倒 錯わぁる ど

10:代用品のジキルとハイド
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あれだけの大所帯を経験した後ではただでさえ広い僕の部屋はなんだか殺風景に感じられる。別にさみしいとかそういうことではないのだ、ただなんだか広すぎる部屋が自分には似合わないようなそういう気分になる。九十九は僕の顔色を伺うと心配そうに顔を覗き込んでくる。別に隠すようなことでもないから僕は九十九にその旨を伝えた。
「いつもわが主は謙虚であらせられる。しかし考えてください、今この家の正当な当主はあなたなのですよ。それは私の虚言ではありません。紛うことなき真実です。この家のすべてはすべてあなたの権利下にあるのですよ。」
「でも、僕なんて」
「我が主、あなたが今までどれだけ前当主によって折檻の扱いを受けていたか
、傍でお守りすることはできなかったので想像の域から出ることはありませんが相当ひどいものだったのでしょう?いつもどこかで何かを隠している。そんな気がしてなりません。」

僕が精神的病を抱えていることは兄さんしか知らない。椿も家の者も知らない。しいて言えば兄さんの診察にきた精神科医に似たようなことを言わ
れた気もするがあれは流石に血の気が凍ったものだ。「いつか内側から食い破られないようにね。」なんて。兄さんを診察しながら僕のことまで盗み見ようとしていたのだからああいう職種の人はどこか恐ろしさを感じずにはいられない。九十九がそれに近づいてきていることに内心驚きながらも僕は今日もいい兄でいようと思う。これも偽物なのだと知ったら、九十九は傷つくかもしれない。嘘を隠し続けられればそれは真実になる。嘘を重ね続ければそれが本当になり替わりうるのと同じこと。僕は本当にいい兄なのかもしれない。

「そんなことはないよ。」
「あなたがそう言うのであれば私は何も言いません。あなたの心に踏み入るなど冒涜的ですから。できるはずが、ありません。」

どこか九十九はさみしそうに言う。うちの家で父も母も同じという兄弟はいない。だからこそ兄弟間にどこか溝がある。人類みな兄弟などと誰がのたまったのか。半分だけであってもここまでぎくしゃくするというのに。現実を見てから言ってほしいものだ。僕たち兄弟はお互いにベースラインを引いてそこから出ないように兄弟ごっこをしているだけ、なんて見えるかもしれない。気遣っているフリをして本当は入ってきてほしくないだけ。本当の自分を、気持ちを露見させるのが怖いだけ。結局保身にすぎないのだと知っている。だから僕と九十九はベースラインぎりぎりで繰り広げていた会話を中止させた。次の話題があがるまで、なんともゆるやかに時間が流れる。屋敷からはいつも通りの外の世界が広がっていたし昨日まで壁を破ったり床が落ちたりしていた場所と同じだなんて到底思えない。静かに、まるで硬直状態のように、冷戦がひそかに地中で行われているのかもしれなかった。その静寂を破り、先に攻撃準備を仕掛けてきたのは九十九だった。もちろん、いつものようにやさしく慈しみこもった声で、だけれど。しかし内容はまるで兵器並みの威力を持っていた。

「我が主、この黙示録において幕が引かれなかったとき――つまり予定調和で事が収束してしまったときあなたはどうしようと思っているのですか?」
「…とにかく、話し合ってみないと始まらないと思うよ。」
「本当にイヴを、この屋敷から逃がして差し上げられると思っておいででしょうか。」
「…わからない。」

離れなくていい。僕はそれでもいい。成長なんてする気は全くないのだから。もし兄さんが僕だけでいいと言ってくれるのなら僕はこの屋敷から出るつもりもない。椿のような扱いを羨ましいと思ったことはないけれども、僕は成長したくないとでも思っているのかもしれない。成長してもいいことなんて、ないとどこかで諦めているのだろうか。そこで僕は九十九が目を擦っていることに気づいて声をかける。

「九十九、昨日は寝ていないだろう?ちょっとでも仮眠をとったら?」
「ん…せっかく舞白兄さんと二人でお話できる機会に私はなんて不甲斐ないのでしょう…少しだけ…やすみます…彼らがきたら、おこ・・し…」

指摘したことで九十九はさらに眠くなったようで最後のほうは言葉が言葉になっていなかった。それに眠いときはあの難しい喋り方はなくなるのだな、と幼さを感じて僕は畳で寝こけた九十九にタオルケットをかけてやる。僕は部屋に一人きりになってしまった。厳密には寝ている九十九がいるが話し相手がいなくなったということだ。九十九に言われたことは正直まだ考えていない。あんな大口を叩いておいてなんだがまだ突破口は導き出せていないのだ。椿を外に出してあげたところで彼は精神的にも経済的にも生活的にもまだ未熟だ。兄さんにバレないようそれを僕が教えてから外に出す?いや、兄さんは今後警戒するだろう。簡単に僕の目論見なんて暴いてしまうに違いない。これで彼らを追い出したら僕と椿はまた軟禁のような状態に戻るのだろうか?九十九が居ればそれはないように思われるが、兄さんが僕らの行動に厳しくなることは間違いない。椿の年齢からして
好奇心にあふれる時期だ。その時期に自由を奪われては抵抗したくもなるだろう。…どうしても今の僕には解決策が見いだせない。そんなことはわかっていた。僕は椿を縛る結果しか選べないのだ。だからといって外部からの介入というのもなんだか腑に落ちない。僕はきっと、兄さんを傷つけたくない。それだけなのだとわかっている。あの人たちが正解を持ってきたら僕は何と言えばいいのだろうか。

しろ、くろ、くろ、しろ・・・くろ、くろ、くろ。

じんわりと舞白の心が侵食されていく。不安に、押しつぶされそうになる。舞白が潰されないために俺は前に出た。めんどくさいことばかり考えて。それで自分が潰されちゃたまったもんじゃない。俺はお前、お前は俺。俺は俺のためだけに生きている。つまりはそう、お前のために。

「ここまでお前のことを崇拝しているヤツがいるんだからそいつに助けを求めりゃいいものを…って言ってもアレか。こいつだってあの兄貴と変わらねぇかもしれないし、お前はどう生きたいんだ?」

答えはない。当たり前だ、俺が出てきているのだから。あいつは鏡の前にいないし、あいつは今奥に居る。だから答えを求めて発した言葉じゃない。俺は別に自分が消えることが怖いなんてそんなことは思わない。消えたりしないのだ、俺は舞白に戻るだけ。意識はなくなるが舞白に成る。そうであることが正常で俺が自我を持っているということはそもそも異常事態なのだ。それもこれもすべてあの兄貴のせい。せめてあの兄貴が舞白のことを愛してくれればよかったのだ。舞白が自分を役割別にしてしまったことはあの父親のせいだ。そもそも長男がしっかりしていればそれもなかったことだが、それに対して申し訳ないと少しでも思っていれば舞白の気持ちに気づいていたあいつが舞白を拒むことはなかっただろう。拒む、という表現はおかしいな。舞白をあいつが求めたことがいけなかった。愛情故に求めたのであれば舞白も兄から愛される自分、求められる自分に安心感を持って人格分断をやめられたかもしれない。今ほどひどくはならかったかもしれない。

「……代用品、として求められちゃあ舞白もやっていけねぇよな。」

あいつは愛する兄に求められた。ただし代用品として。兄がどんな目をしていたか俺は知っている。あの瞬間に俺は生まれたのだから。まるで無機質で、淀んでいて、そこに愛情はなかった。あの瞳に目の前の舞白はうつっていなかったのだ。舞白を抱くときはいつもそう。優しくなったり、ひどくなったり、虚無的になったり、最初は虚無感が多かった。最近はそうでもないけれども舞白を安定剤とでも思っているのだろうか。あいつは舞白も愛さない、椿も愛さない、自分も愛さない。ならば誰を愛しているのだろうか。誰に対して依存して誰に許してほしいんだろうか。俺は舞白に兄貴を捨てるべきだと言いたい。ずっとそうしていろというわけじゃなく兄貴に舞白の重要性というものを考えさせるべきだというのだ。あいつはきっと、変わらない。何か不確定要素でもあれば別だけれども。俺としてはああいう侵入者は嫌いじゃあない。騒がしくて、ばかばかしくて、それはきっと固まった思考を壊していくだろう。他にもたくさん、犠牲は伴うかもしれない。しかし何かを変えるために犠牲は不可欠。俺は舞白さえ犠牲にならなければそれでいい。俺は舞白の代用品だ、今は。舞白の身代わり人形。だから俺はワガママでいいのだ。舞白が我慢ばっかりしているから。

「なぁ、舞白。代用品だろうといいなんて殊勝なこと言ってないでちゃんと愛される努力をしようぜ。お前のそれは怠惰と同じなんだからさ。」

俺はまた届かない言葉を畳の目に落とした。


 

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