くくらいなら僕はそんなもの、要らないから。先生は何度も僕のことを犯し続けた。僕も何度も達した。だけど全く幸せな気分にはならなかった。先生がか細い声で僕に愛してると言うたびに涙があふれる。もういいよ、愛さなくていいから解放してくれと時計の針が早く進むように祈ることしか無力な僕にはできなかった。先生はようやく満足すると汚れた僕の身体を丁寧に拭いて服装を整えてネクタイを外すと力強く僕を抱きしめた。

「愛してる、みおくん、愛しているよ」

何度も何度もそう言った。鼓膜に今でもこびり付いた言葉は僕に嫌悪しか植え付けやしないというのに。とにかく僕はこの時をきっかけにだんだんと人の顔を覚えられない相貌失認症を患うこととなったのだ。


   

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