*dissolution
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 仕事から帰ってきた舞白は、部屋に入った瞬間、その場に座り込む。ふわっと意識が浮く感覚がして、ぼんやりと目を開ければ最後の記憶より随分と時間が経った自室の中。あぁ、帰ってきたのかと他人事のように思った後でふらふらと立ち上がり奥の部屋へと向かう。扉を閉めて、それに寄りかかるように座れば、どこからか声がした。

「やぁ、こんにちは。――――年3月×日の舞白」
芝居がかった言い方にも随分と会っていなかったような気がして、足下に視線を落としたままで答える。
「なんだか、久しぶりな気がする。・・・朔黒?」
「これはこれは。今日の舞白は僕の名前を知ってくれているんだね」
気怠げに顔を上げればそこには黒と赤の色彩。にこりと口角を上げる姿は自分とは正反対に思える。
「・・・君は他を知っているの?」
気づけばそんな疑問が口から出ていた。
「知っているよ。今、僕の目の前にいる『舞白』も。数分前まで仕事を頑張っていた『舞白』も。僕以外の君はすべて『舞白』だからね」
「所詮は鏡の寄せ集めなのに、それでも君は『舞白』だと言うんだね」
「今日の君は随分と空っぽみたいだ」
くすくすと笑う彼の言葉に、そうなのかもしれないと思う。
「僕はいつでも空っぽだ。誰かに何をすることもできず、求められないから何をしていいかも分からない」
ため息混じりに吐き捨てれば、彼は少し思案するような顔をした。
「・・・何?」
「あぁ、そういうことだったのか」
1人納得したように頷く彼に、もう一度問う。
「・・・何が?」
「あぁ、失礼。ただ、君はすべてを落としてしまったんだと思って」
全く以て彼の言いたいことの意味が分からない。僕は元々空っぽだというのに。
「・・・どういうこと?」
「・・・つまりは、元々はすべて、君のものだったんじゃないかな?」
すべてが僕のものとはどういうことなのだろうか。問いかけてみても空っぽな僕の中にその答えはなくて、結局は、彼を不審な目で見返すことしかできない。

「ねぇ、舞白。ジグソーパズルをしようか」
「パズル?」
「そう。手元を見てみて」
彼に言われるままに手元を見れば、そこには灰色の縁取りがされた一枚の板。それには、ピースをすべて外した後のように、薄く線が入っている。
「こんなものどこから・・・?」
「何を言っているんだい?君が元から持っているものだよ。ほら、そこに1つ目のピースがある」
彼が指を指したの僕自身。よく分からず視線を落とすと、膝の上にピースが1つ落ちていた。拾い上げてみれば、そこに描かれているのは、瞳。ピースいっぱいに描かれたそれは自分と同じ濃い紺色をしている。
「せっかくだから、はめてみたらいいんじゃないかな」
そう言われて、言われるままに手に持ったピースを枠の中に入れてみる。薄く区切られたところを移動させていくと、やがてぴったりと合う場所を見つけた。枠の中の左寄りの真ん中。

「さて。ここで話をしようか」
「話?」
「そう。僕があったことのある『舞白』たちの話さ」
ピースを集めるための話だから、しっかりと聞いてねと彼は笑った。


「最初は誰が良いかな。あぁ、君にしようか」

兄として椿に接する舞白は、優しかった教育係を写したもの。
椿への『愛情』と『心配』を持ち、自分が欲しがっていたはずのそれらから目を反らす。

兄として九十九に接する舞白は、次の教育係を写したもの。
九十九への『愛情』と『心配』を持ち、彼の傍にいたはずの『母親』という存在から目を反らす。

当主として仕事をする舞白は、家を任されていた使用人たちの長を写したもの。
兄と弟の『生活』と『安全』を守るため、邪魔になるものを排除する。例えそれが自分にとって大切な人であっても。

店主として仕事をする舞白は、経営を教えた教育係を写したもの。
父の『遺志』と兄や弟の『お金』と働く人たちの『生活』を守るため、邪魔になるものを排除する。例えそれが誰かの生活を脅かすものであっても。


「こうして見るだけでも、たくさんの君がいる。・・・あぁ、大丈夫かい?苦しそうだけれど」
彼が語る度にピースが1つずつ枠の中に増えていく。そして、それらが増える度に、それぞれの抱えていた『辛さ』や『苦しさ』、『葛藤』が胸を刺す。
「どうして。どうして、こんなに痛い思いをしないといけない」
ぼろぼろとあふれ出した涙が頬を伝う。枠の中に落とされた滴は吸収されて跡すら残さない。
「そう。だから、君は君を分けたんだ。でも、そこから目を反らしていては、いつまでも君は君になれない」
僕と同じくらい辛そうな顔をして彼は言う。その辛そうで、どこか焦った顔が誰かと重なった気がした。
「僕が僕になれない」

「何故ですか?兄さんは元々、兄さんでしかなくて、変える必要などない至高の存在です」

2人の空間を切り裂いた声に、自らがぐにゃりと揺らぐ感覚が襲う。俺は一瞬、何が起こったのか分からない。

集めていたはずのピースが地面に散らばり、枠はガシャンと音を立てる。どうやら、舞白の手から落ちたようだ。

暖かい色に変わり始めていたはずの空間は、形を保てず、黒い闇に飲まれていく。


『え?九十九?どうしてここに?』


遠くで舞白の声が聞こえる。

『私はいつでも兄さんの傍にいますよ。姿は見えなくても、ずっと』

そして、続いて聞こえたのは九十九の声。あぁ、やはり空間を壊したのはこいつだったか。

『・・・っ、今、・・・彼と、はなしを、して、てっ・・・』

彼というのはきっと俺のことだろう。

ふいにふわりと九十九の匂いが舞う。

「舞白っ!」

反射的に朔黒は舞白の名を叫んでいた。だめだ。これに包まれてはいけない。やっと、見つけたのに。

『さっきの話?・・・あぁ、兄さんは変える必要などない至高の存在であるという話ですね』

「舞白っ!違う。お前は変わるんだ。変われるんだ。ちゃんと前を向いて歩き出せるんだ」

叫ぶ声は、舞白には届かない。それどころか、重なる声の間に消えていく。

『兄さんは兄さんですよ。仕事をしている時も、私と接している時も、子どものように泣いている時も、上の空でぼーっとしている時も。すべて兄さんじゃないですか。兄さんは、ただそこにいてくれればいいんです。思ったことを言って、私に命令を出して、痛い思いなどしなくていいんです』

地面に散らばったピースを見やれば、声がひとつ届くごとにまるで硝子のようにヒビが入っていって。

『痛い思いをするくらいなら、それはきっといらないものです。兄さんは白ですから。赤でも黒でもなく、白のままそこにあればいいんです』

自分の手の中にあるピースを見れば、同じようにヒビがはいっていた。それが増える度に、息苦しさが増していく。

「やめろ。これ以上聞くな!」

『必要なものがあるなら、私が用意しましょう。兄さんの手を煩わす必要などないのですから』

喉が凍り付いていき、言葉が出ない。空気を求めて、開閉する口に募るのは息苦しさだけで、だんだんと意識が遠のいていく。


『ねぇ、九十九。・・・君は僕が死んだらどうするんだろうね』

ぽつんと舞白の問いかけが聞こえる。少し置いて九十九が答える声も。

『死んだら?縁起でもないことを言わないでください。兄さんが死ぬわけがないじゃないですか。私が守るんですから』

守る。本当にお前がしようとしているそれは舞白を守ることなのか。体だけ守ったって意味はないというのに。生命だけ保証されたところで、舞白は舞白にはなれないというのに。

『あぁ、でも。兄さんの亡骸ならきっと綺麗でしょうね。だって、兄さんですから』

違う。違う。それじゃない。そうじゃない。必死に首を振って否定する。
俺がお前に与えたかったのはそんなものじゃない。俺が守りたかった舞白はそんな存在じゃない。


そして、ふと気づく。そうか。そうだったのか。

「あぁそうか。お前に殺されるのか。俺は」

舞白でも、兄上でもなく、

「『あぁ、そうか。本当に舞白を殺すのは、』」

兄でも椿でも・・・・俺でもなく、舞白を欲した

「『お前、なんだな』」

なんて皮肉だ。

何かを用意してくれるというなら、舞白を用意してくれよ。
舞白、という存在を。舞白という意志を。

『私が兄さんを殺すわけないじゃないですか。さっきも言ったでしょう?私は兄さんを守るためにいるんです』

お前もまた、舞白を必要とはしていない。タチが悪いな、クソが。そこに気付けもしねぇのに、愛を騙るのだからこの無限ループは終わらないんだ。

もう、俺たちにはなにが必要だったんだろうな。今此処に存在した、意味ってなんだったんだろうな。どうしたら愛してもらえたんだろう。愛って一体何だったんだろう?

相手の思い通りになる自分になることが愛だというなら、俺たちは、

愛してくれたって何の意味もない。


あぁ、なんて。なんて、――な世界だ。


 

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