あおちゃんのお腹には赤ちゃんがいます。
「ねえ、あおちゃん。今動いたよ。」

【B lack hole】

あおちゃんのお腹に宿る生命は今日も元気に動いている。お腹に耳をあてるととくんとくんと心臓の音が聞こえる。
俺とあおちゃんの子供。男同士で子供ができるなんて奇跡が起こったとしか思えないが、紛れもない真実である。
医者も驚いていた。こんなケースは初めてだそうだ。
きっかけはきっとあの一言。デート中に見かけた乳母車に乗せられる赤ちゃんを見てあおちゃんがあんまりにも愛おしそうにいいなあ、なんて言うから。それから俺は毎日、ずっと祈り続けた。あおちゃんとの子供が欲しい。俺と、あおちゃんと、赤ちゃん。三人で幸せな家庭を築きたい。その一心で毎日祈り続けていたらある日、あおちゃんが妊娠している事がわかった。
食事中突然席を立ったと思えばトイレで吐いていた。あおちゃんのお腹は少し膨らんでいて、耳をあてると微かに生命の音が聞こえた。
嗚呼、俺の願いが通じたんだと。これでやっとあおちゃんの望む二人の幸せが手に入るんだと思うと涙が嬉しくて止まらなかった。あおちゃんも泣いていた。
二人で泣いた後、これからはずっとこの子を守っていこうね。と言うとあおちゃんは笑顔で頷いてくれた。
それからは毎日気を遣う日々だ。母体の負担にならない様大学には休学申請し、買い物も家事も全て俺に任せて貰っている。
「あおちゃんは赤ちゃんの事だけ考えていてね。」
毎日お腹を触って、耳をあててそこにある生命の存在を確かめる。その瞬間がとても幸せだった。
中々大きくならないお腹に少しだけ不安を覚えたが、調べるとその様なケースも珍しくはないそうだ。
妊娠のせいかたまに情緒不安定になっておかしな事を言う時もあったが、そんな時はずっとそばで大丈夫。大丈夫だよと繰り返して落ち着くまでお腹を撫でてあげた。

カレンダーに大きく書かれた出産予定日の文字を見て心が躍る。
ああ、愛しの我が子に早く会いたい。

「元気に産まれてきます様に。」








結論から言うと僕のお腹に赤ちゃんはいない。僕は男性だ、妊娠などするはずが無い。
やまと君がおかしくなったきっかけはある日のデート中に僕が横を通った乳母車に乗せられた赤ちゃんを見て、ふと可愛いね。と漏らした時だった。
「あおちゃんは赤ちゃんが欲しいの?」
笑顔で尋ねられたその問いに僕は、やまと君との赤ちゃんが欲しいなあ。なんて非現実的過ぎる、しかしだからこそ心からそう願う事を答えてしまった。
それからやまと君は毎晩眠る僕の部屋にやってきてはお腹を撫でて、赤ちゃんを下さい、赤ちゃんを下さいと繰り返し呟く様になった。
たくさん栄養を摂ろうね、と言って作られたご飯の量は尋常じゃなかった。肉、魚、野菜皿に山盛りに置かれたそれらを全部食べるまで彼は僕を椅子から離そうとはしなかった。
ある日、お腹が限界を迎え思わずトイレに駆け込み吐いているとやまと君が吐瀉物まみれの僕を抱きしめて、お腹に耳をあて、
「赤ちゃんができたんだね!」と言った。
その顔には一点の曇りも無く、ただそこにあるのは純粋な狂気だけで。
もう手遅れなんだと理解し泣きながら頷く事しかできない僕をやまと君は優しく抱きしめてくれた。
それからやまと君と僕の狂った生活がはじまった。お腹に悪いからと、外に出ることは一切禁じられ彼が仕事中でも一時間置きに体調とお腹の様子を尋ねる電話がかかってきた。大学は休学するしかなかった。
産婦人科に行っても勿論医者は困った顔をするだけで、帰りに心療内科を勧められた。何も映っていない僕のお腹のエコー写真をやまと君は嬉しそうにずっと眺めていた。
空っぽのお腹に、元気ですかー?と声をかけるやまと君が見ていられなくて、もうやめよう。赤ちゃんなんていないんだよと叫んでもその言葉は彼の耳には届かなかった。

カレンダーに大きく書かれた出産予定日を過ぎても、1ヶ月経っても僕のお腹はそのままだった。


おかしい。もう予定日から1ヶ月が過ぎているのに一向に赤ちゃんが産まれる気配がない。
心配になってあおちゃんのお腹に耳をあててみると確かにどくどく音が聞こえる。じゃあ何故産まれてこない?こんなにも、こんなにも望んでいると云うのに!
病院に行こうと言ってもあおちゃんはそれを嫌がった。
「あおちゃんは心配じゃないの?!こんなのおかしいよ!ね、病院に行こう?ちゃんと診てもらおう?」
そう言って引っ張った手をあおちゃんが振り払った。
「おかしいのはやまと君だよ…。僕のお腹に赤ちゃんなんていない!最初からずっといなかったんだ!お願いやまと君。目を覚まして?僕は君がいればそれで幸せなんだ。もう他に何もいらないんだ!」

ぶつん

「いらない?何を言っているの?ねえ、何を言っているの?あおちゃんは欲しいんだよね?俺との赤ちゃんが欲しいんだよね?ああそっか、知らない人が一番最初に俺たちの赤ちゃんを見るなんておかしいよね。だったら俺が取り出してあげる、俺とあおちゃんとの赤ちゃん。」
「やめて、やまと君やめて!嫌、嫌!!!」

「ア゛ッ」






「ねえ見て、俺たちの赤ちゃん。可愛いでしょう?嗚呼、あったかいなあ…」

赤子の泣き声が、聞こえた。

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