倒 錯わぁる ど

8:接触事故を運命と呼ぼう
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あんなにわかりやすい善悪の実を提示されてはさすがに声を失うしかなかった。夏休みの宿題を先延ばしにする子供と同じ心理だ。あれは形こそ大人を模しているが自我状態はすべて子供のそれである。

僕はりぃにぃの後をついて行きながら焼き付いた光景について考察した。おじさんの趣向とは違うものばかりが置かれた部屋。なんというか、茶室に近い作りになっていた。アルコール好きのおじさんが茶室なんて持つとは思えない。りぃにぃはたまにここにお茶を入れに来ているらしいがその雇い主というのはおじさんとは考えられない。つまりおじさんが忌み嫌う相手の部屋であっておじさんより権力があった人物なのだろう。なんて考えたところで答えはあっさりとりぃにぃが歩きながら教えてくれた。不思議と僕たちを襲ってくる輩は少なくなっているのはつっくんや舞白さんがどうにかしてくれているからだろうか。りぃにぃ曰くその部屋はおじさんのお父さんだったらしい。まぁ、ほかに思いつくこともないけれど。おじさんのお父さん、つまりまぁおじさん父はおじさんとそっくりだったらしい。が、おじさんはおじさん父から嫌われていたようで、今から行く離宮で生活していたらしい。どうしてそんな仲が悪かったのかはりぃにぃも知らないみたい。僕は離宮におじさんがいたらどうするんだろう、と頭の片隅で考えたけれどそんなこと言ったらいつまでも僕たちは確信に近づけないままだろう。考えて仮説を立てているだけじゃあ何も起こらない。僕たちは何かを得るために自らを何か危険にさらさなくてはいけないのだ。とかいって、僕はこの件に関しては自分から首を突っ込んだだけで別に何かを得たいとも思っていない。

正直今この場で「じゃあ僕お腹空いたから帰るね〜」なんて言い出しても誰一人として僕を責められはしないのだ。じゃあなんでこんな得なんて一つもないことをしているのかと言えばそんなこと僕にもわからない。僕じゃなくてもこの屋敷にいる人ややまとくん、りぃにぃが率先してするべきなのだ。もしかしたらそんなルート分岐もどこかにあったのかもしれない。僕の行動原理なんて特に意味はなくてただ「なんとなく」の産物である。僕はその場のノリに合わせてここまでだらだらついてきて、自分に責任がないのをいいことに人を煽って遊んでいるだけ。……なんて、言えたら楽だったんだろうけれど、もしかしたら僕は知らないうちにどこか死に場所を求めているのかもしれない。自己分析はできているつもりだけれど自分に見せる自分なんていくらでも偽れるしいくらでも書き換えられる。だから自己分析なんて正直意味を持たないのだ。今日はあっさり死にたいと言っても明日になれば死にたくないと泣き喚くかもしれない。だから僕はどこか不安定なところで生きているんだろうという自覚はあるのだ。大好きな人はいる。みおくんと離れたくはない、みおくんを残しては行きたくない。けど。僕は僕がいなくなった世界でみおくんが生きていけなくなるのを上から見上げて居たいとも思う。無神論者だから死んだら天の世界があるとか、特に考えてないけれど、それでもそう思ったりする。僕の主張なんていつもばらばらだ。口から出たことをぽんぽんと言葉にしてまるで僕の本当の意思なのかと思わせるように言うのは得意だ。でも誰かに渡した言葉がその誰かにとって生きる糧になったとしても僕はその言葉を覚えていることはないと断言できる。僕はそういうやつだから、だから僕はいつか自分の口から本当に誰かのために何かを言えるようになりたいのだ。それは本心。きっと、多分。そうじゃなかったらなんとなくで他人の中をかき乱すような僕が心理学なんて学びたがるわけないじゃないか、って自分に言い聞かせてる。

結局いろいろ並べ立てても僕がここにいる理由はもしかしたら好きな人の大切な人が大変な目にあっているから、という至極人間らしい、まっとうな理由なのかもしれない。そうであったら、笑い物なのだけどな。僕は僕を19年間――今年で20年間になるが、観察し続けても僕の人間性というものが見えない。けれど、おじさんは違う。おじさんはわかりやすく人間臭い。だからアダムなのだ。人間の元の元であり、最大の罪を犯したアダム。どうしてアダムは善悪の木の実を食べたのか?ならばイヴと呼ばれていた椿ちゃんはアダムに善悪の木の実を食べろと唆したのだろうか。しかしそうであるならば箱庭はこうはならなかったはずだ。おじさんに善悪の実を食べろと言ったのは誰だ?それがきっと、何かを掴む糸口になるはずだ。

「ついたけど…鍵かかってんな…」
「ん〜、こんなの蹴破っちゃえばいいんじゃない?」
「一番最初の侵入の時と同じことする気か?」
「なぁにを今更。バレちゃってるんだしせっかくなら派手なことしよ〜!」

でもチェーエンソーはあのキメラ兄弟との騒動でなくなってしまった。こうなってしまうと非力な僕は何もできないのでりぃにぃにバトンタッチ。りぃにぃの背中を押すととても嫌そうに僕を見つめるが、それににっこりと笑顔を返す。僕じゃだって、できないもの。りぃにぃは少し扉から離れると足をあげて勢いよく木製の扉を蹴り飛ばす。いやあ、細身の体のどこにこんな力があるのか。経営に対するストレスだろうか。全くりぃにぃのストレスの根源なんて全部なくなっちゃえばいいのに。僕もその片棒を担いでいる可能性があるからそんなこと言えないけれど。バァン、と吹っ飛んだ扉。ばらばらと木片が床に散らばって落ちた。

「ひゅ〜!りぃにぃかっこいー!」
「君がやらせたんだろうが!」
「ひゅー、かっこいーですねー」
「朱織兄俺より力あるだろう!?」

するとぱたぱた、と中から人の足音が聞こえて一気に緊張がその場を支配した。しん、と会話がなくなる。動ける武闘派の数人が前に出て戦闘態勢に入る。ぴりぴりした空気が流れて僕たちの視線は壊れたドアに注がれた。そこから出てきたのはふわふわした猫っ毛の男。

「あはは、さっすがせんぱーい…ドアフツー蹴破る?」
「ヤマト…」
「…なーんか、人数増えたねぇ。見世物じゃあないんだけど。」

不機嫌そうな低音にりぃにぃの表情も曇る。誰に対してそれを言っているのかなんてわかっていたからだ。やまとくんはなんのためにここにきているんだろう、なんて思う。この人は一体何がしたいんだろうか。やまとくんは救世主にでもなれると思っているんだろうか。それだったら僕は笑い飛ばすけれど。でもここで僕が出ていくことがお門違いであることなんてわかっているから、後ろに控えた彼が言葉を発するまで僕はだんまりを決め込もうと思った。沈黙はそう長くつづかなかったけれど。

「やまとくん」
「…あおちゃん、どうしてきたの?」
「……やまとくんが、心配で」
「大丈夫だよあおちゃん、俺そんな弱くないでしょ。」
「つよいとか、よわいとかそういうんじゃないよ!」

あおちゃんがたまらず声をあげた。観客は他人に興味を持たない人ばかりだから気づかないだろうけどあおちゃんの人の好さはわかっているはずだ。あおちゃんは誰かに本気で怒ったりできない優しすぎる人なのだ。そんなあおちゃんが、今、大好きなやまとくんに声をあげた。僕が聞くあおちゃんの声の中で一番大きく、一番凛々しく、一番綺麗な声。人間の決意が現れるような音は僕の耳に入ってじんわりと心を温かくさせる。これに答えないようなやまとくんであれば僕がぶん殴って…とか思ったけれどその前にりぃにぃが手を出すだろう。

「僕はいつもやまとくんに守られてばっかりでもらってばっかりで、僕がやまとくんにあげられるものって僕自身しかなくて、でもそれじゃだめだってわかったから、だから僕はここまで来たんだよ。」
「…うん。」
「僕だって、やまとくんのこと守りたい。同じなんだよ、やまとくん。」

震える声、だんだん締まっていく喉元。そろそろ限界なんだろうな、と前に出て行ったあおちゃんの背中を見て思う。あおちゃんの表情を正面から見ているやまとくんは今どんな気持ちなんだろう。やまとくんは口を動かそうとして、きゅ、と噤んだ。腕を伸ばそうと手先をぴくりと動かしてやめた。やめたように思えたし実際やめたんだろう。けれど目の前で起こったのはそうじゃない。やまとくんがあおちゃんを抱きしめたように思えた。結果としては抱きしめていたのだけれど、僕から見えるやまとくんの顔は困惑していたのだから何が起こったのかこの場で誰もわかっていなかったようだ。きっと。

す、とやまとくんの背から出てきたのは写真に写っていた着物の女性らしい人影。それが女性でないことは知っていたけれどこうして目の前にしてみるとやはり男性には思えない。初対面としてここでさえ会っていなければ男と見破ることはできなかっただろう。和服がそれを強調させている。とにかく初めて会うその人物、つまりは椿ちゃんがやまとくんの背中の後ろから出てきたことで何かこれは椿ちゃんの仕業だということはわかる。押したりしたんだろうか。

「やまと、なんで戸惑っているのよ」
「や、あの…」
「私のほうへ振り向かないの。貴方は目の前の彼を見なさい。」

声は女性とまではいかないけれど中性的な声だった。礼儀正しくおしとやかな耳をくすぐるような声。おじさんの兄弟はなかなかにしっかりした人が多いのだなと思う。どうしておじさんだけああなってしまったのか謎が謎を呼ぶところである。椿ちゃんの物理的後押しによってやまとくんは状況を受け入れてあおちゃんを抱きしめると肩口に顔をうずめた。表情は読めなくなったけれどさっきの冷たい空気ではなくなっている。やまとくんは諦めたのか、受け入れたのか、どうなったのか、わからないけれど気持ちの整理はついたのだろう。そうじゃないと簡単にこうは問屋が卸さないからだ。

「ごめんね、あおちゃん。」
「………ん、」
「俺あおちゃんが思ってるよりも強くないしかっこよくないよ」
「…うん」
「でもね俺好きな子の前ではかっこつけてたいの。意地っ張りでしょ、ごめんね。不安にさせてごめんね、突き放すようなこといってごめんね、守る対象でいてほしいなんて独りよがりなこと、思っててごめんね…」

やまとくんの言葉は多分まだたくさんあったのだろうけれど、あおちゃんはただやまとくんの背をさすり続けていた、きっとあおちゃんも泣いているんだろう。あおちゃんはこうでなきゃ、と一人で勝手に安心した。もしこれが初対面でなくて、椿ちゃんのことをもっと知っていたら状況は違ったのかもしれないけれど僕としてはそこまで気が回るほど人間はできていなかった。かわりに僕もみおくんのことちゃんと守れるかななんて思ってみおくんのほうをちらりと見る。みおくんからすれば特になんともない光景であるのだろう。退屈そうにしていたけれど僕がしばらく横顔を見ているとみおくんもこっちに視線を投げる。手を伸ばしても届かないくらいの間が僕とみおくんの間にはあって、でも今動けるほど空気が読めない僕じゃあない。

僕はぱくぱくと口を動かす。たったふたもじの言葉。空気を振動はさせないけれどみおくんの心は動かせるかもしれない言葉。言葉って言うのはそれだけの力があるものだ。ありきたりで、陳腐で、どこにでもあるような、嘘でも口にできるようなふたもじは僕とみおくんの間では誓いの言葉になったりするのかもしれない。全部僕がおもってるだけのことかもしれないけれど。

「  。」
「    。」

ぼくはふたもじ、みおくんはよんもじ。やられたなぁと僕は胸の奥から込み上げる熱さと体内からうるさく響く音を抑えようと躍起になる。にやけたりするな、真剣な場所で。本当に、みおくんってばずるいんだから。白旗を心の中で僕は掲げた。


 

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