倒 錯わぁる ど

1:硝子細工の世界
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千羽陽様の離れからたまにかりかりと扉を何かが引っ掻くような音がする。そんな噂がぽつりと流れはじめた頃。彼らはぽつんとそこにいた。誰からもこの屋敷に存在しない者とされていた彼らはしっかりと、彼らの世界を、誰にも壊せやしない繭をその離れに作っていた。ごろん、と黒がかった灰色の髪が敷布団にぱらりと舞う。

「ひまだよー、オミちゃん。」
「マルが昨日無理するからだよ」
「むー…ちょっとヘマしただけだもん」

人間に比べれば早めに傷が治るからいいんだもん、と愚痴を漏らせばオミちゃんはマルの頭を軽くたたく。けれどその強さは撫でる時の強さと同じで全くそこに怒りを感じることはない。むしろ愛を感じてもいいくらいだ。扉を開けばもっと広い世界があるのは知っているしそこに興味がないかと言われれば嘘になるけれど、マルはオミちゃんがいる世界を奪われるくらいなら広い世界なんて要らない。お父さんに怒られてまた捨てられてしまったらあの場所に戻されかねないからだ。それだけはごめんだ、と思う。訓練がなくなってしまったのでマルとオミちゃんはごろごろとただぼんやり天井を眺めているだけだった。

「んーやっぱり体動かしたいよー…」
「体の調子を整えることも、ご主人の命令だよ。」
「んー…お父さんが言うなら…しょうがないねぇ…」

それでも納得がいかない、と言ったようにマルがじたばたしていると屋敷の外からばたばたとした音が聞こえる。何かあったのかもしれない。マルがバッと布団から伏せていた顔をあげた。すると離れのドアが開いた音がしてマルもオミちゃんも立ち上がる。二人の部屋に来る人なんて一人しかいない。すぐに姿を表したのは予想通りお父さんだ。

「オミマル、来い」
「お父さんどうかしたの?」
「何か起こったんです…?」
「まぁな、今こそお前らが役に立つ時だ。」

役に立つ、その言葉は人に対して言うには少し失礼な言葉のようにも感じるがマルもオミちゃんも人ではない。道具みたいな扱いをされようとお父さんがあそこから助けてくれて二人の世界を尊重してくれた瞬間から、マルにとってお父さんは大好きな人だ。連れてこられたのはモニタールーム。鍵はお父さんが持っているから普段は入ることはない。ここにはお父さんが大事にしている世界がすべて映っている。その世界がマルにとってオミちゃんのような存在であることも理解していた、だからマルはお父さんが大好きなのだ。いつもならその世界は平和であるはずなのに今日は違う。三人、知らない顔。これが異端者で侵略者であることくらいマルにもわかる。

「こいつらを、お前らにやろう」
「マル、興奮してきたよぉ!」
「ご主人の手を煩わせるわけにはいかない…全員始末する」

侵略者はわるいやつ。異端者はおかしいやつ。お父さんの敵はマルの敵。あっさりとした方程式だがマルにとってはたった一つしかない方程式だ。ぞわりと背中に何かが走る、これは闘争本能。生きるために必要ならば誰だってなぎ倒す。ぼろぼろになって動けなくなっても、絶対にこの手をあげることはやめない。今はもうマルとオミちゃんを隔てる鉄の檻もないし、繋がれた冷たい鎖もない。マルのことを制御するものなんて今は何もないんだ。それならマルが負けることなんてありえない。心配そうにマルを見るオミちゃんにマルはいつものように笑う。反射的な笑顔ではあるがそれが作り物であったことなんて一度もない。マルはオミちゃんがいればいつでも笑える。

「オミちゃん、心配ない。マルは戦えるから!」
「でも…」
「オミちゃん、だいすきだよ」

オミちゃんはそう伝えると一言「私もだよ、マル」と返してくれる。大好きだからもうお互いが苦しむのも悲しむのも見たくないし経験したくない。マルの世界はオミちゃんただ一人。オミちゃんの世界はマルにしたくはないけれど。それがエゴであることなんて難しいことはマル、わからない。ただ今わかるのは私は自由で、オミちゃんとお父さんを守ることができて、今倒すべき相手がいるということ。

「お父さん、マル、いってくる!」
「ご主人、安全なところにいてね。」

離れから飛び出すとまず見えたのは青い空。際限なく広がる無限のそれに飛びこむように、地面にぐっと足をつけて膝を曲げると軽い体を空にとばす。空気が体を拒むように当たってくるけれどそんなこと気にならない。目標、捕捉。モニターで確認した二人は縁側の廊下を走っていた。広い庭に着地すると地面がめり、と音をたててひび割れを作る。それは地響きを起こして目標もマルの存在に気づいて足を止めた。馬鹿だ、と心の中で目の前の二人組を睨みつけると彼らがこちらの脅威に気づく前に着地地点から一歩も動くことなく、マルはお屋敷に向かって体を回転させながら飛びあがると勢いのついた腕にありったけの力を入れて小さいほうの目標にそれをふるおうとする。が、大きいほうの目標はそれに勘付いて小さい目標を庇うようにした。マルの腕は大きい目標の腹部を抉るようにして、そいつの身体を吹っ飛ばす。襖はその重さに耐えきれず破れ、大きい目標は隣の部屋まで吹っ飛んだ。

「りぃにぃ!」

小さくて頭がくるくるしているいかにもガキのような風貌の小さい目標が大きい声を出す。うるさい、めんどくさい、はやく殺してしまおう。すたすたと小さい目標に近づいていくと、彼はマルを見て恐怖の色を瞳に映していなかった。それは驚いたけれど、それだけ。マルはそれくらいじゃ動じたりしない。小さい目標は動かずにただマルのことを見ていた。腰でも抜けたのか、なんでこんなに弱いのにお父さんはこんなのをマルたちにくれたんだろう。もう少し強くないとマル、つまんないのに。すると小さい目標はくすりと笑った。

「あの時すごいお金で奇形を買ったのっておじさんだったんだ…へぇ…じゃあここ、おじさんの屋敷なんだ。もう一生関わることなんてないっておじさんも僕も思っていたはずなんだけどなぁ。何かイレギュラーな事態が発生したとしか言えない、か。」
「おまい…なんなんだ?おじさんってお父さんのことか?」
「おじさん、こんなペット買っちゃってちょっとオイタが過ぎるよねぇ。君たちは理想的な奇形児だったけど頭がこれじゃあ…ダメだなぁ」

目の前の目標はマルに全く動じていない、正直ここまでくるとマルだって混乱してしまう。なんで?人間はマルとマルの力を目の当たりにすればすぐに「たすけてくれ」としか言わなくなったのに。目の前の目標が何を言っているのかはよくわからなかったけれど馬鹿にされていることだけはよくわかった。すると遅れてオミちゃんが到着する。

「マル、早いよ…」
「ごめん、オミちゃん…」
「あ、そうだよねセットで購入してたもんねあの人。でもやっぱりどっちも僕の好みじゃないや。でも…あの声は確かにきれいだったねぇ。」

そこで。マルは理解した。この目の前の目標はお父さんからの命令でなくても殺さなければいけないと。お父さんから命令を取り下げられたとしてもこいつだけは、絶対に。この目標はあの時のマルとオミちゃんを知っている。あいつらと、あの時マルを拘束してオミちゃんを痛めつけたあいつらと同じ。興奮よりも怒りがじわじわとマルを占拠する。

「おまいは、絶対に絶対にぜーったいに、マルが殺す…ッ!」
「おい何してるかと思えばお前、煽ってんじゃねェか!!!」
「あ、りぃにぃ!よかった生きてて!」
「心配してるけど今俺たちの生存率を限りなく下げた張本人だってこと君は自覚したほうがいいぞ!?」

マルは目標を一点に絞った。大きいほうはオミちゃんに任せよう、オミなら簡単にこいつなんか殺してしまえる。すぐに加勢すればいいだけの話だ。どんなに「たすけて」と命乞いをしようと、息の根が止まろうとこの目標が認識できなくなるくらい、もとの形をとどめないくらいぼこぼこに殴ってやる!マルは一気に走りこむと目標の白く細い首を片腕で締め上げる。思った通りそいつは強くもなんともなく、マルの動きについてすらこれなかった。指の爪が肉に食い込んでぷつんと首の皮が破れる。目標は苦しそうに顔をゆがめるがまだ余裕そうに口元を緩めている。おかしい、狂っている、なんで。マルは大声で怒鳴る。

「気持ち悪い!!なんだおまいは!!信じられない!!」
「君は純粋な人間の奇形であれば、それともう少し賢ければよかったのになぁ。残念。」
「もっと恐怖しろ!マルはお前なんか簡単にひねりつぶせる!なのにどうしてそんなにお前の目は気持ち悪いんだ!!」

赤い、赤い、その奥がドス黒くてなにもわからない、マルはいつも目標の目が黒くなっていくのを見ていた。黒が戦意喪失だと思っていたのに、目の前の目標はその常識を打ち砕いてくる。この黒は、違う黒だとマルは本能的に察することができた。先が見えない黒はマルの不安を煽る。どんなに首にかけた手に力を入れてもこいつを殺せる気がしない。物理的に、どんなにぐちゃぐちゃに、遺体がただの肉片に成り果ててしまってもこいつはきっと死んでくれない。こいつの目は、いつまでもマルのことを見ているだろう。マルは今こいつを自分で殺してしまったが最後、一生こいつの目から逃げることができない。こいつから自信を奪ってやらないと、だめだ。マルは目標から手を離すと彼は床に叩きつけられてゲホゲホと空気を取り入れようとしている。殺すのは簡単、簡単なのに。先にあの大きいほうから片付けてしまおう、最初の反応から察するにきっと小さいのはこいつが殺されれば動揺するだろう。物音に振り返ればきっとオミちゃんがあいつに傷を負わせているはず。しかしその期待は裏切られることになる。立っているのはオミちゃんではなく、目標のほう。黒髪の男はオミの最初の攻撃でダメージを負っているはずなのに、どうして。

「そいつ、心ここにあらずって感じでやり辛いんだが…」
「オミちゃん、オミちゃん!!!なんで!なんで…ッ!」
「マル…オミは、マルに傷ついてほしくない、だから戦うのも、好きじゃない……マル、オミを庇ってまた傷つく…から、」

狼のキメラであるマルにたいしてオミちゃんは鳥のキメラ。闘争本能から違うことくらい知っているけれど。マルの爪は野生のそれへと変化していく。傷ついたオミちゃんを抱きしめていても逆効果だ。オミちゃんを傷つけられて、本当は抱きしめたいのにマルの身体はそれを許してはくれない。伸びた爪は敵を殲滅するためにある、オミちゃんを抱きしめるためじゃない。小さい目標はマルとオミちゃんが「純粋な人間だったら」と言った。そうであれば、どんなによかったか。守るのは暴力的なものでなくてもよかった。それでもマルにはそれしか与えられなかったのだ、嘆いたって何も変わらない。

「なんなんだ、なんなんだ…っ…おまいらは…人間のくせに…!好きな人を抱きしめる柔らかい腕があるくせに、マルとオミと互角に戦うなんて、そんなずるいことあってたまるか…ふざけんな!マルは!この方法でしかオミちゃんを守れない、だから、だから…おまいらには死んでもらうしかないッ!」

久しぶりに自分の身体の奥から獣が呻くのをマルは聞いた。

   

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