倒 錯わぁる ど

2:エゴイズムと過度依存
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喉から自分の声色より低く、息巻くような音が空気に零れ落ちる。ぼたりと口の中に溢れた唾液が床に跳ねた。髪の毛に隠れるようにしている耳はびくんと動いてマルが普通の人間でないことをありありと示している。視界がさっきよりも澄んで、小さい音までずべて大きな耳は聞き取ってくれた。どこか遠くでする銃声、誰かが誰かを殴る音、地下から聞こえる諦めにも似た泣き声。全部全部マルは聞こえてしまうけれど、そんなことマルには関係のないことだ。知らない、知らない、知らないフリなんてしないけれど知りながらもマルはその事実から目を背ける。そこはマルの世界じゃあない。マルの知ったところじゃあない。マルの世界はそこにある。広い世界はただの集合体。小さい世界の集合体にすぎないのだから。だから。どうして、マルの世界を壊そうとするんだこの目の前の二人組は。

「…りぃにぃ、ちょーっとばかり迷惑かけちゃったかもね。」
「ちょっとどころじゃないだろ。」
「ふふふ僕をこんなところまで連れてきたりぃにぃがいけない。」
「いや君がついてきたんだろ」
「でも、まぁ迷惑かけるだけ。あとでたくさん怒ってくれていいからさ。」

ごちゃごちゃ話している暇はないんだぞ。そう言いたげに腰を低く構えて足を後ろに下げる。つま先に自分の力を集めてそれを解放するように床を蹴ればそこはへこむどころではなく、マルのつま先の倍くらいある穴をあけた。

先に狙うは大きいほう。オミちゃんに手を出したのだから当たり前である。最初の攻撃のように勢い任せで飛んでいく。それを回避することはできない。マルの身体はまるで戦車から放たれる大きい鉛玉のような威力を持って目標に衝突する。そのあとの追撃をマルは怠らない。目標の服を掴むとぐるりと空中で目標より上に陣取ると地面に向かって目標を叩きつけてから馬乗りの様な形になる。駆け寄ろうとする小さな目標に片方の手をぶん、と振るようにして指さした。

「おまぃはそこから動くな、動いたらこいつは殺す」
「どうして?」
「おまぃらは異端者だから、お父さんが殺せと言った!」
「ふぅん、そっか。」

小さい目標はそれ以上何も言わない。まるで自分たちが殺されることはしょうがないだろうというように。その目は諦めに似ていた。少しだけ、昔のオミちゃんとマルの目に似ているような気がしたけれども、気がしただけ。マルの下にいる黒髪の男はと言えば真剣そのものであっても、諦めの色は見えない。今マルが噛みつけば、爪で胸を貫けば、首元を切り裂いてしまえば、簡単に、あっけなく、もう自分の人生がそこで終わってしまうというのに。今もまだこの状況から脱出できると思っているのだろうか。力だけですべてを押し切ってきたマルには何もわからなかった。すると後ろからオミちゃんの声がする。

「マル、マル…ッ!ダメだよ…!」
「……オミちゃん。私は傷つかないよ。大丈夫。」

にっこりと笑う。お願いオミちゃん、マルじゃあ力不足かもしれないけれど
ちょっとくらいマルに格好つけさせてよ。オミちゃんに無理は言わないから、せめてマルがすることは見て見ぬフリをしてほしい。マルに傷ついてほしくないなんて無茶は望まないで。小さい目標が悔しそうに顔を歪ませるのを確認して、もう少し遊んでもいいかななんて思う。そうしたほうがマルはあの目に苦しめられずに済みそうだから。できるだけあの忌々しい黒い光を少なくしたい。お父さんよりも筋肉のあるその腕にマルは爪を食い込ませると簡単に赤色が爪の中に染みていく。ぐるる、と喉の奥から音を出してマルは目標の腕に噛みついた。

そこで、 とつぜ ん?
せ かいが ぐるん――と、 まわ、る?まわる ぐるぐ る…?
マルには わから な い 。な にが起こった か、もりか ぃできな い。オミ、ちゃ オミ…ちゃ ん。手をのば しでも、手がたくさ んあ ってどれだか わ わ、わ わか らな…。

これがどういうものなのかはぼんやりとだが意識を取り戻すことができた時。オミちゃんの顔が近いのはよくわかった。オミちゃんの声は小さかったが「だからダメだって、言ったのに」と言う。マルはくらくらする頭でこオミちゃんが静止した理由はこれだったのかと思った。こんなことなら最初から喉元に噛みついておけば、とは思うもののここまで用意周到なのだから首元にも同じように仕掛けがあったのだろう。それこそマルはあのちいさいのに殺されていただろう。仲間を殺されたならあのちいさいのは容赦なくマルを殺すだろうから。マルだってそうするに決まっている。まだマルが生きているのはあの大きい目標が生きているから。あの小さいののストッパーになっているからなのだろう。焦点が定まらない視界であの小さいのと目が合った。

「ん、りぃにぃ起きたみたいよ」
「じゃああの馬鹿兄貴がどこにいるのか教えてもらおうか」
「お父さんがどこにいるのかなんて知らない」

本当に知らないことは知らなかったのだけれども――耳に入ってくる音のせいでなんとなくお父さんがどこにいるのかはマルにはわかっていた。わかっていたところで異端者においそれと話す義理もないから言わないのだけれども。大きい目標はあまり期待していなかったというように息を吐くとマルに背を向ける。小さい目標もこっちを一瞥すると同じように背中を向けた。これは、なんだろう。あまり考え事をしない頭で必死に考える。マルは敵に逃げられたことも殺し損ねたこともなかった。これが負けるということだろうか。知りたくなかった、事実にがらがらと自分が崩れてしまいそうになる。マルはお父さんの言いつけを守れなかった?マルはお父さんが求めているマルのお仕事を遂行できなかった。マルとオミちゃんを買った奴らがマルたちに求めてきたことは未だによくわからないけれどもそれを満たせなかったからあの場所に戻された。きっと、今回も。恐れていた事態が現実味を帯びてくる感覚に自然と目から涙がこぼれた。久しぶりに泣いた気がする。今まで強固に固めていたはずの涙腺とやらがぶつりと切断されてしまったようだ。もうあんな、あんな目にオミちゃんを合わせられない。マルは、マルはオミちゃんを助けられなくなる。

その瞬間、自分を支えていたものがなくなってマルの頭が床に叩きつけられた。畳に打ち付けられてもそんなに痛くないけれども、ただただ驚く。マルの前にはオミちゃんがいて、それは背中なのだけれども、さっきのような絶望的なそれはない。オミちゃんの傷だらけの羽はいつもマルに罪悪感と言うものをありありと見せつけるけれどそれと同時にいつもきれいだと思わせてくれる。別にオミちゃんは弱いわけじゃあない。訓練で手あわせしているマルがそれを保証する。オミちゃんは小さいほうの目標に対してすごい勢いで攻撃を仕掛けた。もうここで終わり、と思っていたのだろう。異端者たちも驚いている。マルが予想できなかったことを予想できているわけがないだろう。オミちゃんの力で床がぼろりと抜け落ちた。

「朱織!」
「りぃにぃ、逃げて!!」

マルだってここまできて茫然としているわけにはいかない。目の前の大きい目標がマルとの間に空いた穴の中に飛び込んでいこうというのならばすぐに今度こそ喉を掻き切る準備はあった。大きい目標は唇を噛み締めながら別の方向へと走っていく。マルは別にそれを追いかけるつもりはない。下に落ちたオミちゃんのほうが心配だ。飛び降りればそこは地下に通じていて着地するときにひんやりとした感覚が足裏から全身にめぐろうとしている。オミちゃんはちゃんと無事だったのでマルはひとまず胸を撫で下ろした。

「オミちゃん!」
「マル…」
「オミちゃん、オミちゃん、戦うのいやだって言ったのに」
「オミは、戦うことよりもマルが泣くほうがいやだ。もう泣いてない?大丈夫?」

オミちゃんはマルがふるふると首を振ると、嬉しそうに笑った。マルはオミちゃんに飛びつくようにして抱きしめればオミちゃんもマルの背に手をまわしてこたえてくれる。しかしそう長くしていられない。小さいほうの目標も同じようにここに落ちてきていて、床を這うようにして逃げようとしていることくらい聴覚が鋭くなっているマルじゃなくてもわかった。オミちゃんはマルと目標の相性が悪いことはなんとなく察しているようで、目標の首根っこを掴むと目標も逃亡を諦めたようで口を尖らせる。

「ちぇ。そううまくはいかないよね。」
「当たり前、簡単に逃がす訳ない。」
「でも殺さないんだね?」
「もう片方の目標には逃げられたから…交渉材料にはなる。ご主人に相談する必要もあるかもしれない。」

目標は諦めたように最後に一言「一応僕、朱織って名前があるんだけどなぁ。」なんて言ってからは何も言わなくなる。マルも多分オミちゃんも、そんな名前を聞いたところでそれを使うことはないのだけれども。とりあえず天井に穴があいたところでうろうろし続けるわけにもいかないのでこの地下を歩いてみることにした。離れ以外で屋敷を歩いたことはなかったのでここがどこかはわからなかったが、どう考えても住居空間だとは思えなかった。ふらりと先に人影が見えて、一瞬警戒するも、この家にそうそう侵入者がたくさんいるはずもなかった。

「お父さん!」
「オミマル…なんだお前ら、どうして…と思ったら、なるほどな」

お父さんはマルたちが歩いてきた方向を見つめてからオミちゃんが掴んだままの目標を確認するとふむ、と考えるようなしぐさをする。一旦は静かになった目標ではあったがお父さんの姿を確認するとまたうるさい口を開いた。

「おじさん、久しぶり。いつぶりだっけね。」
「ああ誰かと思えば餓鬼か。さっきぶりだな。」
「こんなところで自分の家族を監禁してるなんて趣味悪いねぇ。娘にパパの服と一緒に洗濯機回さないで!って言われて拗ねた父親の気分なのかもしれないけれどお仕置きにしては度が過ぎると思うんだ」
「お前は適当なことを言う、相も変わらず。お前も今から事が片付くまでここにいてもらうぞ。」

マルとオミちゃんがよくわからない論争が目の前で繰り広げられるがお父さんが不機嫌ではないのできっと失敗したわけではないのだろう。それどころかお父さんはぽん、とマルとオミちゃんの頭を「よくやったな」という言葉を沿えて撫でてくれる。マルはオミちゃんを守れたのだ、とはいえ最後はマルがオミちゃんに助けてもらったようなものだけれども。がしゃん、と冷たい牢の中に入れられて、まるで昔オミちゃんが閉じ込められていたような金属の中にいる目標は立ち去ろうとするマルたちに声をかけた。別に振り返る義理はなかったのだけど、なぜかその言葉に呼応するようにマルは振り返ってしまった。

「行き過ぎる他人重視、依存的な考え方は度を過ぎればエゴイズムな考え方と同じだ。精々僕みたいにならないように君たちの硝子板みたいな世界を守っていくといいよ、応援してるね。」

にっこりとその言葉を携えた彼が不気味に笑うのでマルは何も言葉を返す気にはならなかったが、ただ一瞬だけあっかんべぇと、赤い舌を出した。


 

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