倒 錯わぁる ど

6:盲人は曲がれない
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アダムは知恵の実を食べたが故に、目を開いてしまった。目が開くというのは世界が広がるということであり、それと同時に「知らなくていいこと」まで知ってしまうことである。見てはいけないものを、見てしまう。人には知っていいところと知ってはいけないところの境界線が存在しているのだ。それを気づかずに、超えてしまうことがきっと人がアダムになるか、否かなのだ。



「朱織、起きて。」
「ん、んん……みおくん……?」
「寝ぼけてんな。起きてないのお前だけだぞ。」
「んぅ…?みおくん〜ぎゅ〜ってしてくれないとや〜…」
「お、おま、何言って……!!」

頬をぎゅっと抓られたところでようやく僕は目が覚めた。みおくんが頬を赤くしているのはなんでだろう。僕はごしごしと目を擦って起き上がる。自分の家じゃないことに驚いたけれどすぐにここがおじさんの家だったことを思い出す。自分の置かれている状況をどうにか思い出す。

「さあ、アンジュたちよお行きなさい。貴方たちの歩く道に神のご加護がありますようここで私と主は祈りを捧げております。」
「…兄さんに、見つからないようにね。」

ぞろぞろと歩くのもどうなんだろう、という感じではあるが離れるのも怖いので四人で行動を続けることにする。昨日は突然襲撃を受けてしっかりと観察をしていなかったが、今一度確認してみると屋敷はきっちり整頓されていて、まるでおかしいものがどこにもないという印象を受けた。その完成された空間は、どこか気持ち悪さを僕に感じさせる。この箱庭の作成者が誰なのかありありと主張することを目的としているように思えるほどに、気持ち悪い。箱庭は自由にそれを作ることで、それに個人のテーマがあろうがなかろうが「自分」をテーマにしてそれが丸々箱庭に現れることはない。もしそうだったとしたら、箱庭をやるまでもなくクライアントは無意識化の自分の存在を見ているということになるからだ。おじさんの屋敷は、そういう感じがする。どこを歩いても、見ても、影におじさんがいる。その感覚が鳥肌が立つくらい気持ち悪いのだ。それは僕だけじゃないようで隣でにぃちゃんも「吐きそうなくらい、何もかもがプログラムされてるみたい。」なんて言っていたから僕の見立てが間違っているわけではないのだろう。

ぺたぺたとフローリングを歩いていると、少し色味が明るい襖を見つける。それがどこか異色さを放っていたので僕たちは声を出すこともなく、それに近づいていく。普通の家であれば素通りしそうなものだが、その違和感はこの家に置いては些細なものにはなり得ない。襖を開けるとなんだか甘ったるい匂いがする。それはどこか女性的なものを彷彿とさせるがこの家に女性はいないはずだ。いたとしても使用人であって、こんなに豪華な部屋を与えられるはずがない。これが噂の椿ちゃんの部屋だろうか。それしか想像がつかない。もしここにりぃにぃかやまとくんがいたらすぐに答えを出してくれただろうに。一応女性として生活している人の部屋に男子四人が入るのも少し憚られたが、みおくんがずんずん進んでいくのでもうなんかどうでもいいかなと思う。きっちりとした部屋の並びは今までと特に変わったところはない。ところどころに可愛らしい家具なんかが置いてあったり女性ものの服が置いてあったり、違和感はそれだけ。しかし罪を探すというのはきっとこのきっちりした空間から間違いを探す、ということなのだろう。何かのヒントにはなるのかもしれない。

「どうして、こんなことしたんだろうね。」
「…あんな変な人のこと、わからなくてもいいよ。あおちゃん。」
「そうなのかな。」

あおちゃんはむ、と少し考えるようにする。あおちゃんは感受性が豊かな子だからあんまりこういうのは向いていないのかもしれない。それでもあおちゃんの素直さと言うか、真っ直ぐなところはたまにガツンと誰の心にも響くものである。こういう膠着状態を壊してくれるのは案外あおちゃんみたいな考え方なのかもしれない。こういうのは僕にはできないことだけれど。おじさんがどうしてこうやって彼を彼女として囲ったのか。それが罪だとすればその罪に至るまでの道のり、そう、善悪の木の実がどこかにあるはずだろう。しかし、突然飛び入りした僕たちがこの家の内情を少しでも知っている人たちが知っていて当然のことを今更知ったところで今の状況を打破できるとは思えないのだけれどつっくんは何を思ってそんなこと言ったのだろうか。凝り固まった場所に何か起爆剤を入れる、というのが一番近いところなのかもしれない。一番精神病の人を置いてはいけない環境は全く変わらない場所に置くことだと僕は思っている。強引でも、どんなに患者が癇癪を起そうとも、患者を変化のない場所に置いてとどまらせることが一番危険で成長もせず、そのままでいさせることこそ患者にも周囲の人間にも悪影響しか及ぼさないのにそれを気づいていない人があまりに多すぎる。やり方がどんなに荒っぽくても誰かを動かすためには多少の危険や傷はつきものだということに何故気づかないのか。傷つけるのが怖いからそのまま放置しているというのはただその問題に見て見ぬふりして自分の身を守っている保身行為に過ぎない。傷つけてでも患者の先の未来について見るのであれば、傷つけることを前提に、どれだけその傷を最小限に済ますかというのが重要なことであると思うのだけれども。そこで洋服箪笥の上に何か倒れた写真立てがあるのを見つけたので僕はそれに手をかけてみる。

「…おじさんと、舞白さんと…ってことはこれは椿ちゃん?」

三者とも若かった――というか椿嬢に関しては赤ん坊なので判断がつかなかったけれど、それは確かにこの家の三兄弟が写った写真。舞白さんが椿ちゃんを抱いてその横に引き攣った表情で立った高校生のおじさん。これだけ見ればなんの問題もない兄弟に見える。古い写真は倒されていたから埃などはかぶっていなかったけれども、それを椿ちゃんが「見ないふり」をしているのは確かだろう。本当は求めているはずのこの円満な兄弟関係を、叶わないからその理想を見えないように倒したのだろう。これを捨てられないところが、まだ蜘蛛の糸のような希望をどうにか掴みたいと思っている証拠なのだろうけれど。僕はその写真立てを少々拝借させてもらうことにした。ちゃんと返すし、別に窃盗ではない。こんな価値のないもの盗むくらいならそこら辺の骨董品をもらって帰るよ、僕は。

そこでがたん、と物音がした。
僕が振り返る前ににぃちゃんとみおくんが動くほうが早くて、僕が振り返った時にはもう後ろにいた人物は無力化されていた。無力化するまでもなく、その人物はこっちに敵意なんてなかったのだけれども。

「りぃにぃ!」
「朱織!どこ行ってたんだ君は!探し回ったんだぞ!」
「あはは…捕まって助けてもらって寝てた…」
「寝てた!?俺は君に何かあったら保護者に顔向けできないと思ってこの一晩ひたすら探し回ったんだぞ!?」

りぃにぃは久々の再会でも変わらずいつも通りだった。別れた時よりもボロボロになっているのは僕を探している途中でガードマンと殴り合いでもしたからだろう。それにしても、一晩探し回ってぴんぴんしているのだからこの人の体力の無尽蔵さには呆れてしまう。貸しを作ってしまったなぁと頬を掻く。あんまりそういうの好きじゃあないのだけれども。

「あんまり立ち話してる暇はないから手短に、するね?りぃにぃ、この家の秘密をね、知りたいんだけど。この屋敷以外におじさんの秘密ってある?」
「…離宮かな」
「離宮、そんなのあるんだね。」
「俺も入ったことはないけど、あの兄貴に許されないと入れない場所だよ。」

こんなだだっ広い場所なんだからそういう場所があってもおかしくはないかもしれない。りぃにぃはその場所を知っているようだし、連れて行ってもらえばそんなに時間はかからないだろう。鍵がかかっていようがなんだろうが最悪強行突破してしまえばいいだけの話だ。そこにあの奇形兄弟がいたとしてもこれだけ人数がいれば最悪ぶつかってもどうにかなる可能性が見えてくる。じゃあ、と言い出したところでりぃにぃが止めてくる。

「いや、朱織、君……気づかない?」
「…へ、」
「あれ、隣の部屋。」

みおくんが呆れたように言うので僕が椿ちゃんの部屋から身を乗り出せば、ひどい部屋が見える。酷い部屋。その形容詞でぴったりだろう。襖がまず、破れているのだ。入るまでもなく、もう、その部屋が異質なのはわかる。それでもその異質を避けて通るわけにはいかないだろう。その部屋は、完全に、善悪の実。見たくないものを本当に見ないフリをして、触れようともせず、齧り掛けのその実はそこにあった。襖は破れ、布団は敷きっぱなし、埃が溜まった部屋。それはまるで時間が止まったのではないかと思うくらいの有様。りぃにぃが後ろで「それ、あの兄弟の父親の部屋」と言う。詳しい事情はまだよくわからないけれども、とにかくあのおじさんにとって父親と言う存在がいかに地雷なのかということはよくわかる。しかし投げられる爆弾に対処しない人間はいないだろう。誰かに触れられても動じないのだろう、あの人は。だからまだまだ足りない。足りなくて、これじゃあ勝てない。精々ツーペアそろった、というくらいのもので。さすがの僕も不自然があふれかえった部屋に留まりたいとは思えなかった。不自然と言うのは人の心を乱すものなのだから。


 

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