倒 錯わぁる ど

2:眼前の醜い僕の箱庭
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お互いをモルモットにする実験計画、初日。僕たちは帰り際に約束を取り決めた。お互いを好きであるように取り繕うこと、帰りは一緒に帰ること、お互いを邪険にしないこと。全部僕に向けたものな気がするが、期間は1か月だからそれまで自分が人間とウジ虫を区別できるのか僕は僕なりに実験すればいいだけのこと。あんまり他の人を試して大学でウジ虫共にひそひそと囃し立てられるのも不快だ、なら近くにひっついてくるこいつを利用できるなら楽だろう。こいつの兄貴に何か言われたって持ちかけてきたのはこいつだし僕に責任は一切ないってわけだ。授業を終わらせるといつものようにあのうっとおしい後輩は教室に入り込んでくるはずだったのに、なんでか今日はいない。クラスの人ががやがやとグループを作って帰る中、僕だけが教室にぽつんと残ってしまった。

「あのガキ、僕のことおちょくってんのか…」

がたん、と大きめの音をたてて椅子を引くと立ち上がってバッグをひっつかみ、乱暴に教室のドアを開ける。すると目の前に廊下でしゃがみこんで寒そうに指の先を赤く染めたいつもの顔がいた。その顔は一瞬まだ虫に見えたけれど、彼は教室のドアが開く音に顔をあげると僕の顔を認識するや否やぴょん、と飛び跳ねるように立ち上がる。にへ、と表情筋を緩ませて僕を見上げた。僕はというと、なんでこいつが教室に入ってこなかったのか、ずっとこんなわざわざ寒い場所で僕を待っていたのか理解できず、しばらく目の前の後輩を眺めて固まる。彼は人差し指を顎にあてて首を傾げて見せた。

「…みおくん?」
「お前、なんでこんなとこで待ってたの、」
「あ、いや、だってもうみおくん、教室に突撃しなくても逃げちゃわないでしょ?だから待ってたんだけど、随分遅かったねェ待ちくたびれちゃった。課題でもあったの?それとも補習?みおくん案外おばかさん?」
「バカじゃないから、っていうか普通に入ってくればいいじゃん。何もそんな…区別しにくいところで待ってたりしたらわからないだろ。」

「寒いところで」という言葉を出すのが癪だったのでそういう風に悪態をつくと彼はその言葉を受け取って次からはいつもみたいにするね、と笑った。いつも帰り道に付きまとわれていたが、今日は違う、任意の帰り道。いつもなら人間の可能性が、とか利便性が、とかそんな話ばかりだというのに今日は案外普通の話が多くて、そのたびに「今日はみおくん、何があった?」だとか聞いてくる。不思議と言うか、不可思議と言うか。そんな特殊な雰囲気に僕も気付けば悪態をつくことなく会話を成立させていた。ウジ虫とも歩み寄ればコミニュケーション取れるのか、なんて僕はまた新しい発見をしてしまう。いつもとは違う道で、彼は「あ、」と思い出したかのように声を発した。声が空に浮かんで混ざりあう。

「ごめんね、みおくん。そういえば僕バイトはいったんだった!」
「バイト?お前そんなのしてたんだ、馬鹿らしい」
「うちにぃちゃんと二人暮らしだからねぇ、働かないと生活できなくなっちゃうの!ってなわけで今日はここまでで、明日は急なバイトが入らない限りは暇だから今日は寂しいの我慢してね!ばいばい、みおくん!」

別にお前がバイトでいなくてもさみしがったりしない、と言い返す前にぴょこぴょこと元気に彼は走っていく。こんな時間からバイトだとかどこで働いているんだか。割のいいところだと居酒屋か深夜から早朝にかけてのコンビニアルバイトだろうか。バイトはたまに短期の募集に応募するくらいで他は特に必要なかったので継続的なものはしたことがなかった。案外そういうところはしっかりしているものだな、と思う。いつも付きまとわれている道を一人で帰るとやけに近所の小学生の遊んでいる声が耳に届いた。こんなところに公園なんかあったのか。いつもは気にならなかったので視界に入れもしていなかったのだろう。ウジ虫たかが一匹隣にいないだけでこんな孤独を味わうような気分にさせられるのに無性に腹が立って少しだけ寄り道して帰ることにした。と言っても駅の繁華街のほうまで足を運んでぶらぶらとウジ虫の中に人間を発見できるかどうか、というたまにやる自分の実験のことだ。もちろん自分で繁華街なんて歩かない。多様な種類のウジ虫に囲まれたり押されたり絡まれたりするなんて、気持ち悪くなってしまう。高台の上でぼんやりと人ごみ、いや虫の掃き溜めを眺めているとぽつんと一か所だけ何か違っているような気がした。本当に気がしただけで特に人間が見えたとかそういうことはなかったのだけれども何か違和感を感じる。遠目からだったのでよくわからなかったが、もしかしたらあれはさっきまで一緒にいた相手かもしれない。なんでこの時間にこんなところに。バイト先が駅前なのだろうか。考えるだけで吐き気を催しそうになったので頭から「虫の集まるところで接客のバイト」なんていう気持ち悪い想像を打ち消す。足早にその場を離れてから僕は明日あの円形に対して常軌を逸した感情を持っている男にバイト先を訪ねてみようなんて思ったのはきっと実験がはじまったから起こした仮定を立証するための行動であって僕自身に興味があったとかそういうことでは断じてない。コートのポケットに冷えた手をゆっくりと入れた。



「朱織が何のバイトしてるかって?」

あのウジ虫の血の繋がった兄弟であるクラスメイトは一瞬僕の質問に対して訝しげな反応を見せる。だがすぐに彼はその答えを僕に与えてくれた。彼はうさぎカフェでバイトをしているらしい。いつも着て居るうさぎのパーカーなんかを見たところ、性別はオスであるのにうさぎは好きらしい。情報提供したあとで絆創膏は彼のが恋人だと言い張る掃除ロボットを抱きしめながら忠告のようなものをしてきた。

「朱織が持ちかけた実験だか何だか知らないけれど、世の中には実験中止っていう言葉もあるんだからそこらへんは柔軟にやってね。」

忠告なんだかよくわからない言葉だったけれどもあれは兄貴として弟を守るための言葉であったのは間違いないだろう。僕には兄弟なんていなかったからそういう関係の強さがいまいち理解できない。放課後、今日はいつものように彼は教室のドアを開けてこちらに笑顔で駆け寄ってくる。

「ねぇみおくん今日うちおいでよ!」
「は?なにが楽しくてあんな奇怪な家に行かなきゃいけないの?もう二度とごめん。」
「確かにインテリアはもったいないことしてるけどぉー、あーあせっかく今リッチだから僕の手料理食べてもらおうと思ったのになー!」
「お前の作るものとか何が入っているかわかったものじゃないから食べたくない。というか、そんなバイトって稼げるのか?それに給料と蚊って普通月末だと思うけれど」
「あ…いや、その、僕のお店は特殊なんだよぉ!みんな月末にお給料出るとは限らないもん!」

一瞬何かおかしかったような気もするが虫の表情を読み取れるはずがなく、僕はそれに気づかないことにする。変なことで悩んだりとか僕がこいつに振り回されているようで腹が立つからだ。結局、彼の言っていることや笑っていること、そういうおおまかなことはわかっても表情を読み取れるくらい詳しく人間として認識することはできない。実験は失敗かと思われた実験14日目、ちょうど二週間、半分あたりに差し掛かった時に実験中止が宣告される事態になった。それでもまだ同じように役割を演じる実験である模擬監獄実験なんかよりは二倍の期間続いたのだから、ある意味上々の仕上がりだったのかもしれない。終わりは訪れて、ウジ虫の皮は剥がれなかった。なのになぜだか最後だけ、はっきりと彼の顔を確認できたのは何か得られる手前だったのかもしれない。彼はいつものように僕に笑うように、知らない、汚い虫に対してべったりとくっついてホテルに入っていったのだった。気の迷いは怖いものだと自分自身に嘲笑する。毎日べたべたしてきていたあいつに対して少しでも愛着を感じようとした自分が間違っていたのだ。あいつは誰にでもああやって笑う。きっと、僕だけじゃない。繁華街の中でウジ虫に囲まれている状況だというのに今日は不思議と気持ち悪さより苛立ちのほうが勝って、目の前の光景を否定するように僕はそこに背を向けた。


 

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