お腹が空いた。帰りに家の近くにあるパン屋に寄っていつものメロンパンでも買おうかな。そんな事を考えていた授業中、隣の席の人から名前を呼ばれている事に気がつく。
"あおた!あおた!次当てられんぞ。"
僕はハッとして古文の教科書に目を当てた。

【世界交差点】
「あ、あおちゃん起きた?ご飯できてるよ。」
ヤマト君がいる。
「此処は、どこだっけ?」
「え?何言ってるのあおちゃん。俺の家に決まってるじゃん。寝ぼけちゃった?可愛い。」
ああそうか此処はヤマト君のお家で僕は今大学生で君は僕の恋人で。
何か頭に引っかかって消えないモヤがある。それが何なのかはわからない。
「パンを買ってきたんだ。焼きたてだって、好きなの選びなよ。」
クロワッサン、チーズパン、クリームパン、メロンパン。
「これ、あのパン屋さんで買ってきたの?」
「?いつもの所だよ。俺の家の近くの。あおちゃんどこの事を言ってるの?」
「わかんないや…」
おかしいな。まだ寝ぼけているんだろうか。あのメロンパンどこかで見た様な気がしたんだけどなあ。
冷たい水で顔を洗うとモヤは綺麗になくなった。


"あおた!一緒に帰ろうぜ"
この元気な幼なじみとは生まれた時から家がお隣同士だった事もあり高校生になった今でも一番仲が良い。
明るいクラスメイト達も、住み慣れたこの街も、優しい幼なじみもみんな大好きだ。僕の人生で今が一番楽しいんじゃないかなあ?ふふっと笑うと隣にいる彼が不思議そうな顔をして此方を見た。彼の黒いくるくるとした髪が夕焼けに染まっている。

「…あおちゃん、あおちゃん。起きてよー。」
…?何も、わからない。
「×××は?」
「え?なんて言った?ごめん、聞き取れなかった。もう一度言ってくれる?」
もう一度それを言葉にしようとした時には頭の中に何もなかった。
「ヤマト君。僕は大学生で××街に住んでいてそこにはパン屋さんなんてなくて、それで、僕は君の恋人だよね?」
当然の事実にどうしようもなく不安になった。怖い、何かに飲み込まれそう。
「怖い夢でも見た?大丈夫、大丈夫。あおちゃんは大学生で××街に住んでいる。そこにはパン屋なんて無いよ。そして君は俺の世界で一番大好きな恋人だよ。」
そう言ってヤマト君は僕を抱きしめてくれた。怖い夢を見て泣く子供を安心させる様にポンポンと背中を叩いてくれた。


「俺あおたの事が好きだ。ずっと前から好きだった。」
昼休み、幼なじみの彼から告白された。嬉しい。だって僕も君の事をずっと好きだったから。小学校に上がる前からもうずっと。それを伝えると彼は子供の様に喜んだ。そんな、気取らない所が好きだ。
「改めてこれからよろしくお願いします。俺あおたの事ずっと幸せにするから!」
放課後は手を繋いで帰り、いつものパン屋さんに寄り道をした。家の近くの公園でそれを食べていると不意に抱きしめられた。彼の腕の中が暖かい。幸せだなあ。

「…起きなさい!学校遅刻するわよー。」
母親の声で目が覚めた。もう8時半じゃないか!早く隣の家の彼を起こしに行かなくちゃ。ドタドタと階段を降りてパジャマのまま玄関から飛び出した。ピンポーン、隣の家のチャイムが鳴ると中から女性が出てきた。
「あらあおちゃんおはよう。どうしたのそんな格好で…」
「×××は?!」
「え?ごめんなさい。よく聞こえなかったわ。もう一度言ってくれるかしら。」

言葉は、出なかった。

自宅に戻り大学の友人に今日は休むと連絡をした。
お隣のお家は女性が一人で住んでいる。小さな頃には遊んでもらった記憶もある。この街にはパン屋さんも公園もない。そして僕には幼なじみなんていない。
ただの夢だ。ただの夢なのにどうしてこんなにも昔からあった記憶の様に思い出させるのだ。見たことも無いはずのパン屋さんの外観が、あるはずの無い高校への通学路が涙が出る程恋しかった。
彼の腕の中は暖かかった。そうだ、×××に会いたい。あれ?名前が思い出せない。顔も、彼の何もかもが思い出せない。それでもあの暖かさだけは覚えていた。

そんな人間、何処にもいないというのに。


「先生。あおちゃん…彼は良くなるんでしょうか?」
「彼は夢に囚われている。夢というものは厄介で、例えどんなに現実とは違ってもそれを居心地が良いと感じてしまうのです。」
「夢を見させない様にすることはできないんですか?」
「不可能ですね。眠りを深くする薬はあるが。夢についてはまだ明かされていないことだらけなんだ。」
「俺のせいですか?俺が現実でもっとちゃんとしていればあおちゃんはあんな事にはならなかったんじゃないんですか?」
「それは違いますよ。夢は誰にでも平等に訪れる。それが幸福な夢か悪夢になるかは誰も決められない。…こんなことを言ったら医者失格かもしれませんが、もしかしたら彼が見ているのは本当にある世界なのかもしれない。私達とは絶対に交わることの無いはずの世界に、彼は攫われたのかもしれない。」


"あおた。顔色が悪いけどどうかしたか?"
あのね、最近嫌な夢を見るんだ。内容は覚えていないんだけど。知らない人たちがいっぱい出てきて、なんだかすごく現実的で怖いんだ。
"そっか…。大丈夫か?"
うん!夢だってわかってるから思い切り叫んで暴れてやるんだ。そうしたらいつも夢から醒めることができるんだ。
"早く忘れられるといいな"


"そんな世界のこと"








"また来たね" "また来たね"
"帰さないよ" "帰さないよ"
"だって此方が本当の世界なんだから"

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